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すもてゃんへ

いつも元気なすもてゃんが──
とは思ったけれど、沖縄でたくさんお話しした時のすもてゃんを見てて、悔しいこと悲しいことがあってもそれでも元気を送り届け続けるすもてゃんを、尊敬の眼差しで思っていたのが今でも昨日のことのように。

僕にはこんなエピソードしかなくてごめんねだけど、どうしても思い出してしまうあの頃のこと。

小町が体調崩してつれづれを休んでいたときのこと、つれづれは小町が戻ってくるまでの間、メイ个喆たからの3人でライブを続けなければならなかった。
すもてゃんがたからとぼのとOBKやってた頃だね。
あの日僕は一十三四巨匠に似顔絵を描いてもらおうとよっさんの前に座って話しながら描いてもらってたんだけど、よっさんが描いてる途中僕が覗き込もうとするとよっさんは「まだ!」と色紙を伏せて隠してしまう。それを後ろから見てた高木さん、「らぼを泣かすなよ」って意味ありげににこにこしてる。
なんだよそれ。

描き上がった作品を見せてもらったら、その色紙には今目の前で座ってモデルをしていた僕のその隣に、今ここに居ないはずの小町の似顔絵も描いてくれた。
四「君を見てるとどうしても描きたくなった」
誰かの心の中にいつも映る存在って素敵だなって嬉しかった。

そんな頃のつれづれのライブでMISS SINSのイントロが流れた。
小町の居ないMISS SINS…
なんて残酷なセトリを組んだんだろう?
って、最初は思ったよ。

そしてMISS SINSの落ちサビの部分に差し掛かると、

絡繰り翻弄のモザイク
ルールはシニシズム食い殺すマクガフィン
散らば生える羽などなく
ゆるしたまう飛べぬ蝶に息の根
これが夢か幻かは
わかるはずなく悲劇なら「ごめんね」

誰が代わりにセンターに立つでもなく、小町の居場所を残し、そこをメイと个喆とたからが手を添えていたシーンが印象的であり象徴的だった。

そこはぽっかりと一人分空いていたけれど僕には見えたよ、そこに小町の姿が。
僕はその小町に向かって「君が君で在るのなら」と全力で翔け上がって手を差し出したことを思い出す。
もちろん他の曲は3人で小町のパートを歌ってライブとして繋いで守っていたよ。でもあの一場面があったことによって、僕はとても救われた気持ちになれたし、KAQRIYOにはKAQRIYOの守り方があるのだと思う。

KAQRIYOTERRORも3人で頑張っていくことになるけれど、すもてゃんが帰ってくる場所を守りながらの3人だし、すもてゃんがいなければKAQRIYOTERRORが成り立たないこととすもてゃんの分までKAQRIYOTERRORが頑張ることとは論理的には矛盾してるかもしれないけれど、しかし論理を超越するほど大切なことって時としてあると思うんだ。
分かりきったことと言われるかもしれないけれど、今あらためて伝えておくよ。

どんな苦しみもここで立って
歯を食いしばって

ここだって文字を見ただけですもてゃんの声と顔とシルエットが浮かんでくるし、他の曲だってここはすもてゃんじゃなきゃって思うところ数え切れないほどあるし、游ちゃん、ロンド、マロだって、すもてゃんが居るからこそ頑張れるのだと思う。

そしてすもてゃんと言えば「元気がトレードマーク」みたいなイメージあるけれど、「Trigger atq」を歌った頃からかな、すもてゃんの持つ喜怒哀楽の「哀」の表現がとても飛躍的に向上したのが印象的だった。

ライブをすること自体とても体力・精神力をすり減らすものだと思う。しかし良い塩梅に肩の力を抜いた方がしなやかに美しく駆け抜けることだって出来ると思うし、すもてゃんの「哀」の表現力は、その肩の力がいい感じに楽になった瞬間に現れたんじゃないかなって思うよ。
全力で頑張ることと無理することは別だと思うし、長く続けていくためには休むことも必要だと思う。

僕は今こうしてギター弾いたりしているけど、再びそれができるようになるまでに何年もブランクがあいてしまった。それと比べるのも変な話だけど、休んだっていつか必ず取り戻せる時はやってくるし、その時僕もずっと君たちの味方で在り続けるから、すもてゃんどうか焦ったりしないでね。


すもてゃんがすもてゃんで在るのなら…


急なことゆえ、今頑張ってる3人の元に駆け付けられない僕自身の不甲斐なさを恥じているし、ごめんなさいの気持ちは僕の方だよ。ごめんね。

とにかく焦らずゆっくり休んで、またすも汁のシャワーをたくさんちょうだいね。
すも汁だけどヤシの木の気持ちも忘れずにね。
僕も焦らずに、すもてゃんが帰ってくるの必ず待っているからね。

ラボチ家のスモモがとても綺麗。
まだまだこれからのスモモのつぼみたちも待ってるよ。

2022.03.19
Лавочкин (らぼーちきん)

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