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業業の反撃へ

何かが足りない。
圧倒的に足りていないと感じている。

これはあくまでも僕個人の主観的な感情によるものだと思うし、そういった全体からすれば極々マイノリティな感情なんかよりも、ライブハウスに居た圧倒的な大多数が「楽しかった」と率直に感じられるライブを続けられていて、それで成立しているのならば全く問題のない事なのであって。
「僕は要らない」とページをめくって黙って消え去った方がいいのかもしれない。


いつも味方でいることと、盲目に追従することとは違うと思うし、そんな盲目さはお互いを堕落させてしまうことすらある。
そう自問自答する日々。
けれども僕は言いたい。

「KAQRIYOTERRORの本当の楽しさは
まだまだこんなもんじゃないだろ!」
と。

これはあくまでも僕の独り言ブログであって。
本来ならばお互いの対話によってお互いの持ち得ない視点に気づかされたりしながら、これからもっと眩しい光の差す未来への手がかりになればいいのにな。
そう思いながら徒然なるままに。

こんなブログをいつまでも完成できぬまま書いていたら、明日(3/12)の福岡公演が感染対策の事情で延期になってしまった。
それを楽しみにしていたYOMIBITOさんの気持ちを考えたらそりゃあつらいし、きっとそれ以上に君たちがつらいんじゃないかな。
それを思うと、こんなタイミングでの僕の小言なんか、まるで傷口に塩を塗るようだ。
このブログ全部削除してしまいたいくらいだ。
しかしこのまま何事も無かったように時間が過ぎて元に戻ってしまったら、二度と取り戻せなくなるような気がする。
だからあえて僕は汚れ役でもいい、これでもしも嫌われてしまったらそれまでだ。
そういう覚悟で書いている。

思い出すのはおよそ一年前のこと。
大きなものを失って空虚さが蔓延していた僕の感情、また音楽を聴けぬ日々が訪れるのでないだろうか────
しかしそれを埋めてくれるかのようにKAQRIYOの現場はいつもあたたかった。
しかしそこには、僕の心にぽっかりとあいた隙間を埋めるだけにとどまらず、僕の感情を溢れさせるくらいに満ちても満ちてもとめどなく押し寄せるほどのものがあったと思う。
いや、これこそが僕がずっと欲しがっていたものだったのかもしれない。
とさえ思っている。
これを書いている今、もう一年以上全く聴けていないとある曲のフレーズを思い出している。

赦しを乞うわ世界じゃなく君に向け
泣き叫ぶのは願いいつか届くまで
生きていく意味忘れない
生きていくこと忘れない
叫ぶよまた届くまで声にならなくていいよ?

Paradise Lost/ゆくえしれずつれづれ より

不思議なのはこの歌をあの彼女たちが歌ってた実像に基づくあの時の姿よりも、KAQRIYOがこの歌を受け継いで歌っているという、想像いや妄想の世界での姿を思い浮かべている。
紛れもなく僕は君たちに救いを求めている。

当時のKAQRIYOに関する拙ブログを拝読いただければ伝わるだろうと思うし、どれも長くなるので割愛する。(これも充分に長い)

一年前の──まさかのヤマコマロ加入からの、まだ見ぬ世界へ向けての、あのひたむきさとがむしゃらさ。
YouTube動画投稿なども積極的で、撮影は勿論のこと編集も大変だっただろう。そして東変ファイナルの横浜の前日に千葉から横浜までひたすら歩くという───歩いたところで一体何にどう結びつくのだろう───そんなの分かるはずがない、やってみなければ分からない。
とにかくあの時は「右も左も分からない」それこそがKAQRIYOの強みだった。

──今にして思えば、当時メンバーが変わって間もない頃のKAQRIYOTERROR、マロのことはみんな知っていたが、マロとロンドがステージを共にするということはゼロからのスタートだった。

──遡ること2019年の2月、ゆくえしれずつれづれから、グループの核を為していた◎屋しだれが脱退した時のUnethicalツアーの頃のことを、マロと共に進み始めたKAQRIYOTERRORに重ねて観ていた部分もあったと、今になって思う。
しだれ脱退を機にリーダーに就任したメイユイメイ、加入してまだ数ヵ月の个喆とたかりたから、そしてつれづれのメンバーで唯一結成時の時から続けてきたまれ・A・小町、この四人でのまさにゼロからの再出発は、それはもう散々なものであった。
歌もダンスもバラバラで、よりによってしだれのラストステージの翌日だったものだったから、それを目撃した多くのしだれ推し群青はつれづれから離れていった。そして四人もその状況に怖じ気づいていろようだった。
しかし僕にとっては、こんな試練の時だからこそつれづれをしっかり見守っておきたい、そう思わせるだけのぽてんを秘めていると感じていたし、まれ・A・小町が僕の推しだと決めた日から何があってもどんなに傷ついたとしても彼女の味方でいよう、そう決心したから、そこに迷いは無かった。

