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夢の引越し便 #5-②結

タカハシ運送は、ごく普通の景気の悪い運送業者のようだった。広いトラック乗降場と簡素な事務所。門には錆びが目立った鎖が干からびた蛇のように地面にこびりついていた。
門の傍に立てかけられた横幅2メートル程の看板は、知っている人間だけが「夢の引越し便」と読めるくらい塗装が剥げ落ちており、看板の裏面には何年か前のものと思われる選挙の宣伝ポスターがしわしわになって貼りついていた。

僕はトラックから降り、事務所の中に案内された。事務所の中には誰もいなかった。埃が舞い、黴臭く、事務仕事が進む環境には到底思えなかった。
青色の羽の扇風機、黒電話、どこかの硝子屋が用意した社名入りの鏡など、古臭いものを日本中から集めて展示会を行なっているかように、その事務所は現代を感じさせるものなど何一つ存在していなかった。

「ただいまお茶をお出ししますので。少しお待ちください。温かいお茶でよろしいですよね?」

彼は僕の返答を待つことなく奥の給湯室と思われる小さな部屋へ入っていった。どこにも客が座れるような椅子は無く、僕は立ったまま、辺りを見まわすしかなかった。
薄汚れた壁には大きなカレンダーを裏返したような艶のある紙に「料金の回収強化・徹底月間」と太い黒マジックで書かれた指針が貼られていた。
2つ向き合うように置かれた灰色の事務机の上には書類やファイルなどは一切無く、朝刊と灰皿が置かれているだけだった。

「お待たせいたしました。さあどうぞ。社員の机ですけど。そちらにお掛けください。」

彼が持ってきたお茶は、僕が想像した通りの青い縦縞の湯呑で、お茶の味などこれっぽっちもしない酷いものだった。

「あと5分ほどで支店長の電話会議が終わりますので」
「電話会議?」
「ええ。支店長の部屋はこのフロアの下にありまして、毎週木曜日の朝は、全国の支店長との電話会議を行うことになっているんです。」
「この事務所からは全く想像できないことをやっていますね。」
僕は感じたことを正直に言った。

「支店長は、以前は東京本社で勤務していたエリートです。詳しい実績はお教えできませんが、会社の発展にとても貢献した人間なんですよ。」
「会社の発展。」
「ええ、会社は発展しました。」
「そうですか。」
「あの人がいなかったら今の私はありません。」
「そうですか。」
「ええ、家族を養っていく事だって。」
「ところでそのネコのマーク、何か意味があるんですか?」
「意味ですか?」
「ええ。」
「さあ、これも支店長が考えたマークですけど、今まで意味など考えた事も無かったです。」
「そうですか。」
僕はもう一度辺りを見まわしたが、これといって興味を引くものは見当たらなかった。

「そろそろ行ってみましょう。」

彼はすっと背筋を伸ばし、立ち上がった。僕は無意識にお茶を全部飲み干し、彼の後についていった。いったん事務所の外にでて、裏側に周るとコンクリートの階段があり、奥にはピンク色の鉄のドアが見えた。
「この下に支店長がおります。私は事務所で電話番をしていますので、どうぞごゆっくり。」
と言うと彼は頭を深く下げ、事務所に戻って行った。

階段はとても細く、そして急で、僕は両手で壁を伝いながらゆっくりと階段を降りていった。ドアの前まで来た時、やけに冷ややかな感覚がドアの方から感じられた、僕は深呼吸をしてからドアを開けた。
目の前には薄暗い部屋がただ一つあるだけだった。
3メートルほどの高さの天井から垂れ下げられた蛍光灯が2本点いている。背の高さくらいの本棚が幾重にも重なるように並んでいて、部屋全体を見通す事はできない。
僕はもう一歩踏み出して、
「すみません」と小さな声でいった。

「はい、どうぞ」

本棚の奥から声がした。支店長と呼ばれていたのは女性だった。スリッパを引きずる音がして、彼女は僕の前に現れた。支店長は40代くらいで全体的にふっくらとしていて、紺色のカーディガン、黒の膝丈のスカートが図書館の司書を思わせた。支店長は笑顔を浮かべ、手を応接セットの方に向け、僕を奥座に誘導した。

