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緑髪の女の子

余韻のあくる日の重度の寝不足の夜、
深いうたた寝の微睡みの中、僕はとても鮮やかな夢を見た。
それは記憶や描写が鮮やか、というよりも色彩が鮮やかなものだった。

あえて登場人物を書くべきだろうか、
僕が身だしなみを整えて、いざ出かけようとしてたら、その道中で鮮やかな緑髪の女の子と遭遇した。

「あれっ!久しぶり!今また緑髪なの!?」
「あれっ!久しぶり!今また緑髪なの!?」

これはどっちのセリフだったのだろう。
もしかしたら二人でユニゾンしてたのかもしれない。二人セゾンは欅坂46の曲でしたね。
いや、そういうことではなくて。

そこに居た緑髪の子は、かつてノア・ロンドという名前でステージに立っていた彼女だった。
今でも思い浮かべるのは笑った時の目尻。

当ブログでも彼女に対する記述は数え切れぬほどあるし、それを読んでKAQRIYOTERRORってなんぞや?と思った人もいるでしょう。

僕がするアレでも無いけど、事後報告ですが、KAQRIYOTERRORは4月23日をもって心鞠游以外のノア・ロンド、のなめら、RЯが脱退し、残った心鞠游ちゃんも数カ月後に脱退するという運びになりまして、事実上の解散ですね。
何やら事務所は新メンバーを募集してまったく新しいKAQRIYOを──みたいな構想あるみたいですけど、はっきり言ってどこまで本気なのか解りません。KAQRIYOの楽曲の所有権は事務所にあるのだから煮て焼いて喰おうが事務所の勝手で、「YOMIBITO(KAQRIYOファンの呼称)と一緒に作り上げてきた気持ちはどうなっちゃうの?」
などといったセンチメンタルじみたものは、釘バットでボッコボコですわ。
盲信し続けられるパブロフの犬だけがご主人様の施しを受けられるんです。
そう考えたらこれまでのnote投稿を全部削除したいくらいの衝動にも駆られますよ。KAQRIYOに関する記事の下書きもたくさん残ったままなんですよ。

https://twitter.com/codomomental/status/1713889692637380928?t=B9fkYW5IiOSHeVyup0UBkQ&s=19

こんなにグダグダなことあります?
しかもハッシュタグも間違えてるし訂正する素振りもないし。
この第一弾ライブがあまりにも悲惨なものだったとは、それをわざわざ観に行った人からは小耳に挟んでおりましたが、第二弾ライブを敢行する勇気もその集客で採算取れる目算も無かったんじゃないでしょうか?などと勘繰りたくもなります。

でも僕は、彼女たちが歌ってきた楽曲たちと、彼女たちとの思い出は大切にしていきたいと思ってるし、演者さんのことも作詞・作曲家さんのこともリスペクトしているしそこは否定したくないんです。
だからこそこういう仕打ちには耐えられないんです。
まさに「迫害される楽曲派」です。

まぁどーでもいいんですけどね!
(みつまJAPAN)

しかしそれにしても、僕が最後に会ったノア・ロンドというか最後の約1年の彼女はずっと黒髪で、僕も黒髪のノア・ロンドに見慣れていたはずなんだけどな。。。
それでも最期の数ヶ月でようやく作ってもらえた衣装でもロンドちゃんのイメージカラーは緑だった。
僕はKAQRIYOTERRORの最期のライブ、あれは忘れもしない4月23日、僕はそれまで金髪でい続けていた髪を再び緑色に染めた。
今までのノア・ロンドの集大成的に、青も多めに混合して。
僕と同じくしてノア・ロンドを推していた子もまた、この日のためにインナーを鮮やかな緑色に染めてきた。
考えることは同じだった。

やがて月日が経ち、僕らの髪の緑色もだんだんと落ちてゆく。
あの日の残像が色褪せてしまいそうでなんだか寂しかった。

そんな日々にセイちゃん(The artist formerly known as RЯ←プリンス風に)と再会した際に、おたまボンバーさんと出会い、絶世のインペリアルコレクションというグループの音楽を知り、その対バンライブで百鬼乙女を知り、おたまさんの青髪や神埼琉奈ちゃんの緑色などもグラデーショナルに加え、群青色やアイスミントグリーン(ノアロンドグリーン)ともいえると己に言い訳をするような日々を過ごしていたら、Trebleというグループに出会ってしまった。
Trebleのライブはとても楽しかったが、特典会に参加するという発想は至らなかった。
アイドルというよりもいいバンドに出会えたような喜びを感じたのでCDでもあれば買って帰ろうかな〜って思ってたら、フライヤー配ってた朔羽(さくう)いるちゃんに捕まった。
あ!緑色のインナーだ!
その日の僕は金髪だったのだが、もしも僕がその日ちょうど緑髪にしてたら「ドッペルゲンガー!」ってなっていたかもしれない。

