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ゆくえしれずつれづれ OverdestrudoTour 20201018 心斎橋火影

今日のつれづれライブは僕にとって一ヶ月以上ぶりのライブだった。「一ヶ月ぶり何ヵ月ぶりなんて当たり前だ」という感覚の人の方が多いだろうけど。
今回のツアーは抽選ということもあったものの、僕は諸事情と気持ちの事情が重なって9月-10月のライブを3本ともキャンセルした。それによって迷惑をかけてしまった人もいて本当に申し訳ないと思ってます。

なんて自分は不甲斐ないんだろう、群青失格だ。
しばらく数日つれづれのアルバムを聴くのも歌詞カードを開くのも苦しくつらかった。
だけど「生きるとは苦しみ」だと胸に刻んできたように、それを言い聞かせるように勇気を振り絞るように聴いてみた。
やっぱりこの音が、メイの声、个喆の声、たからの声、そして小町の声が好きだ。
この好きという気持ちを僕は死ぬまで、いや死んでからも大切にしていきたい。
それが僕の生きた証なのだから。
好きで愛しいがゆえに、自分の中のわだかまりが増幅し、もしかしたらこのままだと二度とつれづれのライブに行けなくなるかもしれない。
それがたまらなく怖かった。

この負のスパイラルを断ち切るにはライブに行くことだとは頭でわかっている。
しかしそのショック療法とも言えるライブそのものが、アナフィラキシーショックとなり致命傷となり本当の最期になってしまわないかという不安もあり、楽しみであるはずのライブへの足取りが重かった。
新幹線なら次のにも乗れば間に合うけど、もしもこの飛行機に乗り遅れたら2度と行けなくなるぞ。と自分に逃げ道を無くすような気持ちで飛行機を予約した。

久しぶりの大阪。
食事や散策や新たな発見をしたり大阪の街の人の親切に触れたり、旅というものを満喫していた。しかしやはりライブハウスへの足取りは重かった。開演が近づき、周りの群青が声をかけてくれる。彼らにとっては以前と変わらぬ風景だったことだろう。しかし僕はそんな何気無いやりとりに自身の申し訳無さと周りの群青たちの有り難さを実感していた。

心斎橋火影
階段を降りていくと小さなフロアがあり、ステージにペルシャ風じゅうたんが敷かれてて、まるで四角い食パンで三角のサンドイッチを作るように境界線がテープで斜めに引かれていて、その直角二等辺三角形のステージ背面は二枚の大きな鏡になっている。
ステージの高さはこのじゅうたん一枚分で照明も決して華やかと言えるものではないが、それを支える鉄パイプなどが建築現場の足場のように生々しく、かつてここでつわものどもが闘ってきた凄みを感じる。高木さんによる注意事項のアナウンスがありいよいよライヴが始まる。


モーゼの十戒の如くフロアの中央を空けた"花道"の後方からメンバーが辞世の句を詠みながらステージに上がる。
「せーの」と小さくメイの声が聴こえたけど、このOverdestrudoツアーを観てきた中で最も揃ってる辞世の句のように感じられた。ステージの高さがじゅうたん一枚分しかないので遺書を破る姿がしっかり見えなかったものの、すっかり身に染み付いてる感覚は僕の中に生きていた。

一曲めのポストカタストロフのイントロに、僕はとてつもない懐かしさを感じた。
8月30日のcommonsense以来、ほとんどparadox soarばかり聴いてたせいもあるだろうが、彼女たちに会えなかったこの1ヶ月半が、僕の中ではとても長く待ち遠しかった。
開演前に高木さんが言ってた通りの煽りまくるセトリの予感がしたし、このコロナの状況で群青が身動き取れないの承知の上で、たからがガンガンに煽ってくる。
今回のツアーでは愛知県の都合によりZionが中止となってしまったが、Zionやこの火影のような箱では、たからの荒ぶる感じが際立つように思えるし、たから本人もその"立ち位置"を自覚しているようで、そのいたずらな感じがまた堪らない。