「あなたが、ここの支店長さんですか?」

「はい、そうです。あなたがいらっしゃるという話はタナベから聞いております。わざわざお越しいただいてしまい申し訳ありません。」

「いえ、僕もいろいろと知りたいことがあったので。」

「何から話しましょうか?今回のあなたのような件は、私たちにとっても特別な事例になりました。全てをお話する必要があるかもしれませんね。」

「時間はあります。僕が理解できるように話していただけますか。」

「わかりました。では、私達の会社のお話から。」

「ええ。」

僕は、上の事務所の椅子とは格段に違う座り心地の良いソファーに深く腰を沈め、首を1回転させた。
支店長は僕の目を見ず、蛍光灯の薄い明かりをぼんやりと眺めながら話し出した。

「私達タカハシ運送は、「夢の引越し便」チェーンの一つの支店です。
4年前までの当社は通常の引越し業務を専門とした会社でした。
他社に比べてこれと言って大きな宣伝もしていませんでしたし、強みもありませんでした。車両数の関係で都内から都内への引越ししか請け負えませんでしたし、家族経営だったのでのんびりとした危機感が無い仕事をしておりました。いずれそうなるとは感じていたのですが、大手の引越し業者がニーズに合った引越し価格の設定、便利さなどを打ち出していった結果、私達はお客様を失い、食べて行けなくなってしまったのです。」

支店長は一度頭を下に落とし、その後ゆっくりともう一度上げ、僕の方を見た。

「その時社長だった私の主人は経営に自信を失い、ある日蒸発してしまったのです。やむを得ず引き継いだ私もずっと厳しい生活が続きました。」

「いまだにご主人は戻って来ていらっしゃらないのですか?」

「それがいなくなって1年くらい過ぎた頃、突然目を輝かせて戻ってきたのです。」

「それは良かった。」

「『見つけた。本当にやりたかったことが!』なんて言いながら。そうなんです。主人がこの『夢の引越し便』という会社を見つけてきたんです。
今は北関東に分社した会社の支店長をやっています。」

「本当にやりたかったこと、それが『夢』を運ぶことなんですか?」

「そう、普通の人では考えられないでしょ? 『夢』を運ぶなんて。」

「もちろん。僕は今でも。」

「それができるんですよ、ある能力さえ身につければ。」

「ある能力?」

「ええ。 『夢』を吸収する能力です。」

「夢を持っている人から、情報を詳細に聞き出し、それを自分の夢として自覚し、保護し、運ぶんです。もちろん、訓練を受けないとそこまですることはできません。他人の夢なんて所詮他人の夢なんですから。」

「もし。仮に『夢』を運ぶことができたとして、依頼する理由なんてあるんですかね?今回のマユミさんは『あまりにも大きい夢だったから』って言ってたけど、普通夢なんて他人に運んで貰おうなんて思わないですよね?」

「理由ならいくらでもありますよ。たとえば、上京する時に何かしらの夢を持って上京するでしょ。その人達は、おそらく沢山の不安を抱えているはずなの。本当に叶う夢なのか、どうしたら実現できるだろうか。この夢が自分の本当の夢なのだろうかとかね。私達の仕事は引越し前にその不安を取り除き、引越しの踏ん切りをし易くすること、そして、ここからがとても重要なのだけれど、《『夢』を忘れさせない》ことができるの。私達が、運ばせていただいた『夢』に向かって、お客様はずっとそれを追い続けることができるの。」

「どうしてです?」

支店長は体を前に乗り出し、僕の眼だけを見て話し出した。

「一般的には夢は自分で抱えているものでしょ。自分にとって大切な人には話すかもしれないけど。でも、それはさっきも話したけど、とても意味の薄いことなの。自分だけで抱えている夢ほど壊れやすいものはないわ。初めからそんな夢なんて持ってなかったって思えるんだもの。人間は逃げられることを知ると必ずと言っていいほど逃げてしまう生き物なの。でもね、私達に依頼するとその『夢』は絶対に壊れない強固なものになる。これは精神論ではなくて経験上確かなことなのよ。理由は2つあって、一つは一度その夢が自分の心から完全に離れることによって、移動して戻ったときにとてつもない愛着と執着心が生まれるの。もう一つは、私達が『夢』を扱うプロだから。この場所にある沢山の本はすべて伝記なの。過去の歴史に残る偉人たちの自伝やそうでない一般の人間の日記まで、全支店それぞれに違った伝記が保管されているの。私達はお客様とお話をしていない時はほとんどここで本を読み、様々な人の「夢」や「志」を蓄えるのよ。そうすることによってお預かりした『夢』をひとかけらも壊すことも加工することもなく、ただ強くしてお届けすることができるの。」