四人で進んでゆくと決めた覚悟、そしてたかりたからの奔放なキャラクターや个喆のグループ内での調整力(僕はそれをベーシスト気質と呼んでいる)が開花したりと、ツアーを通じてこの四人というバランスがどんどん魅力的になっていったし、メイユイメイがリードしながら歌唱力もダンスも四人が平均して過去最高レベル、つれづれ史上、いやコドメン史上最高と言っていいくらいにまで上がっていったことも印象的だった。
僕にはそれが誇りだったし、離れていった群青たちを驚かせてやろうぜ、そんな気持ちでいた。
──

ってまた、つれづれの話に回顧してしまったが、もちろん四人グループという共通項はあるものの、グループとしてのコンセプトも立ち振舞いも異なるKAQRIYOTERRORなのだから、それをトレースして映し見るのは無粋だとは思っている。

しかしあの日KAQRIYOは千葉から横浜まで歩いてゴールに到着したと同時に、横浜公演のチケットの完売が告げられた。メンバーもYOMIBITOもみんなで喜んだ。
あれは実にドラマチックだった。
あの瞬間はドラマの世界だったと思う?
それとも奇跡だったと思う?
いや奇跡なんかではなかったと僕は思う。
あの配信を観て「よし!それじゃ明日のライブ観に行くか!」ってチケット予約した人もいたんじゃないかな。
もしもあの日観に来てた人全員に訊ねても「そうです!私が!」なんて名乗り出てくる人はおそらくいないだろうけれども、あのタイミングでソールドアウトしたのだし、あの日に限らずあの日までに至る4人の頑張りがお客さんの背中を押したこと、あれはKAQRIYOとYOMIBITOで作ったリアルだったと思う。

「Trigger atq」という曲が発表された。今までのKAQRIYOの曲は喜怒哀楽織り交ぜ清濁併せ呑む悦楽的なものが比較的多かったが、当時失いかけていた僕の気持ちの、最も「痒いところに手が届く」ような感覚が喚び起こされた。
端的に言えば作詞担当のGESSHI類氏がつれづれのために温めていた構想を再構築して世に放ったようにすら思えた。それもこれもGESSHI類氏の世界の中での最もピュアな部分なのだと思う。
そしてそれをメンバーそれぞれに思い入れを重ね合わせてその歌詞を噛み締めながら昇華して歌う姿がまた僕の心を打ったのだが、僕のために書かれた曲だとすら思ってしまうほどのメッセージ性に溢れた曲だと感じた。それが「Trigger atq」の第一印象だった。

そして「Full Time Dive」と「Not Killed」という新曲も増えてKAQRIYOの歌の持つ世界観も広がり、セトリによるライブというもののストーリーの組み立て方のレパートリーも増えたし、歌唱力もダンスの技術も飛躍的に向上したと思う。
この1年間での心鞠游、季、ノア・ロンド、ヤマコマロの歌手としてパフォーマーとしての成長は、頻繁に観ていると気付きにくいかもしれないが、改めて一年前まで遡って思い返してるとそれは著しいものだったと思う。
いや、思うだけでなくそれは確信している。

そうやって新奇懐古周遊を経て、Paradigm Shiftや沖縄でのファンミとライブもあり、2022年に年が明けてVeats SHIBUYAでの過去最大級だったワンマンライブ、──検索すれば「KAQRIYOTERROR ONEMAN SHOW〜HIdamned〜」と銘打たれていたが───僕自身その日も例に違わずセトリを記入していたはずだったが、その日のライブタイトルは直前に知らされたものだったし、その日限りのグッズも無かったのでそのタイトルは正直おぼえていなかったし、ライブもどんなだったかあまり覚えていない。年越しコドメンで徹夜するくらいならもっとVeats SHIBUYAに専念してほしかった。
その一年前のつれづれのTheScreamだって年越しコドメンで徹夜した翌日のライブだった。
徹夜を終えて、元日にいったん睡眠を取る時間はもちろんある。なので当日そこに立っていることはできるだろう。
だけども一世一代の晴れ舞台の前夜って、そういうものだろうか?僕は僕なりに身を清めるつもりで元日はゆっくり家で過ごして、毎日バカみたいに弾き続けてきたギター動画を上げて「いよいよ明日か…」としばらく考えて過ごしていたものだった。
あの一体何の役に立つか分からないけど、とにかく自分にできる何かを毎日チャレンジしてみようというあの無鉄砲さ。
今はちむちゃんがそれを頑張っていて、やっぱりそういうの見てると僕だって心動かされるものはあるよ。