それから僕がTrebleにはまってゆく過程は、本記事ではあえて割愛するが、そのいるちゃんの生誕ライブが10月22日に行われた。
そしてまた、その日はいるちゃんがTrebleに加入してちょうど半年記念のお祝いライブでもあった。
僕はその日のライブに備えて髪を再び緑色に染めた。
そのライブを通じて僕は朔羽いるちゃんの溢れんばかりの個性と世界観を浴びたし、自ら作詞作曲を手掛けた曲の弾き語りも素晴らしかった。
弾き語りのあとのバンドセットでのソロ歌唱、JUNIOR BREATHの「シーユーレイター」(カバー曲)のイントロでは「ターゲットはお前だ!」と下手側最前列でロックオンされたりもした。

すなわち朔羽いるちゃんは4月22日にTrebleに加入したことになる。僕がKAQRIYOTERRORのノア・ロンドの最期を見届ける1日前に、Trebleの朔羽いるがデビューしていたのだ。
それを運命論的にこじつけるつもりも無いが、4月22日に「これからたくさんライブやって頑張るぞ」と決心した朔羽いるちゃんと、4月23日をもって「もうしばらくライブに出かけるのもいいかな…」と考えていた僕が、それぞれの月日を過ごしてきてそのおよそ4ヶ月後の8月31日に邂逅したんだなと考えると、一期一会というものは実に奇怪なものであり、実に素晴らしいものである。

Trebleの朔羽いるちゃん

なんてTrebleではしゃぐ日々を過ごしているものの、KAQRIYOTERRORのことを忘れた日はないしゆくえしれずつれづれを忘れた日もない。
にも拘らず相変わらずKAQRIYOをつれづれを聴けぬ日々は続いている。
セイちゃんがカフェのBGMに流してたり、八葉谷苑じゅりあさんが配信でBGM流してたり不可抗力としてKAQRIYOやつれづれを聴いてしまったことはあったが、自らそれをプレーヤーにかけて流すことはできぬままにいる。
なんだかあの日の余韻が過去のものになってしまいそうで。

酷なことを言えば、あれは紛れもなく過去であるし、"KAQRIYOTERRORを受け継ぐ者"も"ゆくえしれずつれづれを受け継ぐ者"も、当の制作者側自らの手によってズタズタにされたのだし、今さらファン側がセンチメンタル気取る義理もない。

だけど僕の中では大切にしておきたいもの、譲れないもの沢山ある。
それも向こう側からすれば肥大化したファンのエゴなのかもしれないが。

そんな朔羽いるちゃんの生誕ライブの余韻に浸りながらの深いうたた寝の微睡みの中、僕はとても鮮やかな夢を見た。
そこにでてきたのがノア・ロンドちゃんだったのだ。

────
4月23日を過ぎてから、のなちゃん、セイちゃん、游ちゃんとも再会を果たせた。
その様子の一片は当ブログのシーシャの記事でも言及してある。
しかし、"The artist formerly known as ノア・ロンド"には会えぬままでいる。
一番会いたい人のはずなのに、一番会いたいからこそ綺麗な形で再会したく、なまじっかなことでそれを台無しにしたくないのかもしれない。
いやそんなことで崩れてしまうようなものではないと僕は信じているが。

先日、セイちゃんのカフェにて同席していたキ◯タクさんからとある話を聞いた。 
(木村拓哉ではない)
それは4月23日のKAQRIYOラストライブでの出来事について。
あの日の「憐憫パントマイム」でぎゅうぎゅうのフロアーにメンバー全員が降りてきた時の話。
游ちゃんのなちゃんRЯちゃんは下手側に集まったんだけどロンドちゃんだけ上手側ではぐれてしまっていた時のこと。
僕はそれをキ✕タクさんから聞いた時、
「ちょ!待てよ!」
って気持ちになった。
(木村拓哉ではない)
ここまで書いておいてアレだが、この話は内緒にしておこう。

とにかく僕が会えずにこうしている日々にも、"The artist formerly known as ノア・ロンド"の彼女の記憶の中では僕が生き続けていたんだなと思うと、何だかとても愛おしくなってしまった。
キ◯タクさんたちはそのセイちゃんのカフェのあと、游ちゃんのシーシャ屋さんへ流れて行ったのだが、やはり僕は会わずに帰ることにした。

帰り際、僕はセイちゃんに「先日、夢にロンドちゃん出てきたんだよ」とだけ伝えて帰った。
セイちゃんは「よかったね」と微笑んで「またね」と手を振って帰った。

いつかまた会える日まで。

ノア・ロンドちゃん

2023.11.05
Лавочкин(らぼーちきん)

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