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KAQRIYOTERROR「憐憫パントマイム」セカンドインプレッション

本日、2時間の限定試聴と共に公開された歌詞を読み進めてみた。
すると引っ掛かったのは「働いてご臨終」という歌詞。
というのも現在の僕の視聴環境というか僕自身の状況がそれであったから。

この酷酷の中で身を粉にぶっ倒れそうになり未だ火照りの鎮まらぬこの身に、ヒーリングミュージックとは対照的のこの轟音は傷口に塩を塗るかの如しである。
…はずが、こういう共感を喚起できるフレーズがあると、その歌に対する自身のアティテュードも変わってくる。
愛に憧れたり快楽に溺れる世界に誘う軽薄な歌が巷に溢れていて──「軽薄」というのは僕の主観である──巷の人間もまたそれを求めている。そうして需要と供給で以て商業音楽というものは成立しうる。
幽世テロルArchitect/KAQRIYOTERRORもまた快楽的な要素も確かに多いのだが、近年の作品にはその中の詞世界のストイック成分が濃度を増しているように思う。
一言で言い表すのならば、この「憐憫パントマイム」は、コドメン流のWork Songとも言えるだろう。例を挙げれば「BWG」の「JRに揺られて気づく これもう一日終わり?」という描写にも通づるところがある。
そういう背景に思いを馳せながら聴いていると、この残響少なめでタイトなドラムや繰り返されるギターのリフなどが、この張りつめた気持ちといい感じにシンクロするのである。
やはり僕にとってのヒーリングミュージックは、かつてもスラッシュメタルなどであった。
世間一般でヒーリングミュージックと銘打たれてる音楽は、ただひたすらに退屈で、故に遊眠を誘うもの、そんなのも少なくない。

しかにこの「憐憫パントマイム」は張りつめるだけでなくサビで開放的になったりと緩急も効いている。
そしてまた詞世界もストイックだけでなく、この音楽を通じて心の箍を外してしまおうというメッセージも読み取れる。
仕事するのも勉強するのも全力で、そして遊ぶのも全力で。

ここ数ヶ月で目まぐるしく駆けずり回ってる“今”のKARIYOTERRORらしいと思った。
グループ改革際限ない We dance all night.
ここはまさに“今”を象徴し、新アルバムのリード曲に相応しいとも思った。

RЯがまさかここまでシャウトをバリバリに滾らせるとは正直予想外だったし、ゆくえしれずつれずれという物語の続きという“if”も想像してみたくなってしまう。個人的に。あくまでも。
嗚呼、泡沫の夢の残滓。

そういった主観的な聴き方ばっかりしてるものだから自分、やはりこの曲を初めて聴いた~のなめら BIRTHDAY BASH~の時に既に、印象的だった歌詞は「君が君で在ること 忘れないでずっと」「吐き気がする夜明けなど待たなくていい」だった。
「吐き気~」と聴いて連想するのはPersona_だし、Persona_へのオマージュもあるのかな?って思った。
游ちゃんからは「ロンドのパートじゃん」ってツッコまれたが。
確かにそうだ、そうだからこそ、このフレーズをロンドちゃんが担ってくれていることが僕は嬉しいし、ロンドちゃんもまた「君が君で在ること」をずっと忘れずにいてほしい。

hideのTELL MEの歌詞では

幻覚に踊る 身体は
心とは裏腹の パントマイム
ほころびてる傷を埋めるのは
僕が僕で在り続けるため

というフレーズが好きだし、つれづれのMISS SINSでも

君が君で在るのなら。

ここを最もが好きな自分にとっては、憐憫パントマイムのこのフレーズもまさに「正鵠を射たり」でおるし、最もエモーションが昂る場面になりそうだ。
どちらも何年間ずっと聴いてきた曲ではあるが、こういうアイデンティティーにまつわる歌詞が自分にとってどんなものなのかは、月日を追って変わってきた気がする。

誰かを愛するために身を滅ぼすこと、それも美学─
そう思ってた節があった。
しかし誰かを愛するためには自分というものを大切にしなければならない。それはエゴイズムというものでは決してない。
誰かを愛するために。という前提があってこそそれは成立しうるのである。そう考えるようになった。

このフレーズをいつかライブハウスという戦場で共に声出して叫び合って“べそかいて熱唱”し合える日を夢見ながら。

本気半端ないからのサリンジャー 世捨て人ね

サリンジャーとは、ご臨終との韻を踏んでるように思ったがメロディ箇所に一致性が無いので偶然だ。
「ライ麦畑でつかまえて」の作者の名前であると共に、反逆児の代名詞と言っていいだろう。
椎名林檎のように「現代のシド・ヴィシャス」と書いてしまうのはちょっと恥ずかしいし、あえて恥ずかしいところを狙うのが林檎さんらしいと思う。
…って話は脱線したが、いくつになっても反逆児であり異端児でありたい。中二病の頃からずっとそう思ってるし、結果としてそういう生き方しかできなくなった「世捨て人」なのだから自分。
「世捨て人」と巻き舌になるロンドちゃんがまたかっこいい。ライブではきっといろんな表情を魅せてくれるだろう…と、今から妄想が止まらない。

そんな世捨て人であっても、せめて人並に音楽に夢中になったり愛し合ったりしたいと思うわけよ。
そういった意味ではこの曲は僕にとってのラブソングでもあるのかも、しれない。

まだ聴いたばかりだし、これからライヴで聴いてくうちにこの歌への思いが深まってゆくのが楽しみで仕方ありません。

20220721
Лавочкин(らぼーちきん)
@lavochkin

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