次いで2曲めはMISS SINS
僕がポストでつれづれを知って"初めての新曲"MISS SINSに触れてつれづれにまれ・A・小町に惚れ込んだという僕の歴史と重なった。
幾度となくライブで観てきたが、鏡越しに映る観たことのない彼女らのフォーメーションが新鮮だった。
MISS SINSは僕の中では青いイメージなのだが、ここ火影に設置された照明で照らされた今日のつれづれは全体的に赤かった。
まるで血の海でもがきながら叫びながら歌っているようだった。そうだこの赤は火影の火の色なのだ。地獄の中を彼女らと僕は、ゆらゆらと滾り燃え盛りながら命を燃やしはじめていた。

白と黒と嘘ニーチェとの戯曲も、小町の美しさや妖艶さを強く感じる曲で、ああやっぱり僕は"こまちバカ"だったんだな。どちらもとてもエッジの効いたリズムの曲だが、僕の身体はそれを全く忘れていなかった。最後のメイのDon't forgetは僕自身の叫びでもあった。

REDERAはタイトル通り、この火影で過去に何度もぶつかりながらベコベコに歪んだ鏡張りの壁面に真っ赤な照明と共に照らされながら炎のように舞い踊る無数のつれづれが、このカオスティックな時代をステージいっぱいで表現しているかのようだった。
この曲で魅せた个喆の流し目がとても色っぽかった。
後になって振り返ると「REDERAのこてつ、せくしーだった?まぁ!?ありりりー」とか言い出しそうなギャップを堪えつつ。
REDERAのエンディングでのメイが、小さな身体の全身を覆うかの如くに、毛先の朱い長い髪と長いリボンを振り乱しながらヘドバンする姿が鏡からも映し出されててとても美しかった。

からのillCocytus
四分音符のほうがカウントしやすいのにあえて八分音符で始まる"頭の悪そうなイントロ(褒め言葉)"が流れた瞬間、僕以外のどこかからも思わず歓喜の声がマスク越しに漏れてたのが聴こえてきた。
このREDERA→illCocytusというアルバム通りの展開は、定番として落ち着いたりせずに「ここぞという時」にこそ抜く「伝家の宝刀」であって欲しいとも思う。
激しい曲調の割に可愛らしさのある振り付けとのギャップがまた楽しい。

そして、まさかの我我
てっきり我我はコロナが収まり観客の制限が無くなるまで封印するものだと思ってたが、この状況で束縛されながらの我我であっても楽しいものは楽しい。理屈なんかじゃない。
だとしたらこの長いレポも要らないんじゃないか、いやこれは備忘録として記しておきたい。

ここで我我を観られたということは、この飼い殺し状態からいつか必ず解放されるときが訪れる、そう未来を確信できる我我だった。

Ways to die
たとえ身動きが取れなくても身体の内側ではあの時のライブと同じように筋肉が収縮を繰り返し燃えているのを感じる。しかしいつまでこの飼い殺された状況は続くのだろうか、このまま殺されても構わないとすら思いたくもなるが、愚かな人為によって世界中が見舞われたこんな人災なんかに負けてはいけない。ぶっコロナ、Corona should be deadなのだ。
小町の「馬鹿で在れ」のあとの残響が静寂の中を響き渡る。

ここでようやくたからによる自己紹介。
今までのつれづれのライブでは4~5曲めが終わった辺りで自己紹介ってだいたい決まっていたが、このOverdestrudoTour辺りからそれが変則的になってきたと共に、セトリの自由性とストーリー性が高まってきたように思う。

自己紹介でいったん仕切った後は凶葬詩壱鳴りから始まった。
ゆくえしれずつれづれが最初に授かった曲。
この日の小町の歌声は、まるで憑き物が取れたかのように澄んで聴こえた。あの時と同じ、いやそれ以上に僕が大好きなまれ・A・小町の歌声がそこに鳴っていた。

karmaloopを聴くたびに久しぶりという感覚に襲われる。もっとレアな曲はいくつもあるけど、karmaloopを聴けた日は貴重なというか希少なライブだったと思える。歌う側としては毎回毎回を貴重なライブだと思って臨むだろうし、各ライブがその人にとって何ヵ月ぶりの何年ぶりの貴重なライブでもあるのだから。

僕は決して「おまいつ」なんかではない。
僕は行けるライブだけを行く。それは昔から変わらないしそれを重ねてきただけに過ぎない。しかしいつしか「ライブに行かなきゃいけない」という感覚、錯覚を起こしていたのもまた事実。