その後の心鞠游Birthday BASH、ノア・ロンドBirthday BASHは四人の絆を感じられ且アットホームで居心地いい、実に四人らしいライブだったので印象に残っているだけに、あの1月2日には鬼門があったのではないかとすら思えた。そりゃあ毎回毎回最高のステージを届けることは難しいし、いい日もあればそうでない日もある。
もしもまたいつか、Veats SHIBUYAでライブを行う機会が訪れるとしたら、きっと君たちはそれを「リベンジ」と思うだろう。しかしあの日君たちは悔しかったなどとは公言していないのでそう呼ぶことはないかもしれないが。

しかしこうして時間が過ぎてゆくたびに記憶というものが少しずつ色褪せて仕舞うのは残酷だ。
僕自身、日々の仕事に忙殺されながら資材や数字などに囲まれながらライブレポを仕上げられずにいる自分に苛立ちをおぼえたり、帰ったら何も考えたくない日だってある。そういうの言い訳なんかにしたくないんだけど。

そうこうしているうちにKARIYOTERRORは「ImmenseTOUR業業」という新しいツアーの初日を走り始めた。昨年よりも各自治体の感染対策も安定感を帯びてきたのだろうか、今回のツアーは廻る箇所があらかじめ比較的決まっていてツアーTシャツの背中にもライブ日時と会場が刻まれるように仕上がっていた。

しかし残念なことにそれを初日の前物販で購入することが出来なかった。物販ブースは設置されていたが、それを売る人員が不足していたのだろうか。あくまでも僕の持論だが、僕はツアーTシャツを「戦闘服」だと思っているし、それを着て「参戦」することがツアーだと思っている。
仕方ないのでその日は昨年のツアーTシャツを着て参戦していたが、アンコールでメンバー4人が新ツアーTシャツ着て登場してきたときは正直もどかしかった。なんで着てるの?って。
アンコール後のMCでも游ちゃんは「あれ?なんでみんな着てないの?」ってなっていたけれど、その経緯を察したようでその場は収まっていたが。

僕は終演後の物販でTシャツを買ってその場で着替えて特典会のチェキには間に合わすことができたが、このTシャツにはこの日のライブの汗が染みていないしセトリを書くために腕まくりをしたシワも残っていない。言ってみれば「戦闘服のコスプレ」でチェキを撮ったに過ぎないのである。この服で戦っていなかったのだから。

いよいよ今週末てふてふがてふてふ史上最大のワンマンを恵比寿でおこなう。ちむちゃんが毎日絵を描いて頑張っていたり6人が6様に気合が入っている。それはきっとてふてふにとって蜃気楼にとって特別なライブになることだろう。ウイネちゃんと6人で立つ最後のステージになるのだし。

しかし地方に住む人にとっては年に一度あるかないかの小さなライブだって、自分の街でのライブがその人にとって特別なライブであり、中高生なんかが生まれて初めてKAQRIYOでライブハウスというものを経験することだってあるだろう。それだって彼ら彼女たちにとっては一生で一度の特別なライブなのだ。たとえどんなに小さな場所でお客さんが少なかったとしても。一回一回のライブそれぞれが誰かにとっての特別であるのだから。
僕だって地元に近い横浜や、誕生日を迎えた仙台だって、両親の故郷であり僕が産まれた秋田だって、みんな特別なライブだった。

しかし相も変わらず、せっかくの地名が銘打たれたTシャツをライブ前にお客さんに用意できないのはとても残念なことと思う。僕の場合はたとえ初日にそれが叶わなかったとしても次回どこかで最初から着て行けることになるだろうけれども、たった一度きりの大切なライブのために、やはり前物販はあった方がいいと僕は思う。
感染対策のそれが広まってしまう前は、前物販にメンバー自らが立って"売り子"をしていたことが僕にとっては大切だった。
つれづれのライブでは必ず前物販に顔を出して「今日はいいライブにしようね」と声をかけるようにしていた。メジャー級のコンサートではもちろんできないことだが、コドメンのライブのそういう距離感が僕は好きだった。
あれは渋谷eggmanのつれづれとKAQRIYOの出演するCosmicBoxだった。僕はつれづれの物販に並んでいたのにその向かい側のKAQRIYO物販に立っていたロンドちゃんに声をかけられた。あのきっかけが無かったら今の僕は居なかっただろう。
感染対策で前物販でメンバーが立てなくなったのは残念だが仕方の無いことだった。
それでも新奇懐古周遊では途中からモニターを通してメンバーとコミュニケーションできるようになった時は、少々恥ずかしかったが嬉しかった。
工夫次第ではなんとかなるものだと思う。
しかしそれだけに今回のツアーの先行チケット販売のgdgdなどは、一体誰のためにツアーを企画しているのか、僕には伝わってこなかったのだ。

