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Dear Metaphor

最近この曲をたくさん聴いている。元・星歴13夜の天まうるのソロ曲である。
どうして今になってじっくり聴いてみたくなったのだろう。
改めて歌詞を眺めながら、この曲がネット限定試聴公開された日付を見ると2020年の12月29日とある。
つれづれのラストライブをわずか4日後に控えていた。そりゃあ聴けるはずもなかった。
Twitter上ではハッシュタグによって夜僕さんたちによる思い思いの感想がTLを飛び交っていたはずだが、僕はそれを読む心のゆとりさえもなかった。
あったとしても自らそれを閉ざしていた。
そして星歴の5人それぞれのソロが収録されて「アカシックレコード」という1枚のCDアルバムとしてリリースされたのが翌年の2021年の2月10日だった。

さていきなり本題に入るが、この曲をギターorベースで耳コピしてみたいと思いまずはコードを拾ってみたのだが、Aメロ/Bメロ/サビ共に基本的C→D→Em というラモーンズもびっくりな3コードの繰り返しで、ベースは打ち込みにでも任せておけばいいくらいシンプル。しかしそれぞれのパートでは詞メロが表情を変えて展開するという面白い曲。

天まうる "Dear Metaphor" 弾いてみた。

  https://youtu.be/oLSHPEF9jxM


Aメロでは星歴の曲で聴いて知ってる天まうるのイメージを思い浮かべつつ、まうるだけの歌声が続くという不思議な感覚をおぼえる。改めて聴いているとまうるの少々舌足らずな癖から生まれるファルセットやビブラートが、技巧的とは別次元で癖になるのである。尤も、技巧はあるに越したことはないが必ずしもそれが絶対的価値だとは思ってない。

そしてBメロで「この世は所詮ウタカタ~」とマイナーに転じるときの「この世は」と霞れる瞬間の泡となって消えてしまいそうな儚げな声に昔の記憶がフラッシュバックされる。
それはきっと僕の思い過ごしなのかもしれない。

だいぶ昔の話になるが、渋谷WWWでゆくえしれずつれづれのライブを観た日、そこのフロアーでスタッフでもあり作曲家でもあった水谷さんと、「いつかは(つれづれの)彼女たちのソロ曲を出して欲しいです。」と”直談判”したことがある。僕は「彼女がもし歌うとしたらこんなイメージがいいなぁー」と具体的なリズム案や抽象的イメージを交えて話したことがある。
しかし水谷さんは「なるほどそういうイメージか…。でもうち(コドメン)はソロだとかそういうことやらないと思うよ。でもアイデアとしては有り難く聞いておくよ。」と。僕はそれでも食い下がるように「それが叶わないのならばインストでもいいからソロで踊る彼女も観てみたいなー」なんて戯れのつもりで話したこともあった。

当時、FM富士でコドメンが時間枠を取って放送していた「コドモメンタルラジオ」でも僕は「各グループ同士のコラボも観てみたい」とメッセージ投稿したら、それがラジオで読まれてラジオに出演してた今村社長もノリノリになって「Gauche.に合わせて踊る小町とか面白そうじゃない?」って話になって、数ヶ月後の名古屋でのコドメンまつりでそれは実現した。当時の僕は遠征することなど滅多になくて、ましてやつれづれワンマンでもないのだし秋田への帰省もちょうど重なっていて…しかし、これは観ておきたかった。
行けなかったことは残念だったけど、あの日観たみんなが「小町すてきだった!」って話してたことも嬉しかったし、後日、水谷さんに会ったら「あれは君にいちばん観てほしかった」と話してくれた。水谷さんのその言葉が僕もとても嬉しかった。
なんてノスタルジー。
あの日はもう戻ってこない。
記憶の中でしか。

