見出し画像

親愛なる私の魂の片割れへ


初めまして。
これを読むほとんどの人は、私のことを知らないでしょう。私は普段、カチャサと名乗っています。過去、私は「底私専イ」として生きていました。


この度、私が筆を取ったのは、私にとって魂の片割れと言っても過言ではないほど、私の人生に大きな影響を与えた、ジェン鬱という一人の人間が、亡くなってしまったからです。

 いいえ、ジェン鬱を私の魂の片割れと呼ぶのは、実際には正しくなく、正しくは作家「上総とろ」こそが、私の魂の片割れだと、そう思っています。

 実際のところ、ジェン鬱とは上総とろであり、上総とろとはジェン鬱でした。しかし、両者には大きな違いがあり、ジェン鬱のことを「ジェン鬱」として、その死を悼んでいる人と私との間には、大きな隔たりがあるでしょう。

 私にとって大切な存在であった、ジェン鬱のことを、「上総とろ」として憶えている人間が、果たしてどれほどいるのでしょうか。

 作家「上総とろ」との出会いは、中学校三年生、年齢にして15歳のときのことでした。創作物をアップロードし、コミュニケーションをするSNS「pixiv」。そこで彼女が投稿していた作品に、私は一目惚れしてしまったのです。

 そこから、私は彼女のプロフィール欄に記載されたTwitterアカウントをフォローし、匿名ツールなどで質問などをしながら、徐々に、彼女と距離を詰めていきました。

 初めての会話を、今でも憶えています。

「見たところ、あなたは中学生のようですが……」から始まったそのメッセージは、端的に説明するならば、「あなたが好んで読んでいる私の作品には、年齢制限がかかっているはずだ。あなたが、年齢を詐称して私の作品を読んでいることを私は認識している。そして、それは投稿主として、作家として、決して看過することはできない。せめて、他者から見ても年齢がわからないようにしてくれ」という、耳の痛い内容でした。しかし、最後に「あなたのツイートを見てみると、あなたはずいぶん賢いようだ。あなたのように聡明なら、たとえあなたが18歳未満であろうと、私に対して不快な問題を起こしたりはしないだろう、と信頼して、あなたのフォローを認めます」と、書かれていました。このメッセージを読んで、私はとても嬉しくなって、後から読み返せるよう画面を保存し、何度も見返したことを覚えています。一目惚れするほど素晴らしい作品を描く作家に、自分の存在を認めてもらえた。その事実は、私にはあまりにも甘美なものでした。思えば、そこから私の「上総とろへの執着心」が、始まったのだと思います。

 私がなんとか中学を卒業し、高校に入った頃、彼女はとあるアニメキャラクターのなりきりをする界隈に属していました。私は、中学を何としてでも卒業するため、そして、何としてでも高校に入り、うまく馴染もうとの思いで、しばらくインターネットから離れていました。アカウントを復活させ、彼女のツイートにいいねを押していた時、「中学生姉貴さん、生きてたんですね」と彼女は言いました。

 この、「中学生姉貴」という渾名は、彼女と、そのご友人との間で、私を呼ぶのに使っていたもののようでした。

確かに、私が彼女と出会った頃、私は中学生でした。私は昔、情緒が不安定で、鬱憤をぶつけるように、Twitterに奇怪な文章を書き連ねていました。そのことが、彼女と、そのご友人の間でよく話題になっていたようでした。

 悪い気はしませんでした。なぜならば、私はすっかり上総とろという存在に惚れ込んでいたからです。まるで、卵から孵ったばかりで、初めて動くものを見た、雛鳥のように。

 先程書いた通り、彼女はとあるアニメキャラクターのなりきりをする、界隈に属していました。最初の頃、その界隈での彼女のユーザー名は「ジェンダー研究で鬱病になったアライさん」でした。それが次第に短くなり、最後には「ジェン鬱」になったのです。