僕がライブをキャンセルして断ち切りたかったのは、そんな僕自身もあったのかもしれない。メンバーが毎回ライブごとに遺書を携える意味。それは儀式なんかではない。
生きている今を、命の限り大切にして全力で命を燃やす。
僕はそう解釈しながら彼女らのライブと向き合うようにしている。スケジュールの決められたライブに向けてコンディションを整えることも大切だし、生半可な気持ちで惰性のようにライブに参加するのは無礼だとも思っている。
しかしあくまでもこれは僕のつれづれのライブに対する臨み方であって、ライブというものは人それぞれが観たいように観る自由なものだというのが原則だと思う。

ポストからMISS SINSと始まった今日のつれづれだが、この逝キ死ニ概論も僕がつれづれを、まれ・A・小町を好きになるひとつのきっかけになった。
僕がつれづれと共に紡いできた物語が、まるで見透かされているかのように思えた。

いつか高木さんが冗談混じりに「今日のセトリはラボさんを泣かすために作ってきたから」って言ったことがあるけど、たとえ高木さんにその意図があろうとも無かろうとも、その思うところが僕の心情や物語性と合致することだってあるだろう。
ともするとそれは、高木さんの体験で抱えてきた苦しみだったり、楽曲に対する想いだったり。

そしてこの日の逝キ死ニ概論の、ラスサビ前の「生きるとは─」とメンバーが各々にスクリームしながら身悶えてステージの床に項垂れていく様が、凹んだ鏡の中に無限に照らされてた姿に僕は圧倒されていた。逝キ死ニ概論っていつまで経っても正解など分からない禅問答のように難しい曲だけど、回を重ねて見れば見るほどに深みが増して面白い曲でもある。

ライブが佳境にさしかかりふと思った。
今日のセトリ、今までのつれづれの曲が盛りだくさんだけど、paradox soarの曲が少なくない?
せっかくの新譜を携えて(引っ提げてというミュージシャン用語は好きではない)廻ってるツアーなのに?


と思ってたらHowling hollowがタイミング良く始まった。
逝キ死ニ概論から続いて死の淵を彷徨う僕自身の苦しみにこの曲が寄り添い、共に死に遂げる耽美と儚さを感じると同時に、四者四様の歌声に説得力があり、このスローテンポの一粒一粒が、そして小町が創作した指先まで美しい振り付けが、僕の躯体をぱちぱちと爆ぜる音を立てながら焼き尽くし、この骨身を灰へと丁寧に粉砕していくようだった。
そうそう、この日メンバーの指先に着目してたら、メイだけでなくたからの指先にも濃い色のネイルカラーが入ってたのが印象的だった。

アルバムparadox soarではこの後Dear sorrowと続き、「君はいない、いない」の詞にもあるように灰になって散り消えゆくのだが。

僕の脳裏を条件反射的にDear sorrowが走馬灯のように廻る。そしてそれに織り重なるようにやわらかなハイハットが2カウントを刻んだ瞬間、僕は腕にmementoと書いていた。
間違いなく彼女たちが歌い始めたのはmementoだった。
ライブの尺の都合はもちろん、構成や物語性に変化をつけたいなどの理由から割愛される曲もあるだろうけど、この日のセトリの逝キ死ニ概論→Howling hollow→mementoという流れは、僕がparadox soarを曲順通りに聴いたときの物語性と合致していて鳥肌が立った。
と共にmementoでの彼女たちの優しくてあたたかい歌声に包まれながら、お花を敷き詰められた棺で夢見心地で旅立っていく自分の姿を思い浮かべた。

「ひとつ数を数え 目を開く時に
"居ない"という事実 願う弱さと狡さ」

个喆の持ち味である眉尻の下がったような切なげな歌声が、三途の川を渡りかけている僕に対するレクイエムのように聴こえてくる。
このまま目を閉じて音だけを聴いていようかと思ったその時、小町の瞳の真ん中が照明に照らされて僕の目の前が眩しくなった。
人間の瞼の奥には眼球があって、その球体へ差し込む光が反射する先というものは、物理的にはその目が向いてる先である。
つまり、
「今、目が合ったよね?」
「気のせいでしょ?」
(脳内会話)
君からそんな返事が返ってくるであろうことは重々承知している。だから僕は君に訊ねたりしない。

