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持たない生活のススメ。

僕はもともと荷物が少ないほうだがひょんなことから、ミニマリスト、アドレスホッパーなるものを体験したので、良かったこと、学んだことを書いていきます。

ミニマリスト、アドレスホッパーってなんだろう。

コトバンクを調べると以下のようなことが書いてあった。

ミニマリストとは、「持ち物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人」 
アドレスホッパーとは、「一か所に定住せず、ホテルや友人宅などを移動しながら生活し、仕事をこなすライフスタイル。」

ミニマリストは、ちょっと定義があやふやでわかりにくい、都市部では必要なものはお金があれば揃うし、そもそもバックパック一つで、生活など容易いが、田舎ではそうは行かない。車も必要になることもあるし、どのような生活区域に住んでいるかによって、言葉の定義が変わってしまう気がする。

それに比べ、アドレスホッパーはわかりやすい。
生活している場所が固定されていないということ。
要は家がなくても滞在できる場所さえあれば、OKということになる。
ホームレスもある意味、アドレスホッパーに近いのはないかと思う。

僕なりの解釈だけれど、両方なにかを所有することを手放した人だ。
ミニマリストは、使わなくても済む物を、
アドレスホッパーは、住む場所を、


なぜ、ミニマリストになったか

もともと僕は、ミニマリストに近い存在ではあったけれど、近頃はスーツケース二台に収まるレベルでものを減らしてきた。

きっかけはあまりいい理由じゃなくて、僕自身の欠陥をカバーするためのもの。
ものをよく無くす、必要の無いものをたくさん買ってはすぐダメにする。 
あまりにものを管理することができないので、とことんものを減らして自分が管理できる限界まで、減らすようにした。  
良い例はカバン。僕はかばんを気分で変えてしまうとなにか忘れ物をするので、一つしか持っていない。
たくさんものがあるとそれだけ、無くしもの、忘れものがふえるのだ。そうなると、必然的に周りのものもどんどん統合して良いものを買って、長持ちさせ、物をたくさん持たないようにするようになった。

また、身の回りのものを選ぶときに、本にも影響を受けていて、特にこの2冊が今でも読み返すほど、バイブルになっている。

・仕事のできない僕が食えるようになったすごい仕事術-借金玉
・人生がときめく片づけの魔法-近藤麻理恵

特に、こんまりの人生がときめく片づけの魔法は、自分の人生観すら変えてしまうもので、自分の身の回りを大切に思えるものだけで、構成していくと、ものが溢れないようになった上に、人間関係も何故か整理されていったのには、驚きました。読んでない人必読です。

なぜ、アドレスホッパーになったか

家の雨漏り修繕をしない家主に、催促したら、そんなこと言うならでていけという話になり、そのまま出ていくことに。それが住む場所を一度無くしたきっかけ。
出ていかなくても良かったんだけど、話題のアドレスホッパー試してみたかったし、雨漏りももう嫌だし、お金も無いしなので、試してみることにした。

住むところは何人か友人に掛け合い2拠点での生活をすることになって、友人の家✕2とネットカフェを利用しながら生活していました。
荷物は、各友人の家にスーツケースをおいておき、必要なときに取り出す。

実は、この時、友達に家賃は払っていません。
断られたということと、家事を僕がやることで、ある程度納得してくれたので、家に家賃がかからなかったです。

ホテル住まいも考えましたが、あまりにもコストがかかるので私は利用できていません。1日5000円とすると、月に15万円ほどコストがかかるので、ちょっとそこまでは出せないなって感じ。

結果としては、3ヶ月ほどトライアルをして、自分には合わないと思い、今はきちんと家を借りています。

固定した自分の居場所が無い部分において、合う合わないがあると思いました。
もし、固定する場所のある2拠点生活で休日は田舎または実家に住んで、平日だけ都市部にでてくるのであれば、その生活をしていたと思います。

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それらを通して、感じた良さ。

一度必要ではないと思われるものを手放す経験をすることによって、自分の人生を考え直すきっかけになったのは、大きいです。
本当に必要なものは限られていて、

・自分が愛しているもの。
・自分が必要だと感じるもの。

この二つが基本ベースにあれば、他のものはまず必要が無いと気付かされたからです。

もし、手放したとしても、本当に必要だったものは自分が素敵だと思える形で新しくなって帰ってくることが多いし、必要がないものはそもそも記憶にすら残らないので、全く問題になりませんでした。

そうして、ものを手放せるようになって、僕が大きく変わったことは人間関係も手放せるようになりました。
仲良かったけれど疎遠になったり、ふとしたきっかけで嫌われたりした人間関係を前までは機嫌が治りそうになるまで観察したり、なんとか治そうとアクションを起こしてみましたが、うまく行くことはありませんでした。
なんとか人間関係を戻そうという思いを手放すようになってから、実はそのようなトラブルが起こること自体がさよならの合図なのだとわかって、軽やかに手放すようになりました。
そうしてストレスが減ったことが、この生活を経て僕が一番良いと感じたところです。

必要なものをその時々に応じて持っておく、必要がなくなればきちんとさよならする、きちんと手放せば空いたところにまた何か入ります。

人の腕に抱えきれるものって実はそんなに多くない。


不便だと感じたこと。

正直いうと、手放しすぎました。
というか、必要なものまで捨てすぎました。

僕がミニマリストになるきっかけは、1年ほどまえから遡り、実は関西西宮から、東京に引っ越すことも大きく関わっていて、その生活に合わせるべく、必要じゃないと思われるものをたくさん捨てました。

例えば、人間関係。
もう連絡しないかなと思っていた人間関係をすべて切り、LINEのアドレスを300->100程度まで、削除を行いましたが、大失敗。
実は東京に来ていた学生時代の同級生はいっぱいいて、彼らの連絡先まで、消してしまったので、しばらく東京で孤独に生活してしまったのは、私の中では良くない経験でした。(もちろん、友達経由でもう一度送ってもらった連絡先もありますが。)

あと、僕にとってベースを手放したことによって、自分らしさがなくなってしまったことが大きいかもしれません。
10歳からずっと、続けてきたベース。
いろんな人とのつながりを紡いできてくれたんですよね。

たとえ、演奏しなくても、ふとした人間関係の繋がりを作ってくれたり、自分が好きな音楽や、自分が大切にしてきて、されてきたものを手放すと心に隙間が空いて寒いです。


持たない生活を通じて

前よりかは少し、落ち着いた暮らしをしている。
物欲は減ってはないけど、買うことで、今大切にしているものを大切にできなくなる可能性があるなら買わない選択肢を持てるようになった。

また、自分が大切にできるものの数には限界があり、それを超えてしまうとどうでもいいものが日常に増えていく。

今人生で、しんどい時期だったり、代わり映えのしない日常に辟易としているならば、腕にかかえているものが抱えきれない程になっているのかも。
両手がないと、整理できないのだから、そういうときは僕は一度すべて手を離して、必要なものだけ、もう一度、握りしめたいと思う。



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