 さて、「これは彼女と親しくなるきっかけになるに違いない!」と思った私は、その日のうちにその界隈に暮らすためのアカウントを作り、「ジェンダー研究で鬱病になったアライさん」を、フォローしました。その時の名前は、「底辺私立専門学校に通うアライさん」、略して「底私専イ」でした。

 すでに、その頃のアカウントは削除してしまい、また、彼女のアカウントも、紆余曲折あってご友人の管理するものになり、現在は当時の私たちの会話を確認することはできません。しかし、私は彼女と、なりきりアカウントで初めて話した内容を、今でも憶えています。本当にくだらない内容なので、あえて書くこともしませんが、その頃から、距離感がぐっと縮まって、交際を意識したものになっていたのは確かです。

 付き合おうか、となった経緯や、詳しい日時を思い出せないことを、悲しく思います。私が彼女という存在を追いかけて、なりきり界隈に入り数ヶ月経った頃、ちょうど冬の季節に、私たちは交際を始めました。

2019.12

 当初、彼女は「お互いがお互いのことを好き合っていることはよくわかっているはずだ、だから、交際関係という枠に無理やり当てはまる必要はないんじゃないか」と、言っていました。その頃から今日この日に至るまでの紆余曲折、数多くの苦難を考えると、彼女のその言葉がいかに正しかったが、よくわかります。

「フェネック(界隈用語で、彼女という意味)ができたのだ!」という上総とろのツイートには、祝福する声に混じって、いくつか批判するものもありました。そのなりきり界隈には、精神を病んでいる人や、金銭的に、身体的に厳しい環境にいる人が多く集まっていて、その性質上、「交際者ができた」という、言ってしまえば「私は幸せになりました」という報告を、快く思わない人がいるのは、当然のことでした。彼女はそんな声にこう返しています。

「付き合ってるけど毎日号泣しててお互い死ぬって言い続けてるよ」

「共依存になってる」

 そう、彼女の言葉通り、私たちは共依存関係に陥っていました。当時、私は九州に、彼女は京都に住んでいて、いわゆる遠距離恋愛というものをしていました。気持ちを繋ぎ止める術は、SNSで頻回に会話をすること、電話をかけて相手の声を聞くことでした。

2020.1

 でも、私と付き合いはじめてから、彼女は明らかに情緒不安定になっていきました。深夜、彼女から電話がかかってきたかと思うと、彼女は飲めないアルコールを飲んで、泣きながら私の言葉を求めていたり。

 「(その当時)通ってる病院の医者に、「双極性障害の躁状態で、人に迷惑をかけていませんか?」と言われたけど、それはこの前かれんさん(=カチャサ)に電話かけた時のことだよね」と、彼女は言っていました。

 彼女の最後を思うと、この状況に陥ってしまったことが、彼女の人生を破綻させた。と思ってしまいます。彼女の言葉通り、交際することはすなわち幸せではない。今になって、実感しています。私がなぜこの文章を書いているのか。それは、私が彼女を殺した(直接的な原因ではないにしろ、その要因を作った)と、そう思っているからです。

 彼女はそのうち、ある仕事を始めました。私は彼女にその仕事をして欲しくありませんでした。でも、彼女は私が止めようとしても、止まりませんでした。双極性障害の、躁状態になっていたのかな、と思っています。彼女はその仕事を続けました。私に、何を言われても。

 無力感が募った私は、とうとう自殺未遂をしました。もともと、ボーダーパーソナリティのケがある私は、その行為で、彼女の愛を確かめたかったのかな、と思います。

 家には救急車が来て、私は病院に運ばれました。想像よりもずっと大事になってしまって、困惑していたことを覚えています。医療機関や児童相談所というのは、子供の養育環境をよく観察して、情報をしっかり管理しているようでした。私の自殺未遂は、「度重なる父親からの虐待から逃れるため」に行ったこととされて、私は児童相談所が管轄する、一時保護所でしばらく暮らすことになりました。