「今なお、消えないよ」
君がこのフレーズを歌ったときのその声と君の瞳から反射され放たれた光とが、一夜明けた今でもリフレインしている。
君の瞳が光を放ったその時、
僕の瞳は液体を流し始めていた。

これからも君たちはmementoを歌い続け、その歌をより深いものにしていくことだろう。
だけどこの日この火影で観たmementoは僕の中で永遠に鳴り響き続けるだろう。

そう、pandemicツアーの渋谷WWWで観たMISS SINSが今でも鳴り響いているようにね。
あの日のMISS SINSが再現されることはないと分かっていながら、君がMISS SINSを歌うたび、僕は周りの群青の力も借りつつ君を求め続けてきた。
今のコロナの状況では同じように君を求めることはできないけれど、たとえどんな形になろうとも君への気持ちは全く変わっていない。

僕はparadox soar発売後に、このアルバムに対する君たちからのアンサーを求め続けていた。インタビュー記事もゲスト出演したラジオも聴いたよ。
小町が多くを語らないのは今に始まった話じゃないけど、メイ・个喆・たからがどう考えているのか、せめてもう少し語ってほしかったよ。
僕はそれがとても寂しかったし、悲しかった。

しかしこの日、僕は勇気を出して火影での君たちを観にきて良かったと思う。

「今でも祈るよ Lie is fact」
というラストの小町のフレーズを僕は「I'm Still Praying」と翻訳した。
どこかで見たことのある文体──お察しの通り、それを与して翻訳した。

叫び吠えることとは祈ること、愛すること。
僕はそう考えている。

そしてまた僕の中では、「memento」と「Grotesque promise~」は2曲メドレーとしての解釈がある。「REDERA→illCocytus」にも近いんだけど、それよりもBUCK-TICKの殺シノ調ベの「In heaven→moonlight」メドレーみたいな感じ。(←伝わる人に伝われ)

しかし次いで始まったのはGrotesque~でもなければStill Roaringでもなく、Wish/だった。
初めてWish/を試聴したとき、Wish/が今度のアルバムの(ソロ曲の編を除いた)"本編"のラストナンバーになるだろうと思っていたので、発売されたparadox soarを手に取って一曲目からWish/が始まったことに意表を突かれた。
なのでこの日の本編ラストを飾るかのようなWish/は、僕が最初に抱いていたイメージ通りで、とてもしっくりきた。

「ねぇ、いつか、許されるの…?」

此処に在るし、此処に居る。
それが僕にとっての、君たちにとってのアンサーだよ。

「ぼくがまた泣いているなら 独りで泣いてしまうのなら
そんな時君は何もせずに ただそばに居てほしい」

この1ヶ月毎日のように自分に言い聞かせるように口ずさんできたこのフレーズ、ようやく君の声で聴けたのが嬉しかった。
僕も何もすることができないけど、ただ君のそばにいたい。

この日のライブは今までの曲で盛りだくさんだったこともあり、Grotesque~もStill Roaringも割愛されてしまったけど、君たちのparadox soarに対する君たちからのアンサーが、ぎゅっと凝縮されて伝わってきた。

いやぁ、実にいいライブだったなぁ…
と余韻に浸ろうとしたら、九落叫のイントロが流れてきた。
まさかこれは!
と動揺しつつ、ここから(今はコールできないけど本来の)アンコール始まったんだなと解釈した。
行けば毎回セトリを書いてはいるけど、曲数までは数える余裕は無い。

間奏後の「もういいよ笑って」のパートでは脳内では隣の群青と肩を組んでヘドバンしている。
Slave Fallも久しぶりにできて嬉しかった。
小町、君は憶えているよね?
真実が紡いだ、伝えるSignを。
君は気づかないふりしているけど。

壱鳴りで仕切り直して、九落叫でまた仕切り直した今日のセトリ、僕がつれづれを知って小町を好きになってメイを个喆をたからを好きになって、そして今でも彼女たちのことが好きなんだと改めて振り返る、まるでツアーファイナルちゃうんかというくらいの、こってこての特濃ソースである。

