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ワンステップ【がんサバイバー】★ある50代女性の生き方★「がん」とどう向き合うか?(前後編)【肺がん・ステージ4】

こんにちは。肺がん患者の会ワンステップです。

ワンステップでは2020年春より、Youtubeで肺がんに関する情報やワンステップのセミナーでの講演など、肺がんとともに暮らすみなさんの生きる勇気につながる(と、うれしい・・・)動画を配信しています。

noteでは、肺がんの患者さんやそのご家族以外のみなさんへも、この情報をご覧いただく機会になれば、と思いYoutubeにアップロードした動画の中から毎回1つずつ動画をご紹介しています。

もしもワンステップ【がんサバイバー】のYouTubeチャンネルに関心を持たれましたら
https://www.youtube.com/channel/UCXRypqMd5fvow0Tdhqjx5SQ
こちらからぜひご覧ください。
7月からYoutubeのLIVE配信によるオンラインセミナーも始めました。
お申し込み不要で、LIVE中に質問も受け付けます。
ご覧いただけましたら幸いです。

今日の動画は

★ある50代女性の生き方★「がん」とどう向き合うか?(前編)【肺がん・ステージ4】

★ある50代女性の生き方★「がん」とどう向き合うか?(後編)【肺がん・ステージ4】

私たちのワンステップでは、肺がん患者・家族ためのコミュニティのSNSをやっています。そこにこんな質問が来ました。60代の女性・Aさん

私は2018年に肺がん告知されました、骨や脳などとあちこちに転移していて、あまりに衝撃的で、人の話しを聞いてる感覚でした分子標的薬の治療をスタートして、普段の生活は全く問題なく出来ましたが、耐性がきてしまい2か月前から、従来の抗がん剤治療に切り替わりました

あまりに副作用が多く、奏功率が低いので、不安でいっぱい3回目が終わりましたが、毎回熱が出て寝込んでます

最近は骨転位してた所も痛みが出て来て、薬あれこれ飲んでもイマイチです。今後が不安でしたかない毎日です。どうしたらいいでしょうか。

最初はうまくいっていたのに・・・・お気持ちお察しいたします。私は医療者ではありませんので、具体的な治療については、お答えすることができません。しかしながら、質問はステージ4の患者ならだれもが経験する困難です。私も含めて、たくさんの方がもうすでに経験しています。みんな右往左往しています。いや、右往左往しない人などこの世にいないですよね。

だからこそ、今回はたくさんの経験談の中から、そんなみなさんを応援してくれる体験談をお届けします。

2017年の日本肺癌学会の市民公開講座。おだやかですが、そこにいた誰もが感動し、惹きつけられた講演があります。

いのちに限りがあると言われ、その中で病気と付き合いつつも、自分らしく人生を送った一人の女性のお話です。私はその場にいて、こんな風に生きれたらいいなって素直に思いました。

その方は静岡県に住んでいた50代の女性で、白石伊佐子さんといいます。ご家族に許可をいただき、公開いたします。

闘病を続ける患者やご家族の「生きる勇気」にきっとつながると思います。

こんにちは。白石と申します。

今日は市民講座でお話しする機会をいただきどうもありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。

今日お伝えしたいのは「がんのイメージを変えたい」ということです。

みなさんはがんというとどのようなイメージをお持ちですか?

不治の病。痛い。治療が大変。お金がかかる。身体が弱って何もできなくなる。

いろいろあると思います。でもいちばんに考えてしまうのは 死 ということではないでしょうか。

小説を読んでいて、がんがテーマでもないのに「主人公のお母さんはがんで余命1ヶ月・・」などという文章がよく出てきます。ちょっと気になりませんか?

私は自分ががんとわかってから特に目につくようになりました。 あ~この本も!他の病気もあるだろうに・・・がん=死というイメージを振りまいているようで、いくら日本人の死因第1位だからってここまで死に結びつけなくてもいいのに・・・とガッカリしてしまいます。

私はそんなコワイ病気であるがんになってしまいました。

このようなイメージのがんですが、私の話が終わるころにはみなさまのがんに対する見方が少しでも変わっていたらいいな、と思います。

ではまず自己紹介をします。

私は静岡県東部に住んでいます。家族は主人と子供が3人。主婦のかたわら楽器店所属の音楽講師としてピアノやクラシックギターの指導をしていました。

2010年、末っ子も大学に入り家を出て、お弁当作りや送り迎え、学校行事やPTA役員から解放され、実家の介護のお手伝いをしながら自分の時間をたっぷり楽しもう!という時期に病気がわかりました。

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毎年近くの総合病院で受けていた健康診断。2010年秋の健診で初めてレントゲンで引っかかり、再検査というお知らせが来ました。再検査でも必ず病気というわけではない、と気楽に出かけました。