 施設での暮らしは、彼女の死とは関係がないので省きます。ただ、この時私はスマホを持っていなかったし、面会などでスマホを触る機会もありませんでした。つまり、彼女に一切の連絡をしないまま、音信不通の状態になってしまったのです。

2020.4

 ここからは多少、勝手な憶測などを交えます。なぜなら、その時私は施設にいて、彼女の動向を知る術はなく、全て後から人伝に、あるいは彼女から直接聞いた話の、断片にすぎないからです。

 私からの連絡が完全に途絶えた彼女は、私が自殺を完遂し、死んでしまったと思っていたようでした。そして、それは彼女にあまりに大きくのしかかったようでした。彼女の中にはいつからか、別人格までもが現れていました。

 私は、一ヶ月ほどで施設を出て、家に帰り、ジェン鬱に連絡を取りました。

「ずっと心配してた、死んだと思ってた」と言った彼女の言葉は本当だったと思います。けれど、それが彼女の本当の苦しみの始まりだったのかな、とも思います。

 しばらくして、彼女から別れを切り出されました。後から知ったところによると、私が施設に行っている間に、彼女には彼氏ができていたようでした。それは仕方のないことだ、と今なら納得できます。彼女を寂しくさせたのは、私なのですから。

 でも、その当時の私には、到底許せることではありませんでした。暴言を吐いたり、恨み言を呟いたりしているうち、連絡が取れるSNSのほとんどはブロックされ、実質的に彼女との縁は切れました。

2020.7

 しかし、2020年7月4日、私が住む熊本県人吉市を、洪水被害が襲いました。私の家は川沿いにあったので、その被害を免れることなど出来ず、家は完全に水没してしまいました。私は、唯一残っていた連絡手段で、彼女に謝りました。なぜなら、彼女は、過去に自身が大学で学んでいた法学の専門書を、何冊も私に譲ってくれていたのです。しかし、それらは全て泥水の中に沈み、二度と読めなくなってしまいました。何度も謝っている私に、しかし、彼女はそれ以上に悲しんでくれました。

「賢いあなたが読んでくれるなら幸せだと思って、あなたに全部あげた」

「あなたは私の話についてきてくれる、周りのどんな人よりも優れた人だった」

そう言ってくれました。

 そして彼女は、この水害の被害に遭った私に、ネット越しに沢山の支援物資を送ってくれました。本当に、いくら感謝しても足りないほどです。あの時、彼女のおかげで私はずいぶん楽に避難所生活と復興作業に取り組めました。

2020.10

 水害の被害は落ち着き、なんとか住む場所も見つけて身を休めると、今までずっと忙しくて忘れていた、彼女への恨みの気持ちが爆発してしまいました。水害も、私の精神を不安定にさせたのだろうと思います。

私は、連日連夜、彼女を誹謗中傷し、殺人予告までしました。彼女ももうすっかり私に困り果て、迷惑していたようで、何か大きな喧嘩をした後、私は再び彼女にSNSを全てブロックされ、彼女との関わりはなくなりました。

 それから、次に彼女と関わるようになるまで、私は彼女のSNSを確認しないように努めていました。見れば、彼女への恨みや執着心で、また揉め事を起こすのは明らかだったからです。

2022.3

 何か思い立ったように、私は彼女にDMを送りました。もちろん、私が普段使っているアカウントは彼女にブロックされたままだったので、彼女が知らないだろう別アカウントで、彼女とコンタクトを取りました。

 何度も言っている通り、私は彼女に執着していました。恨む心や憎む心は、全て執着心の裏返しでしかありませんでした。だから、私が突然送りつけたDMに彼女が反応してくれた時、どんなに嬉しかったかわかりません。

 私は彼女のことがずっと好きでした。「魂の片割れ」と呼べるほどです。私にとって、あの人は常にそれほど大切な人であり続けていました。

 私は彼女に再び交際しよう、と持ちかけました。彼女は快くOKしてくれました。なぜ、OKしてくれたのか、実際のところは分かりません。ただ、私がそう提案した時、彼女は別れた男性との関係の消化の仕方に困っていました。なので、私はそんな状態で、疲れて弱っていた彼女の心に、漬け込むようなことをしたのです。