「依頼者は相当な覚悟がいるわけですよね。一度心から離れてしまうことを怖がらないのですか。」

「そうね。だから『引越し』なのよ。これはビジネスだからとても泥臭い話になってしまうけど、上京前の希望に満ち溢れた人達に対して営業していった方が、夢を預けていただけると思わない?上京してしまって様々な誘惑や夢の選択肢を知ってしまった人達に『夢』をしっかり追いかけなさいって言っても重宝されないわよね。」

「なるほど。」

「もちろん、私達はそういう観点だけでこの仕事をしているんじゃないわ。『夢』を実現させようとしている人達はとても輝いている。その人達の手助けってとても素敵だと思うの。主人もそう思っているわ。」

僕はなぜか無性にタバコが吸いたくなったが、灰皿が見当たらなかったので我慢することにした。
支店長は僕の気持ちを察したのか、「コーヒーでも飲む?」と言って部屋の隅のほうから、温かいコーヒーを持ってきてくれた。シナモンの香りがするとても美味しいコーヒーだった。

「さて、ここからが本題なのだけれど、さっき今回の件が特別だって言ったけど、何故だか分かる?」

「マユミさんが依頼したにもかかわらず、請求が僕に来たこと。それにマユミさんにはその『夢』がまだ届いていないこと。」

「そうね。その通りだわ。でもそれは結果が見えていないからなのよ。」

「結果?」

支店長は大きく息を吸い込んだ、右手で左胸を押さえた。

「私達は約束通り、マユミさんの『夢』を届けたわ。」

「いや、彼女は『まだ届かない』と言っていたんですよ。」

「そう。その時は届いていないの、厳密にはね…。まだ分からない?」

「彼女の夢は『あなたに会うこと』だったのよ。」

「え?」

「言い直すわ。『あなたに会って溶け込むこと』だったの。そして、これは私も後から気付いたのだけれど、マユミさんは、あなた自身だった。あなた自身があなたに溶け込もうとしていたの。マユミという空想の人間を創り出してね。おそらくあなた自身の消えかけた『思念』というのかしら、『記憶』と呼んだ方が正しいかな。それを運び、『夢』を導き出すために彼女は現れたのよ。」

「なぜ、そんなことを。」

「きっととても大切にしている『夢』が何かの影響で消えかけてしまったからじゃないかしら。それは私にも理解できないわ。だって、私自身も彼女と彼女が依頼してきた『夢』を実際にあるものとして認識してしまったのよ。それ以上に強い『夢』があなたに内包されているとしか思えない。」

僕は手のひらの上に載せたコーヒーカップを眺めながら、マユミと会った日のことを思い返した。
空を見上げるマユミの姿が水滴で曇ったガラスをタオルで拭き取る時のように少しずつ鮮明になっていく。確かにマユミは僕の中に入ってきたのだ。僕の心の中に。こぼれる涙とともに。
『記憶』が怪物に食べられていくそれを、彼女は阻んだのだ。もしくは、ヒトミとの記憶を思い起こさせたのはマユミなのかもしれないと感じた。

「でも、彼女を受け入れた今になっても僕は自分の夢を明確に表現できないでいる。」

「それは無理よ。だってあなたは今、『夢』を導き出すための『記憶』を手に入れたばっかりなのよ。これから消えない『記憶』があなたの『夢』を導き出すんじゃない?とんでもなく大きい『夢』がね。きっと出てくるわ。」

僕は僕でない気がする。とても。それは、日常的なことだ。
だが、受け入れなければならない気がしていた。

「さて、素晴らしい引越し作業だったわ。あなたに感謝しなきゃ。絶対に忘れることなんてできない。私も自分の夢を以前より強固なものにすることができたし。今回はあなたに依頼した意識がないことと、私達プロがマユミさんを見抜けなかったのだから料金はいらないわ。ただ、あなたの『夢』がはっきりしたら、また私のところに来てね。絶対に壊れない強い『夢』にして差し上げるから。」

支店長は僕の眼を見つめ、微笑んだ。
そして僕に向かってゆっくりと手を差し伸べた。
僕は大きく息を吸い込み、支店長の手を握った。
支店長の手はとても温かく、
僕に特別な力を注いでくれたように感じた。

「いってらっしゃい。」


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