「目には見えない、お金にもならない」。だけど私が見守り活動をする理由。
我が家のこども達は公立学校に通っているため、登下校は徒歩通学をしています。
また、我が家は学区の中でも端っこの方に位置していて、学校まで大人の足でも15分以上かかる立地です。
私も夫も小学校は家から近かったため、小学生が15分以上歩いて登校することに対してはちょっと心配ではありましたが、その他の条件が気に入っていたので土地を買うことにためらいはありませんでした。
幼稚園は徒歩5分の距離。こどもでも10分はかからない。
高校以上になって電車を使うようになっても、駅まで近い。
入学してしばらくは大変だろうけれど、通っているうちに慣れて体力もつくだろう。
そう思って家を建てました。
小学校低学年のうちは近所の子たちと集団下校する決まりになってはいたけれど、学校から離れるにつれて当たり前だけどどんどん人数は減っていく。
長子の時、友達と別れる場所が我が家の窓から見えていたのでまだ安心できていたけれど、別れた後の子が住宅街を一人で帰って行くのが心配で、こどもと一緒に送ることも多かった。
ちなみに途中まで一緒に帰ってくる子は末っ子でその子の親は私ほど心配していなかったため、帰りが遅いときだけ途中まで様子を見にくる、という感じでした。
だけど、私が心配して見送ることは「私が勝手にやっていた」ことなので、ちっとも苦ではありませんでした。
なぜなら、その末っ子とは幼稚園から一緒だし、そのママは幼稚園や小学校のことを教えてくれるなどして私を助けてくれていて、母子ともに仲良くしていたため。
私の意識的に「大切な子」の範囲内でした。
日本を離れて海外で暮らしていた時期はスクールバスを利用していたので、送迎はマンションのエントランスまで。
バスが遅れるとヤキモキすることはありましたが、バス内には添乗員さんがいて大人の目があるという安心感は大きかったです。
日本に帰国後、歩いて登下校をした経験のない子がちゃんとに歩ききれるかが心配でしたが、近所には同学年の子たちがいたので、見守りの心配は減りました。
帰ってくるのが遅くても、近所の子たちと一緒に帰ってきているので、お迎えに行くのも1回にまとめることができたためです。
一時期地元を離れていたにしても、幼いころより一緒に過ごしている近所の子たちはもちろん「大切な子」。
「大切な子」と思えるのはママたちとの関係が良好だからというのは大前提だけど、近所の幼なじみの子たちは自分の子ではなくてもそれに準じるくらいの存在。
自分の末っ子が低学年ではなくなっても、近所の子たちが新たに入学すると、今度はその子たちが気になる。
それから、我が子が仲良くなってくる隣近所の子たちのことも。
そういう半分無限ループみたいなのを繰り返して早数年。
不審者情報が出ればもちろんのこと、近くの小児科が休診日の時は下校時にその近くで見守りをすることを続けている。(診察に来る人がいなくて人目が減るため)
こどもの同級生や近所の子は顔見知りだけど、その他の子たちにとっては私は「知らない人」。
だから見守り中は必ず保護者カードを首から下げて「おかえりー」と声をかけることにしている。
最初は警戒していた低学年の子が自分から「ただいまー」と声をかけてきてくれるようになったり、反対に思春期に突入した高学年の子が急に会釈だけになってしまうこともある。
それでもめげずに声をかけ続けていると、思春期が安定し始める女子たちは私につられて手を振ってくれるようになる変化が出てくる。
そんな変化を目の当たりにすると、声をかけ続けて良かった。と心から思う。
最初は自分の子が心配で始めた見守り。
こども達が大きくなってきて、まわりを見る余裕が生まれてからは防犯のためにやっている。
『学校から離れた場所だけど、大人の目があるよ!』
子供たちには見守られている安心感を、不審者には抑止力として。
もちろん、私の都合で見守りができないときだってある。
また、末っ子が小学校を卒業したら、見守りはしなくなるかもしれない。
今私が見守りをするのは「自分にできることをできる時にやりたいから」。
でも、私が見守りを卒業した後、誰かが私と同じように思って見守りをしてくれるようになると良いな。