 でも、それでも幸せでした。私はずっと彼女のことが好きだったので。

2022.6

 彼女は私の家庭環境を心配し、「自分と一緒に東京で暮らそう」と、何度も提案してくれました。「自由にできるお金がない」と言うと、「なら飛行機のチケットは取ってあげるから」と言ってくれました。

 でも、私は東京には行きませんでした。

私は弱い人間でした。家族を憎み、恨み言を言って、でも結局、親元を離れませんでした。私は意気地無しでした。いろんな理由をつけて、彼女の提案をのらり、くらりと交わしているうちに、だんだん彼女の態度はそっけなくなっていきました。それは当然のことです。そして、そんな彼女の態度に寂しくなってしまった私は、再び試し行為をしてしまいました。好きでもない男性と、デートに出かけたのです。

 彼女は怒りませんでした。いいえ、私に直接怒りをぶつけなかっただけで、彼女はきっと怒っていたでしょう。私が男性とデートしたその日のうちに、また私は彼女のSNSアカウントからブロックされていました。再び、私と彼女の関わりは無くなりました。

2023.6

 時間が経ち、私はふと寂しくなって、再び彼女にDMを送りました。もちろん、ブロックされていないアカウントで。意外にも、彼女は返事をしてくれました。

トントン拍子でLINEを交換し、私たちはまた昔のように会話できるようになりました。

 ただ、このとき、一つの取り決めがありました。それは、「絶対に交際関係にならないこと」でした。この提案をしたのは彼女でした。でも、私もこの提案に賛成していました。私と彼女は、交際関係という枠に当て嵌められると、途端に全てが壊れてしまう。今までの経験の積み重ねで、それを知っていたからです。

 何事でもない話をしました。好きなタバコの銘柄、仕事が大変なこと、彼女の交際者のこと。彼女と私の日常のこと。私は幸せでした。求めていたものを手に入れたのですから。

2023.7.7
最後の時、彼女は、「辛いことがあった」と言って、彼女に処方されていた睡眠薬を、大量に服薬していました。筆者である私もまた、メンタルヘルスを患っており、彼女の飲んだ薬が何で、どれぐらい飲めばどうなるのか、把握しているつもりでした。

 見た限り、彼女が飲んだ量では到底死ねないと、私はそう思いました。なので、深く止めることもせず、「よく寝てね」と、言いました。意外にも返信は早く返ってきて、「たったの二時間しか眠れなかった」と、彼女は言っていました。「眠れないのでもっと薬を飲む」彼女はそう言って、再び送られてきた画像には、シートから取り出された、たくさんの錠剤。でも、それもやっぱり知っている薬だったし、やっぱり到底死ねる量ではありませんでした。なので、私は茶化して言いました。「2シートだから、2時間、とかね」。「勘弁してくれよ」、彼女はそう言って、「眠れないから酒飲んでる」と言いました。私は、酒と薬で酩酊している人間と話すのが好き、というあまり胸を張って言えない趣味があり、彼女に電話をかけました。

それが最後になるとも知らずに。

 最後の時、彼女と何を話したのか、それを何一つ思い出せないのです。

 その日の夜、夢を見ました。先述の通り、彼女と私の住んでいる場所はとても遠く、簡単に会える距離ではありませんでした。しかし、私は彼女と9月に会う予定を立てていました。彼女が九州にやってきてくれるのです! 夢の中では、とうとうその日が来るので、私は慌てて身支度をしていて、どんな格好で会えば彼女に喜んでもらえるだろう、と悩んでいました。