診察室に呼ばれると先生はレントゲンの画像を指して、「何か見えるでしょ。これは最悪の場合肺がんです。」と言いました。気楽に来たはずの再検査なのに、もうここでがんという言葉が出てきてしまっています。こんなに簡単に言っちゃうの?って感じです。肺がん?タバコ吸わないのに?家族も実家も兄弟も誰も吸わないのに。ウチに灰皿なんかないのに。タバコの煙、大嫌いでずっと避けてきたのに。だから肺がんだけは絶対なるはずないと思っていたのに。肺がんってタバコを吸う人の病気だと思っていたので、どう受け取っていいかわかりませんでした。

紹介状を書いてもらい、予約も取ってもらってがんセンターを受診しました。

いろいろな検査が始まり、だんだんと覚悟ができていったように思います。2010年の暮れ、検査の結果が出ました。肺腺がん、肝臓と広範囲のリンパ節に転移しているステージ4、手術や放射線はできません、抗がん剤治療を始めます。完治はしません。うまくコントロールして長くつきあっていくことになります、というものでした。がんかもしれない、という覚悟はある程度できていましたが、それが一気にステージ4!症状は何もないのにステージ4、前の年の健診では異常なしだったのにステージ4。

意外と冷静に聞けたのですが、自分のことではないような気がしていました。

年が明けて抗がん剤治療が始まりました。

プラチナ製剤とA・B,2つの抗がん剤を4クール。

最初の点滴のため入院、なんだかよくわからないまま治療が始まろうとしていました。

この4クールの入院の時にいくつかの言葉をいただきます。今も私を支えてくれている大事な言葉と出会います。

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病室に薬の説明に来て下さった薬剤師さんから言われた言葉です。

「がんがあっても普通に過ごせるんですよ」 どうですか?病気がわかる前は考えもしなかったことです。何もできなくなるなど負のイメージしかなかったのに普通に過ごせる・・・ホントかな?と意外な感じがしましたが、ちょっと明るい光が見えたような気がしました。

それから入院して不安でつい主治医の先生に「私、死んじゃうんですか?」と聞いてしまいました。聞くつもりなんかなかったのに言葉が勝手に出てしまった感じです。

すると先生は私の言葉が終わらないうちにきっぱりと「そうはさせません!」と言われたのです。先生はそういう気持ちで治療をして下さるんだ。先生の言うことを聞いていれば大丈夫だ、と思ってすごく気持ちが楽になりました。

入院で知り合った患者仲間。おしゃべりして気分転換していた時ひとりが言いました。

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「なっちゃったものはしょうがないよね」 ちょっと負け惜しみみたいですが、でもその通りです。よくどうして私が?何が悪かったの?と考えて
しまうことがありますが、本当になっちゃったものはしょうがないんです。過去に戻ってやり直すことはできない。くよくよ考えるよりこれからのことを考える方がいいに決まってます。

そんなありがたいお言葉に支えられて治療が進みました。おかげさまで抗がん剤がよく効いてくれました。4クールの入院のあと通院で維持療法。慣れてくると薬剤師さんの言った通り、本当に普通に過ごせました。1次治療は結構長く、4年位続きました。

そして2015年、転移していた肝臓とリンパのところが検査上見えない、今なら手術ができる、と言われ、左上葉を切除しました。

抗がん剤もよく効き手術もでき、ステージ4からもしかしたら寛解が見えてくるなんて、こんなにラッキーでいいのか申し訳ない気持ちもありましたが、肺がん仲間の希望の存在になれたらいいな、と思いました。

ところが手術から3か月後のPET検査で以前転移していた肝臓にまた影が現れてしまいました。すごろくで上がりが見えてたのに振り出しに戻ってしまったような感じでした。最初にがんだとわかったときより落ち込んだかもしれません。でもやっぱりなっちゃったものはしょうがない!振り出しにもどってまた抗がん剤治療。以前長く効いてくれた薬で維持療法。前にもやっていた治療なので慣れていました。1年位続きました。

長く効いてくれた薬にもついに耐性ができ次の薬。次は話題の免疫のお薬です。期待と副作用への不安、どちらも大きかったです。

この薬は今年の1月から3月に6回点滴しました。最初は全く副作用がなく点滴したことも忘れるくらいだったのですが、6回目の点滴の後、頭痛やだるさが続き副腎障害という副作用が出てしまいました。副腎がやられてステロイド剤をずっと飲まなくてはならなくなり、肝心ながんの治療も中断していたのですが、6月に撮ったCTで奇跡的に影が薄くなっているのがわかり、経過観察となりました。

よかった~と思ったのも束の間、7月に下痢が止まらなくなり大腸炎で入院。

点滴をストップしていても効果も副作用も出てきていました。

副作用も落ち着いたところで先月脳転移が見つかりました。さすがにショックでした。放射線治療のため入院。実はまだ退院したばかりです。さらに肝臓の転移も大きくなっていて、来月から抗がん剤治療を再開することになっています。