「たかがTシャツで」と思うかもしれない。
しかひ僕はワンマンツアーと冠されたライブである以上、そういったライブそのもの以外の”サイドストーリー”も大切にしてほしいと思う。Tシャツだけでなく、メンバーがそれぞれの土地にゆかりのある投稿をしてライブ告知することだったり、それぞれの土地で旅を楽しんでいる様子が、これから自分の地元にやってくるKAQRIYOをより待ち遠しく愛おしく感じられるようになるのだと、僕は思う。
というか、昨年の新奇懐古周遊でそれを存分に感じられたのだから。
当初はチケット取る予定の無かった場所でも、彼女たちが旅を楽しんでいて、そして日々成長している様子が伝わってくると「やっぱりここも観ておきたいな」と思うようになり追加して予定を組んだりした。あの時の君たちの努力は決して無駄なんかじゃなかったと思う。

しかしそれらのオフショット映像の投稿だったりYoutube制作には相当な労力を要したのもまた事実だったと思う。しかしそれでも増えたお客さんの数は限りがあっただろうし、それを費用対効果すなわち「コストパフォーマンス」「の「コスト」と捉え、より効率化を求めて「コスト」を削減して、黙ってても月日は過ぎてゆくし、黙ってても来てくれるお客さんだっているし、黙ってても通販のチェキくじは売り切れるし、黙っててもあっという間にファイナルを迎えて、「最高のファイナルでした!」とツイートすれば「最高でした!!」とリプを送ってくれるファンだっている。ある意味それは「省エネツアー」として楽ちんでありながらコスパの高いものとして利益を生みだすことになるかもしれない。

そんな優しい世界あると思う?あるんだな実際に。むしろ界隈はそういう世界で満ち溢れている。反吐が出るくらいにね。

しかしそんな優しい世界に生きていたいと思う?そんなぬるま湯のような世界で生きるだの死ぬだの殺されないだの歌ってて、そこにリアルは存在すると思う?
たとえリアルが無くとも、そんな「ゆりかご」のような世界で優しげな言葉を囁きながらFake気取って生きるのも「処世術」なのかもしれない。
しかしそんな世界で生きるのならば「対バン」なんか蹴った方がいい。敵前逃亡して楽に生きればいい。井の中の蛙は井戸の中で頂点に立っていれば、その方が幸せなのかもしれない。

しかし僕は思う。
その蛙が大海を知ろうと決心したその日から、いつどんな大波に打ちのめされるか知らない、それでも自分の足で泳いで渡り、自分の足で荒波に抗って立ち、そして波をも打ち砕くほどの信念と覚悟が必要なんじゃないかなって。
対バン相手を目当てに観にくるお客さんを「何これ!?KARIYOTERRORってすごい!」って圧倒させるライブでなければそこに立つ意味はないと思う。
ましてやその対バン相手のファンには”元群青”の人たちも少なからずいるのだから、どうかその覚悟はしておいてほしい。僕は勿論KAQRIYOの側に立って観ようと思っている。しかし向こうだってYOMIBITOの心を掴もうと必死で攻めてくると思うよ。

「鬼乃狗摩音頭」
あの曲は「推しの居ぬ間にこっちの世界に誘惑しちゃおう」という曲だと僕は解釈しているし、初めてロンドちゃんとチェキ撮った時、(小町の代わりに)メイちゃんからこっぴどく叱られたことを思い出したりしている。今となっては笑って話せる思い出話だし、叱ってくれたことも嬉しかった。
って話が逸れたけど、てふてふなどコドメン内で"対バン"する時の何倍もの覚悟でああいう気持ち四月の対バンに臨んでほしいと思っている。

なぜ今頃こんなことを言うのかというと、遡ること新宿ANTIKNOCKの初日。
あの日はライブハウスの音響の強さが耳に残り、それに四人のヴォーカルが負けていたのがとても残念だった。おそらく四人ともリズムを見失ったりはしていなかったのでステージ側の「返し」の音は聴こえていたようだったが、観客側へはその歌声があまり届いてこなかった。パブロフの犬のようにいつも涙を流していたカクリヨ奇想曲でさえも、涙を流すタイミングを見逃したまま気づいたら歌が終わっていた。
その後も僕はライブのリズムに乗れぬまま時間だけが過ぎゆく感覚に襲われた。
しかしそんな時に頼りになるのがアイデンティティークライシスのイントロでのロンドの「まだまだ暴れ足りないよな!」などの煽りだったりするのだが、その日のそれは2曲めで早々に使われてしまっていた。

KAQRIYOのライブはいったん始まるとほぼノンストップで本編を終えるゆえ、態勢を挽回させるのが難しい。それはまるで「ゼロヨン」と呼ばれる400mの直線コースを2台が並んで競い合うレースのようだ。そしてそのドラッグレースで相手を追い抜く際に、ニトロという通常のガソリンより激しく燃焼・爆発をする特殊な燃料すなわち「伝家の宝刀」のようなチート燃料があり、ここぞというタイミングで噴射・点火させるとマシンはドーピングした暴れ馬のように相手のマシンを抜き去ってしまうのだ。その様子は映画「ワイルドスピード」を観ていただければ伝わると思う。