もうお腹一杯と思い始めてたところに、追い討ちをかけるようにLoud Asymmetryが始まった。
彦摩呂だったらきっとこう言うだろう。
「セトリの食いだおれやー!」と。
大阪だけに。
僕は倒れるまでゆくえしれずつれづれを食いつくそう。たとえ倒れても死んでも灰になっても。
だって僕の大好きなゆくえしれずつれづれが其処に在るのだから。僕の空白の1ヶ月──と言ってもこの1ヶ月毎日つれづれを聴いて真っ青に染め上げてきた空白だったが──それを埋めるのに充分な程のライブだった。

そしてそして〆はDoppelgangerで。
Doppelはスイーツみたいなもので別腹なのだ。
イントロでの四人の円陣が壁面の鏡にも映って美しく尊い。尊いとはまさにこのことだ。
円陣を解いて四人が四様に散らばる時の四人の表情が、僕はとても好きだ。
特にこの日は小町が可愛かった。
小町に可愛いと言うと小町はそれに戸惑い反発した素振りをする。それでも言わせてくれ。
僕にとっての君への「可愛い」という感情は「可愛い」と一言で言いきれない「もののあはれ」に似た二律背反が複雑に入り交じった感情を便宜的に「可愛い」と表現しているのであって。

Doppelの間奏でメンバーを囲んで一緒にヘドバンするのが大好きだ。髪を振り乱すたからを見てたら、もしかしてインナーのブリーチ部分増やした?って思った。もしかしてこの曲の魅せ方を工夫してきた?って程に綺麗に映えていた。
小町もブリーチ綺麗にリタッチしてたよね。
僕ももっと身だしなみに気を付けるよ。

九落叫もDoppelも、メンバーがフロアに降りてきて群青と一緒になる光景がいつも思い浮かぶけど、今日みたいなじゅうたん一枚分の高さしかないステージからのこの光景は、いつかまたあの日と同じような日が必ず戻ってくると確信できた。

そしてラスサビの「世界中 ゆくえしれずつれづれ」という小町パートを、小町が強調しているかのように声を上げて歌っていたのが印象的だった。
九落叫のイントロでもラストでも「ゆくえしれずつれづれ」「つれづれに…」と小町が歌い続け、Doppelでも小町がそう歌い続けていることの尊さを改めて噛み締めている。
かつて子子子が艶奴がしだれが歌ってきた大切な歌詞をメイが小町が个喆がたからが受け継いでたりもするから論理的には矛盾もするし、かつての音源とその時のつれづれに対する想いだって今でも大切にしている。
けれどもあえて言う。このフレーズは小町でなきゃ成立しないんだと。

僕は行けるライブだけを行く。
それを積み重ねてきただけに過ぎない。
もしも明日死んだとしても悔いのないライブであってほしいといつも思っている。
現実問題これはツアーなんだし次のスケジュールだって決まってるのだから死んでしまうのは無責任だけど。
でも気持ちの上ではいつか必ず死ぬことを意識して生きててほしい。

memento mori

#ゆくえしれずつれづれ #OverdestrudoTour 20201018 @心斎橋火影
た个メ小

1.ポストカタストロフ
2.MISS SINS
3.白と黒と嘘
4.ニーチェとの戯曲
5.REDERA
6.illCocytus
7.我我
8.Ways to die
(MC;たから)
9.凶葬詩壱鳴り
10.Karmaloop
11.逝キ死ニ概論
12.Howling hollow
13.memento
14.Wish/
15.九落叫
16.Loud Asymmetry
17.Doppelganger

今日は特典会もあるらしい。
このツアーでは何本か前から特典会が解禁されたそうだが、ちょうど僕がライブに行けなくなってしまった時期と重なってたので、僕にとっては半年以上ぶりの特典会になる。
ライブ自体が自粛されてた時の配信ライブの購入特典でメンバーとテレビ通話を通じて話を交わしたことはあったけど、相変わらずそれもぐだぐだだった。

終演後にドリンク交換の列に並んでたら特典会の列がみるみるうちに長くなっていた。
どーせまた僕はろくに話もできぬまま終わっちゃうのだろうな。話したいことはこの半年で山のように積もり積もってきたのだけど、何から話したらよいのか途方に暮れるし、この1ヶ月余りのことを思えば僕なんかがメンバーに会わす顔も無いとすら思えてくる。