 目が覚めて、忘れないうちに彼女へ夢の内容をメッセージで送りました。

既読はつきませんでした。

次の日になっても、つきませんでした。

次の日になって、私は彼女に電話をかけました。彼女は電話に出ませんでした。

「ジェン鬱、死んじゃったの?」

そうメッセージを送りました。それにも既読はつきませんでした。

 とうとう悪い予感がして、私は彼女の交際者のSNSを確認しました。遠距離に住んでいて、ましてや身内でもない私の元には、彼女の生死に関わる情報など一切流れてきません。なので、交際者であるMさんのSNSアカウントを確認しました。

彼女は亡くなっていました。

 あとは、皆さんのご存知の通りです。

ジェン鬱は、上総とろは死んでしまいました。

 私が茶化さずに止めていれば、連絡が途絶えた時点で救急に通報していれば、彼女はまだ生きていたかもしれません。言い訳ならいくらでも思いつくのですが、彼女が既に死んでしまっているという事実の前では、全く意味がないので、何も言いません。

 きっと、彼女が最後に会話をしたのは私です。21時2分に電話をしたのが、私と彼女の最後でした。

 繰り返しますが、私は最後の会話の内容を、何も覚えていないのです。一つも思い出せません。これは彼女が私に下した罰なのかな、と思います。私は、上総とろという人間に、永久に拒絶されてしまった。そう、思います。

 最後に。彼女は、「ジェン鬱」として死んでいった。そう、思います。上総とろは素晴らしい文士でした。彼女の素晴らしさを語るには、私の言葉ではとても足りません。しかし、彼女は「上総とろ」ではなく、「ジェン鬱」として死んでいった。そう、私は感じています。

 病気でままならないこともあったのでしょう。彼女はかわいそうなほど完璧主義者で、タチの悪いことに、それにまったく無自覚でした。「完璧な文章を書けないのなら、上総とろはもう死んだのだ」。彼女はそう思ったのではないでしょうか? なりきり界隈で「ジェン鬱」になった彼女は、そんな「ほとんど死んでしまった自分を受け入れてくれる場所」。そう思ったのではないでしょうか? そして、「上総とろとして生きる選択肢」を、自ら捨て去ったのではないのでしょうか。私にはそう思えます。

 私もこの界隈に3年間、学校を卒業するまでの間、入り浸っていました。この界隈にはある「性質」があります。それは、「狂人であればあるほど持て囃される」ことです。思うに、彼女は、彼女の中にふと垣間見れる、彼女の不安定な一面に、なりきり界隈の人間を魅了され、信奉され、彼女自身もまた、「ジェン鬱」というコンテンツに成り切ろうとしたのではないか? 私は、そう思います。

 実は、私が「上総とろ」に一目惚れするきっかけとなった、彼女が心血を注いで生み出した作品には、続編がありました。彼女は、その続編を発表しないまま、「上総とろとして死んだまま」、この世を去ったのです。彼女は、「上総とろ」として死んだ己に絶望し、その絶望に魅了される人間を巻き込みながら「ジェン鬱」になり、そして、そのまま人生を終えた。そう思えて、ならないのです。

 彼女は私の人生の、魂の片割れでした。それは、今までも、これからも、変わることはありません。

私は、彼女のことをほとんど知りません。知らない、ということに、彼女が亡くなって初めて気付くような、大馬鹿者です。

 彼女を間接的に殺したと、そう思っています。そしてこれからもずっと、そう思って生きていくつもりです。

 彼女、上総とろ、ジェン鬱。

私の魂の片割れの人。

あなたのことを話せば、言葉は尽きないけれど、あなたは言葉で説明できるような、容易い構造をしていませんでした。

 さようなら。

あなたの宗派には、幽霊も輪廻も魂も、そういう概念はほとんどないらしいですね。でも、私は無宗教者です。正月の過ごし方も知らない人間です。

なので、あなたの幸福を、安寧を、この世で生き続ける限りずっと、祈り続けようと思っています。

私はあなたのことを覚えています。

それでは、さようなら。

2023.7.23

あなたの神様になれなかったかれんちゃんさまから

魂の片割れである上総とろへの追悼文

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?