ところがその新宿ANTIKNOCKでは「ニトロ燃料」初盤で既に使いきっていた。───
そんなセトリのライブの印象だった。たとえそれがあらかじめ前日までに決められたセトリであったとしても、当日のお客さんのコンディションを見計らいながら、さすがに曲目を変えることもできないけれど、フロアの空気を読み取りながらどこかで軌道修正できるようになり、たとえばフロアの空気がまだまだ温まってないようならばゲネプロで無かった箇所でもアドリブをばしばし入れてきたりだとか、それを操れるようになればもっとかっこよくなるんじゃないかな、それが今後のKAQRIYOに課されたテーマなんじゃないかな。って僕は思った。

以前のライブのように観客は声を出すこともモッシュなどをすることもできなくなり、黙って観られることに対しては未だに違和感はあるだろう。
しかしワンマンツアーでみんなKAQRIYO目当てに観に来てるのだし怖いものなんて無いはずだし、むしてやKAQRIYOがアウェーでも真価を発揮させることができることはもっと自信を持ってほしい。
群青である僕が今こうして此処に居ることが、その証明だ。

初日だったことだし、僕が抱えてきた思い入れとは裏腹に、これといったサプライズも無かったライブでその思い入れや気合いは空回りしていたかのような印象もあったが、初日だし…で片付けてしまうには、やっぱり物足りないと感じた。

空回りするくらいの勢い(トルク)も確かに大切だ。
それは初日ゆえにある意味仕方のない、しかしここからどうやってその勢いをタイミング良く点火・燃焼・爆発させて、その回転運動をいかにクラッチに乗せて徐々にシフトアップして、それを駆動輪に伝達して4つのタイヤでアスファルトを蹴ってスピードに乗せていくか、すなわち今後のライブをいかに加速させていくかをみんなで反省点を探りながら進んでいって欲しいと思った。

本編が終わっていったんステージから捌けて束の間のリラックスができたのだろう、アンコールでは四人の態勢は挽回できていて、アンコールの曲はどれも素晴らしかったので僕はその日はまぁ楽しく終えられたのだけれども、特典会で伝えたいことは伝えられずのまま。

なんか言葉がぜんぜんまとまらないのは相変わらずなのだけれども、「今日のライブは正直ちょっと…」と言いかけたが、限られた時間の中で誤解を招いたまま帰ってお互いモヤモヤするのは嫌だったし、「ところで今日のライブ、ロンドちゃん的には?」と訊ねたら「衣装のここが破けちゃって…」と無邪気に話しかけてくる君の楽しそうなお顔を見ていたらそんなこと言えずにその日は帰った。
翌週のライブに向けて彼女たちの中で何か変わり始めればそれでいいかなって。

ところが何日待っても昨年の新奇懐古周遊の時のような、何でもいいからとにかくチャレンジしてみようというスピリットが伝わってこない。
きっと今頃も僕の見えないところでライブに向けて頑張っているのだろうし。僕の観てないツアー先で更ますますの進化を遂げているのだろう。
そう信じている。

そう思うと僕なんかが余計なお節介を焼いても仕方の無いこと。であるのは頭では分かっているつもりだし、ただ黙って信じて見守ることが賢明なのかなとも思う。

しかしたとえばその日のライブのオフショット動画は、観に来た人が「楽しかったなー」と振り返ったり、固定カメラで撮影されたライブ動画に映るはしゃいで振りコピしている自分の後ろ姿をちょっぴり気恥ずかしく思えたり、まだ観に行ったことが無い人の背中を押す一助にもなってると思えるし、昨年チャレンジしていた"真世界すもグルメ"で自分にゆかりのある土地の料理に奮闘している様子に親近感をおぼえたり。
そういうのそろそろくるかなー?
って待ちわびてるけど、待ち侘びはいつしか侘しさに変わる。侘しい気持ちになりたくはないので、今度は待ち侘びることから逃げ出したくなる。
そうしていても日々は過ぎてゆくし、スタンプカードの枠が埋まらぬまま次回のライブ告知はやってくる。