特典会列が進むのが思ってたより時間がかかっている。さぞかしみんなゆっくりとメンバーとの会話を楽しんでいることだろう。感染防止の観点でドアの閉まった特典会場から出てきた群青が「今日はけっこうゆっくり喋れてたよ」と嬉しそうに帰ってく姿を見ると、これは最後に急かされるパターンだな。ますます自分の運の無さ、たとえ時間が有り余るほどあっても上手に話せない自分を惨めに思う感情がフラッシュバックしてしまう。ライブはあんなに素晴らしかったのに。
しかも帰りの夜行バスは最終便より少し早いのを予約してたので、それを理由にいっそのことそのまま帰ってしまった方がどれほど楽なことだろう。
しかし一緒に並んでたナルさん・あれさんが、僕がバスに間に合うまでのだいたいの目安とそこまでの最良ルートを算出してくれて、駅まで送ってくれるために一緒に待っててくれてるのに帰ってしまうのは彼らに申し訳無いと思った。

いよいよメンバーと対面の時がきた。
个喆→小町→たから→メイという順番にそれぞれチェキ撮ってもらったけど、ライブの感想を伝えるだとかいった、まともな会話という会話はほとんどできなかった。
だからここで書いている。

个喆からは「なんで来なかったの?」と問い詰められたが、居ても居なくてもいいような存在に対してなんでそんなこと問い詰めてくるのだろうと、虚を突かれた気持ちだった。でも嬉しかった。
小町は相変わらず、日付とサインとコメントを書いてくれたチェキを「ありがとう。」と、ぶっきらぼうにビニールの上から手を伸ばして渡してきた。そのちぐはぐさに「なんだぁこいつ」と思いながら、そんな小町のことをこれからもバカみたいに、いやバカそのものに好きでいたいと思った。
たからともメイとも相変わらずぐだぐだだった。
まぁこんなものだろう。
メンバーとゆっくり話せるだなんて、どこかのパラレルワールドの話に違いない。
僕なんて存在どうにでもしていいよ。
いつもそう思ってるし、ほんとにその通りに扱ってくる君たちのことがまた好きなんだ。
最底辺の群青の端くれを嗤うなら嗤ってくれ。
でも彼女たちに会えたこと、それだけで僕はいいよ。
他人と比べたら惨めになるだけだ。
最果ての異端としてせいぜい生きていくよ。
異端で不器用上等。

メンバーそれぞれと2チェキ撮ってもらったあとは、全員と囲みチェキを撮ってもらった。
そのサインを書きながら、リーダーのメイが堰を切るように、この1ヶ月余りの僕のわだかまりを察するように話しかけてくれた。
僕の中では何が正解なのか途方に暮れていたはずだったのに、気づいたら僕はこう答えていた。
「でもいいんだよ、今日のライブがよかったから。」
それを省みることはもちろん大切なこととは思っている。だけど彼女たちの目を見て、彼女たちの優しさに触れられたおかげで、そのわだかまりが瞬く間に氷解できたように思う。
残された傷だらけのそれは消えぬままだろうし、その傷痕を見るたびそれの痛みは振り返すだろう。しかしその傷痕さえも僕にだけ与えられた世界でたったひとつのものであると。

「mementoの時泣いてたでしょー?」
たからは気づいていたのか、
「そりゃ、あの展開で流れたら泣くわー」
君たちのアンサーはmementoから伝わってきたし、僕の涙のアンサーはここに書いた通りだよ。

僕がバスに間に合うよう急いでることをあれさんがたからに話してるのが聴こえてた。
帰り際の僕を名残惜しそうに見送ってくれた个喆とたから、ありがとう。
そんな目で見るなよ、そんな目で見られたらバスに遅れてもいいやと思ってしまうだろ。

小町は相変わらず多くを語らなかったけど、今日のライブでの歌やダンスを通じて小町がそれを饒舌に語りかけてくれたと思う。ありがとう。
そしてメイ、あの日のことを気にかけてくれててありがとう。
この日は慌ただしかったけど、高木さんもありがとう。

「ねぇ、いつか、許されるの…?」

僕は今までも幾度となく君たちに伝えてきたはずだよ。
たとえ何があっても、僕は君たちの味方だよ。

20201019 らぼーちきん

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