7年近くの間いろいろな治療をしてきました。怖いと思っていたがんやがん治療。これからも治療はエンドレスで続きます。

落ち込むこともありますが、でもしっかり前を向いて、病人にはならずに、これからも普通に過ごしていきたいと思っています。

続いて私のがんとの付き合い方です

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がんであることを回りに隠さない

私はがんであることを回りに隠していません。わざわざ遠くの友人に知らせるようなことはしませんが、日頃関わりのある方には伝えてあります。誰もが社会の中で多くの方との関わりを持って生活しています。がんがわかって治療のためにお休みしたり、できなくなってしまうことがでてきます。初めにお話ししたように負のイメージが大きいがんですから、話したくない、隠しておきたいという気持ちになってしまうことも多いと思います。でも隠すためには何かほかの理由を考えたりつじつまを合わせたりしなくてはなりません。病気が分ってすぐに入院を控え、私は考える余裕もなく正直に伝えました。

がんであることをカミングアウトして、イヤな思いをすることがあるかもしれません。私も少しだけありました。でもほとんどの友人は温かく見守ってくれました。周りに黙っている方もいらっしゃると思いますが、誰かひとりでもわかってくれる方がそばにいて隠さずに話ができたら、きっと気持ちが楽になると思います。

次にがんへの声かけ。

私の場合、こんなことがありました。最初の4クールの入院の合間、家でピアノを弾いていて心から「楽しい!」と思いました。治療に必死になっていて忘れていた楽しさを思い出しました。こんなに楽しいことができなくなったら悲しいし悔しい、ずっと楽器を弾けるように元気でいたい!その時思わずがんに向かって「ずっとこうして楽しいことをしていたい。だからおとなしくいい子にしていてね」と話しかけていました。

がん哲学外来の樋野興夫(ひのおきお)先生の本に「がんは我が家の不良息子」という言葉があります。がんだって元は自分の細胞で、外から入ってきた悪者ではないのです。病気と闘うことばかりに必死になるのでなく、うまく声かけして、気持ちをコントロールして付き合っていくことも大切です。もしかしたら不良息子がいい子に戻ってくれるかもしれません。

(「元のいい子に戻ってね」と言い聞かせてください)

忘れる時間を持つ

楽しいことを夢中でしている時、他のことは頭に入って来ませんよね。そのような病気を忘れていられる時間はとても大切だと思います。私にとって夢中になれることは音楽です。

お仕事としてレッスンにも復帰しています。

それから趣味の音楽サークルである社会人のマンドリンクラブに所属していて、ギターパート、指揮者として参加しています。治療を続けながら毎年演奏会のステージに立つことを目標にしています。実は今年の演奏会は先週の日曜日。そう、放射線治療での入院のさなかです!本番の日に指揮者が入院中という大ピンチです。いくら私が出たいと思ってもドクターストップがかかったら出られません。そんな最悪のケースも想定しました。でも先生も私の「出たい」という気持ちを考えて、しっかりサポートして下さり、無事外泊許可をいただき演奏会に出ることができました。メンバーも治療で休んでばかりの、最後までハラハラさせ通しだった私を温かく迎えてくれました。

多くの方に支えられてこのステージに立っている、当たり前と思っていたことができる喜び、感動。今年は格別でした。演奏にも力が入り本当にいい演奏会になりました。

私にとって病気を忘れられるくらい夢中になれるものは音楽ですが、皆さんにもそれぞれ何かコレ!というものがあると思います。がんだからって何もできなくなるわけではないのです。

がんのことより好きなことを考える時間を増やしてみませんか?

がん患者だからできることをやる

がん患者は何もできなくなる、というイメージがありましたが、そんなことはありません。がん患者だからこそできることがあります。

患者会やがん患者支援イベントであるリレーフォーライフに参加して他の患者さんと知り合えることもがんにならなければできなかったことです。

いつの間にか患者歴が長くなり、後輩患者さんから相談を受けることがあります。そんな時にどうお話ししたらいいのか知りたくてピアサポーター養成研修を受けました。私が経験したことが少しでも役に立つなら、がんになったことも悪いことばかりではないのかな、と思います。

ステージ4という絶望的な状態でスタートした私のがんとの共存生活も7年近く経とうとしています。「あなたを見ているとがんになっても大丈夫って気がする」と言われたくらい元気に過ごしてきました。

先月の末に見つかった脳転移。放射線治療が終わったところで、正直これから先どうなるのか不安です。来月からまた抗がん剤も始まるし、病院とも病気とも縁が切れません。

でも今までのように自分のがんとうまくつきあって行こう、前を向いて過ごしていこうと思っています。

今日のこの講演は自分自身への応援のように思えます。

がんだからといって何もできなくなってしまうわけではない。自分のできること、やりたいことを見つけて、未来に希望を持って今を大切に過ごすこと。当たり前のことですが、がんにならなかったら気づかなかったことかもしれません。

がんの悪いイメージを少しでも消して治療しながらも普通に過ごせる病気、共存できる病気、そのような見方ができるようになれば、がん患者の就労問題なども解決の方向に向かうかもしれません。

弱い立場である私たち患者も普通に生活できる社会に一歩でも近づけるように変わって行ったら・・・と願っています。



記事をご覧いただきありがとうございました。スキ、ご感想、コメント、サポートなど、とても喜びます。少しでもどなたかの生きる勇気につながれば幸いです。 まだ手探りでnoteの投稿をやっています。不慣れ故のご無礼がありましたら、どうぞご容赦くださいませ<m(__)m>