「ライブに観に来ればそれはきっと伝わるはず」

それもある意味正論で、ライブは「百聞は一見に如かず」である。
しかし「よし!それじゃ明日のライブ観に行くか!」と背中を押す決め手に欠けてモヤモヤする日々が続いているのが正直な感想だ。
先行チケットの販売期間は既に終わっているし、ソールドアウトした会場はあったのだろうか、もしもまだ埋まってないのならば直前まで貪欲にアピールをした方がいいと僕は思う。
直前になって「本日23:59まで」と告げられても、たいていの人は明日の予定は埋まっているものだし、そして当日になって当日券が用意されることをツイート知っても、既にお昼を過ぎてたりすれば、もうみんなその日の予定は決まってるし、既に出掛けているし、ましてや今から遠征など間に合うはずもない。その流れがいつしかルーティンワークになっていやしないだろうか?
しかしいったんそれらをリセットして観客の立場になって考えることも必要だと僕は思う。
僕がもしも観客の立場ならば、そんな面倒なことまで逐次に事前チェックしながらライブなんか行きたくないし、僕はデジタルデバイスにおいてはまったく無頓着である。仕事中も授業中もスマホの通知にすぐさま反応できるような「現代人」にはなれない。
先日メンバーそれぞれが質問を受け付けていて、それが生配信で答えるという形式になったのだが、僕は質問を送ったにもかかわらずそれを観ることが間に合わなかった。せっかく答えてくれていたかもしれないのにごめんね。
その時間の配信で答えるのが分かっていて、あらかじめそれに間に合わなさそうなの分かっていたならば、質問なんか送っていなかっただろう。

ましてや今は感染対策で世間全体の行動に制限がかかっているのだから。しかしその制限も昨年よりはいくらか緩和されているのだし、昨年の新奇懐古周遊の時にできたことができなくなってしまった、なんてことは無いはずだと思う。
たとえいくら歌とダンスをみっちりと仕上げて臨んだとしても、それを観に来るお客さんがいなければライブは成立しない。あくまでも一般論だが。

今頃どんなライブをして僕が観てない間に彼女たちはどんなセトリのライブをして、そしてどれだけ進化と成長をしたのだろう。
以前は観に行けない間の彼女たちを見守るのにライブ動画を頼りにしていたが、今はそれも叶わぬまま。
別に動画にこだわっているわけでは決してないのだけどもね。ライブを観に来てほしいという気持ちさえ伝わるのならば。
ただマロが加入した初めての日のOblivionとThe forbidden musterbatingのライブ映像をいつまでも貼り続けても仕方ないと思ってるし、あれから一年も過ぎて成長した姿を観に来てほしいのならば、「百聞は一見に如かず」だけに頼るのは、あまりにもおぼつかないものであると僕は思う。

「アーティストなんだからお客さんには観に来てほしいのは当然でしょ?」
そんな不文律が蔓延ってる界隈に僕はNO!!と言いたい。

いつも同じ客が居るのが当たり前で、僕なんか居ても居なくてもいい客なんじゃないかとすら思ったことも過去にはあった。
しかしそれを自覚していない人も少なくないと思う。なぜならライブは麻薬でもあるのだから。
アルコール度数の高い安い酎ハイで記憶をブッ飛ばして翌朝また同じ電車に揺られて再び同じ夜にブッ飛ぶ。そんな「世の中のニーズ」に求められるままに存在する世界。それだってある意味立派な社会貢献なのかもしれない。
タイガーファイヤー叫べれば気持ちがいい、反復横飛びができれば気持ちがいい、ステージなんか見やしない。そんな彼らの需要に応えるのもある意味社会貢献だろう。ライブハウスとは一般的にバンド演奏のイメージが強いが、レコード回してそれぞれがお酒片手に好きに踊るディスコ・クラブ文化ともボーダーレスに存在しているものだと思う。
その名残が謎のドリンク代だ。ホールやドームでのコンサートにはドリンク代は無い。

そういえば僕は昔バンド活動してた時、今KAQRIYOなどが出演してるよりも小さなライブハウスで出演していた。友達や知人にチケットを売りさばいて来てもらう。いつも赤字だった。
とある日いつもと違う箱で出演することになった。そこは米軍の横田基地のそばにあるロックバーだった。バーの奥に小さなステージがあり、僕らはいつものようにセッティングしてライブに臨んだのだがその福生へは遠くて観に来てくれた友達はいなかった。お店の中でグラス片手にうろうろしているほろ酔い外国人が数人と、ほとんどはバーカウンターや丸テーブルの前の椅子に座ってる外国人ばかり。
彼らはここにお酒を飲みに談笑しに来ていた。

ところが僕らの演奏する曲が終わったとき、彼らから拍手が聴こえてきた。ほとんど日本語の曲だったし聴き取りやすい歌詞でもなかった。それでも僕たちの演奏に拍手やヒューという指笛をくれたのは、友達が観に来てくれたライブとはまた違った、とても貴重な経験だった。

これはあくまでも一般論であって僕が住んでいる世界とは別世界の話だが、それに準じたライブだって世の中には腐るほどある。
そうやって腐っていきながらやがて滅んで、再び新しいライブが芽吹いて歴史は新陳代謝をし続けている。