この曲は水谷さん作曲なんだよな…とあの頃を振り返ると、「深い宇宙の果て」だったり「静かな海の底」をイメージとして伝えてた当時のことと重ね合わせて思いをはせながら、ビートは刻み続ける。
このDearMetaphorのレコーディングはおそらく相当細切れなフレーズのテイクを切り貼りして制作したのであろう。
しかしそれは一発録りの生録音を至上とする「歌姫」的なものを求めているわけでも決してなく、1枚の音源としての制作方法として「切り貼り」はとても立派なものだと思う。
そしてこの、まるで咄家が「上下をつける」かのような"歌唱アングル"のスイッチングは、ライブで忠実再現するのはとても難しいことと思う。
今となっては──だが。
しかしたとえばメイユイメイや个喆が、それぞれの生誕ライブの機会に当時のソロ曲を今でも歌う機会を与えてもらえている有り難さ──だってソロ曲ですもの──に、いつかまうるにも再びこの曲が披露できる機会が訪れればいいなと思う。
昨年の夏に予定されていたfeatまうるのライブは実はチケット取るつもりでいたんだ。とわさんの脱退でそれは叶わぬものとなってしまったが。

話は戻るが、この曲の中で目まぐるしく移り変わる歌唱アングルとは、天まうるの持つ多面性を表現しているようにも思える。
たとえばナイトメアだったりニヒリズムだったり、この世は所詮と言い切ってしまうところに「諦観」や「厭世観」を思うのだが、かと言えば神様が決めた運命じみたものや宇宙の引力の均衡を象徴する「天秤」の上で、歪んで見えるのは世界なのか僕自身なのか相対的な視点で葛藤したり、かと思えばその天秤の上で「お遊戯」や「お昼寝」をしてしまうマイペースなほどの天真爛漫ぶり、そこもまたまうるらしい一面だと思う。

天まうるという一人の人間が持つ多面性を一曲の中に綴じ込めた、まさに彼女にとっての初めてのソロ曲に相応しいと思った。

そしてこの曲は前述したようにコード進行が同じ3コードの繰り返しで転調も無いので、詞メロのドラマティック性に反してトラックは淡々と進行する。その様はまるで映画のエンドロールのようだと思い浮かべた。
それはハイライトシーンの映像や、物語のラストの主人公のその後などが挿入されるでなく、ただただ真っ黒なスクリーンにキャストやスタッフや協賛などの名前が一体いつまで続くの?ってくらいスクロールしてゆくイメージの。
途中で退出する観客も少なくないのだが、僕はこの曲をいつまでも聴いていたくて最後に友情出演の超大物俳優の名前が出て来て監督の名前が出て来て、左下に「映倫」のマークが出てくる最後の1音の余韻まで聴いて会場の照明が完全に明るくなってから席を立ちたい。そんな曲だと思った。

今後はakugiというユニット活動を通じて、色とわが歌っていた「デイドリームスピーカー」をまうる…まるあうまが受け継いだり、あるいはこの先feat.まるあうまとして、彼女を前面に出した曲も出してほしいし、あるいはどんな形態でもいいから天まうるの歌声をもっと聴きたいと思った。
まうるちやんは自分の声が好きじゃないと言っていたけれど、僕はまうるちやんの声が好きだし、これからもいろんな可能性を秘めていると思うよ。

どうかこれからもまうるちやんの歌声を聴かせてほしいな。

Happy Birthday dear まうるちやん🎂
これからもまうるちやんの活躍と幸せを願ってます。

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2022.03.05
らぼーちきん


Dear Metaphor

作詞:GESSHI類 作曲:水谷和樹

満点の星空に 照らされてる? なんで?
遮るものもなくて ちっぽけなぼくを見た。
結末の見えぬ夢 ナイトメア逆再生
笑いかけてる音符 握りしめて噛み砕く
この世は所詮ウタカタ 儚さを孕むカタコト
誰かが泣けば誰か笑う 天秤の上のお遊戯
ノスタルジー

斜めに見る景色は 美しく思えて
歪んでるのは世界? それともぼく自身か?
なんてないニヒリズム 含み笑いの月
窓に映る自分を 嘲笑うかのように
この世は所詮ウタカタ 儚さと遊ぶカタコト
誰かが泣けば誰か笑う 天秤の上でお昼寝
You're making me cry.
ぼくがぼくで 在り続けていたい理由
わがままな程純粋 笑われててもいいや…

この世は所詮ウタカタ 儚さを孕むカタコト
誰かが泣けば誰か笑う 天秤の上の秘事
なぜだろう?の疑問符と 神様の悪戯とか
内へ内へ潜るとは アンチテーゼ表現
この場所に立ってもがく 其れが生きること同義
=で結ぶ未来 笑えるように強さを
You're making me cry.
ぼくがぼくで 在り続けていたい理由
わがままな程純粋 天翔ける閃きよ…

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