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経世会の誕生秘話

闇将軍と呼ばれた田中角栄は戦後空前の天下人だった。角栄は自らの邸宅を目白御殿と呼ばせた事で知られる。「田中角栄の娘や弟子達にあらんずば人にあらず。」と言う時代があった。娘と言うのは「暴走大臣」こと「田中眞紀子」である、そして、弟子達の代表格のひとりが「暴走老人」こと「石原慎太郎」である、どちらも、日本の政界を代表する大人気の政治家だが、父であり師匠である田中角栄の才覚にはおよばないと言われる。人気と実力がともなった数少ない政治家のひとりとして田中角栄の名前を挙げる人々は多いが、残念ながら、娘の「田中眞紀子」や弟子の「石原慎太郎」は常に人気が先行している、それでも、この三者の共通点と言えば、現代人の記憶に残る「超人気者」だったと言う事だろう。その角栄一極支配による独裁体制(暴走)を阻止すべく、我慢ならんと決起した男達がいる。「竹下登」と「金丸信」のコンビである。この2人が目指したものは「健全なる全員野球」だった。つまり「圧倒少数の人気者」ではなく「絶対多数の実力者達」による「真の英知の結集」を目的とする、本当の意味での「数はチカラ」だった。そして、事件は起きる、田中家が未来永劫この2人を許さない出来事として「竹下登」と「金丸信」は、田中角栄を脳硬塞(のうこうそく)に追い込む事に成功する、結果、日本の政治の実権は「健全なる全員野球」を志すこのコンビの手に渡る。その「竹下登」と「金丸信」も他界して25年が経過するが、今日の今日に至ってもなお、日本の政界の要(かなめ)は「平成研究会出身者達=新旧の竹下派七奉行」で占められている有様なのだ。これは角栄が遺した負の遺産だが『竹下登』は角栄半殺計画を遂行後、内閣総理大臣になる直前、右翼標榜団体=広域指定暴力団からの、過激な『ほめ殺し=殺人予告』を受ける、これは、文字どおり「闇将軍」だった「田中角栄」の資金源が「黒社会」だった事を明白にした事件である。追い詰められる「竹下登」を救済する為に、苦肉の策として「金丸信」は「黒社会」の不満の爆発を「巨額のブラックマネー」で沈め、黒を黒く塗り替える事に成功してしまう。

以後、竹下は政界のキングメーカー、金丸は政界のドンとなる。

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