僕はたとえ誰彼にバカにされようとも、夢を見ながら生きていたいし、つれづれの「Exodus」という曲を常に胸に抱えて過ごしてきたし、僕のささやかな経験が少しでも君たちの役に立つのならば、なんて思いながら綴っている。

君が苦しまぬように
汚れきったこの手も
少しは役に立つのならば
僕はんて存在どうにでも
してくれていいんだよだから
そばに居てほしいと

Exodus/ゆくえしれずつれづれ より

我ながら、未練がましさとキモめの正義にまみれた「楽曲厨」ぶりに呆れ返るぜ。

以前の配信で僕は「いつかこの4人でCultural Mix~(略)を出してほしい」とコメントして今村さんは一瞬「???」となっていたけど、それをロンドちゃんは「ArchitectのがMixingで、TERRORの5人の時のがMixtureだから、今の4人で次の新しいタイトルの再録を~」って助け舟を出してくれていたのが嬉しかった。「さすが僕の推しメン分かってるなあ~」って感心した。しかし「それよりもソロ曲を」、「それよりも新曲を~」って話に発展していったから、僕のその夢は夢のまた夢となってしまったけど、その夢だって決して捨ててはいない。
そして、あの時の4人の「作ってほしい!」と今村さんに直談判していたときの君たちの目の輝きは、見ていた側としても、まるで自分のことのように嬉しかった。
ああいった君たちの希望に満ちた気持ちこそが、日々のライブを輝かせるものだと僕は思っているし、あの時の今村さんは制作する側の苦労もよく知っている人だからこそ、軽々に「じゃあ作るよ!」だなんて言えずに言葉を慎重に選んでいたのだろう。その気持ちも分かる。

今村さんはKAQRIYOの現場にはめったに来ないし、配信なんかで一緒になると「最近どうよ?」みたいな訊き方をしてくる。おそらくいつもKAQRIYOの現場にいるスタッフさんが撮影した動画などは見ているのだろうけど、やっぱり現場に足を運んでほしいとは思う。その時カメラに写らないところでYOMIBITOさんがどんな顔してライブを観ているのかだとか。しかし多くのアーティストを抱えていてそうもいかない事情があるのだろうことは僕なりに分かっているつもりだ。

しかし制作する側にいる今村さんに「作ってください!」と直談判してひたすら頼み込むよりは、KAQRIYO自身がただならぬ存在感を放ち、それがたとえばてふてふだったり他グループのメンバーたちをも刺激させ「最近のKAQRIYOなんか凄くない?」「このメンバーにこんな一面もあったんだ!?」と、制作意欲を刺激するほどのものが伝われば、自ずと新曲だったりソロ曲だったり作品は生み出される原動力になり得るんじゃないかな。
例えるならば「北風と太陽」みたいな。

そしていつか游ちゃん・すもてゃん、ロンドちゃん、マロ自身が自らが作詞あるいは作曲を手掛け(どんな形でもいい、鼻歌からでも伝えられるものはある)マロのアドリブはほんとすごいと思う。なんとなく長時間日常風景を録音しておけばそこからサンプリングして曲が作れるんじゃないかってくらい、そういったところからも創作の輪が広がって新しいKAQRIYOTERRORが生み出されれば最高じゃない?って僕は思う。マロと言えばヤーマンのグッズ化企画を考えるのも楽しいだろう。全国47都道府県の"ご当地ヤーマン"を考えたら、KAQRIYOのツアーで全県制覇という目標もできるし面白いだろうな。

と言われても今はまだ机上の空論に思えるかもしれない、だけどKAQRIYOTERRORは禁忌がTABOOで今までYouTubeでも色々企画してきたのだし、YouTubeに限らずまたまだ可能性は無限大にあると思う。それがたとえ何年かかってもいい、僕はその何年後も長い目で応援し続けていたい。

何度も言うが、これはあくまでも「楽曲派」と称するマイノリティの戯れ言だから、どこか頭の片隅にでも置いといてもらえればいいと思う。

かつて僕はそんな夢を自分たちのバンドで描いていた。しかしそこから敗れて音楽から離れ、いつしかそれ以外でも絶望の淵で生きていた。いや生きていたというよりは死に損なったと言った方がいいだろう。
しかしそこから徐々に前向きさを取り戻すようになり、やがてゆくえしれずつれづれと出会い、つれづれの、どこか懐かしさを感じた曲たちにいつしか僕の果たせなかった夢を重ね見るようになっていった。その辺の経緯は語ればとてつもなく長くなるし、今は語りたくないという気持ちもあるので割愛する。
しかし今はご存じの通り、僕が見ている希望の光は此処、まさに君に降り注いでいる。
「君の夢を押し付けたりしないで。」
君はそう思うかもしれない。
僕が見ている夢、君が見ている夢、それは必ずしも同じではない。それを同床異夢と呼ぶのかもしれない。
しかし君と僕が同じ空間で同じ風景を見て笑い合ったり、時に悔しく思うこともあるだろう。そんな時は悔しさを半分こに分け合い、そしてまだ見たこともない世界を目指して一緒に進んで、笑う時は一緒になって倍になって笑おう。
そんな気持ちがあればお互いに乗り越えていけることだってあると思うんだ。それが同じ場所で同じ時間を過ごすことだと思うんだ。
お互いの夢を語り合いながら、そういうのも楽しそうだね、私はこんなのも素敵だと思うよ、その発想は無かったな、それも素敵だね。…
そして新しい夢がまた一つ生まれ、それに近づくためにはまた新たな試練がやってくる。
負けてばっかだけどさ、頑張れる幸せ噛みしめながらそれを乗り越えた時はまた一緒に笑い合おうよ。

なんだかモヤモヤしてたこと吐き出すつもりだった。きっと君はこんなネガティヴな文章読むのつらいだろうし読んでて僕のこと嫌いになるかもしれない。だからやっぱり書くのやめようかな…
そう思いながら結局長くなってしまった。相変わらずだな自分、って自分で自分に呆れている。

君が君のお誕生日の時にアクリルスタンドと一緒に添えてくれたブロマイドの君の姿や、裏面に書いてくれた君のメッセージだったり、今までチェキや歌詞カードに書いてくれた君のメッセージを読み返していたら、君の天真爛漫で無邪気でありながら、でも真面目でそして真っ直ぐなところに、頑なで凍結しかかかっていた僕の心を、君が氷解するが如く動かしてくれてきたことを振り返っている。

腕のセトリを書く間もないくらいに夢中にさせたいという君の意志、僕ももちろん君へ応えることばかりに夢中になりつつもそれでもこのライブを記録しておきたいという葛藤。
僕がさっきライブを「参戦」と呼んでいたが、それはステージ上の君たちと僕たちとの戦い、「もっと感情ぶつけてこいよ」と煽られたらそれをぶつけにくる。今は感染対策もしなきゃいけないが、気持ちの中では容赦ない。そして全曲終えてお互いが尽き果てる。限界のその先にある恍惚。
それこそが「最高の景色」ってやつでしょ。

そしてこのブログも気づいたら夢や希望だなんて。
そういうつもりじゃなかったはずなのにな。
君のこと思ってたらいつの間にか。
それが君が持っている魅力なんだと思う。

以前マロに「ラボさんはなんでロンドのこと好きになったの?」って不意に尋ねられて僕は返答に窮してしまったけど、きっとこういうことなんだと思う。
そりゃあ即答はできないし話は長くなる。
また沖縄でたくさんお話したいよね。
沖縄以外でもね。夢も希望もいっぱいあるよ。

そんな気持ちで僕はツアーを追いかけられぬ日々が続いてきてしまったし、Persona_の「僕は要らない」という歌詞が聴こえてくるのがつらい。
しかしまだまだこのツアーは折り返し地点にも到達してしない。
しかし必ずや挽回できる日が来ると信じているし、それを叶えるためには今までできなかったことも一つ一つ積み重ねていかなきゃならない。
きっと君自身の中にも思い当たることはいくつもあるだろうし、僕の知り得ない苦難も沢山あることだろう。
しかし昨年の新奇懐古周遊の時の気持ちを思い出せば、それは必ず超えていけるものだと信じているし、実際に四人で乗り超えてきたのがKARIYOTERRORだし、僕はそんなKARIYOTERRORが大好きだよ。

褒めて伸ばす。それだって勿論大切だ。しかし社交辞令じみて「最高のライブだったよ!」なんて励ましの言葉を贈る気は更々無い。
今更いい人のフリしてたってしょーがないし、そんな器用な真似しようとしてもできる器量も無い。
ステージに立つ側がたとえ不格好であっても感情剥き出しにして歌って踊ってさ、それでも思い通りにいかなくて悔しかった日だってあるじゃん。それなのに「最高だったよ!」とか言われてもさ、「一体何が最高だったの?どこを見てたの?」とも思ったりするじゃん。
悔しかった時は悔しかったと言いたいし、心の底から楽しいと思えた時は、歌声を聴いただけで涙が止まらなくなる。
僕は女優なんかじゃないんだから演技で泣くことなんかできないし、こんなタイミングで泣くのもなんか情けないなーと思いつつも涙を堪えきれず涙腺決壊しちゃう時だってある。
そんないくつもの瞬間がKARIYOTERRORにはあるの知ってるんだから。

再びそういうライブを迎えられるよう、そしてこのツアーのファイナルを「最高だったね!」って心の底から言えて笑い合えるその日まで、そしてその先も君のこと絶対に見放したりなんかしないよ。

ユビキリゲンマン。

もっともっと好きになる未来の君へ。

2022.03.12.
Лавочкин(らぼーちきん)

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