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#ゆくえしれずつれづれ × #KAQRIYOTERROR Christmas SP LIVE 20201224 @下北沢MOSAiC

最初に断りを入れておきますが、本文はプロでもなんでもないとある群青の端くれが主観的に書き記しているものであり、途中からライブレポという本題から外れています。
こんな視点を持った酔狂な人も世の中にはいるのだなと軽い気持ちで読んでいただけたら光栄です。
(長文注意)

師走になりたまった仕事を土日もかけて年内に済ませるべく過ごしているけど、木曜日に休日をいただいて下北沢まで行ってきました。そういえば最近ライブは下北沢ばかりだな。。。昔と比べてかなりめんどくさくなった東横線から井の頭線の乗り換えにも馴れてきました。

今日の箱は先日ここで書いたKAQRIYOTERRORのLABoratory3,0を観たのと同じ下北沢MOSAiCでした。
入場時に検温を受けてスタッフさんに予約した番号と名前と今回の"お目当て"を訊ねられたのだけど、ここ数日の対バンクリスマス企画への告知などはKAQRIYOの方が頑張ってたように思えたので「お目当てはKAQRIYOです!」って言おうかとも頭をよぎった。
つれづれが目に見えないところで苦しんだり努力をしているであろうことはこれまでの通りなのだろうけれども、その日を待つ人たちへ何かを発信することも大切だと思う。

解散を発表したあとのつれづれを観るのはこれが初めてだな、とソワソワしながら限定カクテルREDERAを飲みながら待つ。ステージ後方にはDJセットが用意されてるので先手はKAQRIYOかな?

フロアに流れるBGMがボリュームを上げて照明が暗くなると、ちょっぴりだけ遅れてねこぱんちなサンタに扮した心鞠が現れDJセットを起動させてKAQRIYOからステージが始まった。それぞれがキャラに合ったクリスマスコスプレで登場する。
涙丸は王道な可愛らしい感じで、DKIはツノ無しの片側テールでメイクもナチュラルめ、季はセクシャル全開なトナカイ風(昨年もセクシーだったな)、ロンドは執事風な黒いサンタで心鞠に編んでもらったであろう編み込み髪も印象的だった。

初手のAvant-gardEのイントロの破壊力はすさまじく、ここ最近のKAQRIYOの定番になりつつある。
前回のLABoratory3,0や渋谷The GameでのCircus Tokyoで観てきて、それぞれのパート割やこのフレーズでこのメンバーに注目しようみたいな"ツボ"が少し分かってくるとライブはますます楽しくなるし、普段聴いてるCDなど音源もより奥行きをもって楽しめるようになる。
全曲を追いながら綴るのは今回は割愛しますが、このステージを観てThe forbidden(略)やだいいんぐあかさたなにまた新たな発見をしてとても楽しい曲だと思えた。

一方で、Like a Fakeのロンドの「もがいてるよ」が沁みてきたり、Persona_のイントロの25秒~の「ッパッパッパッパ」でストップモーションからサイドステップで踊り始める瞬間がたまらなくかっこよかったり、もっともっと発見を楽しみたいと今更ながらに思ってみたりしている。
対バンサイズだから10曲くらいかなという予想をいい意味で裏切ってくれた盛りだくさんの時間だった。

そしていよいよ後手はつれづれ。
てっきりつれづれもクリスマス衣装で登場すると思いきや、いつもの衣装で登場した。
今回のライブを観るのが最後になるであろう群青たちの事を考えてのことなのだろうか。
初手がPhantom Kissなのはドラマチックな予感がして僕もとても好きだ。さすがにこの曲を可愛らしいコスプレで歌うのはいかがなものかと思う。
しだれが居た頃のつれづれは、えっ!?このフリフリな衣装でニーチェ歌うんですか…みたいなギャップにも遭遇して、それもまたつれづれの持ち味だったけど。
だけど今年のハロウィン配信で観たゴシック風メイドで歌うつれづれがとてもかっこよかったし、ゴシック風赤い衣装でPhantom Kissを歌ったらParadise LostのMVともまた違った魅力があったかもしれないなと空想に耽る。
白と黒と嘘もちょうど似合ってると思うし。

その日のライブをお祭りにするか、シリアスに演出するか、そのさじ加減も難しいとは思う。
しかし続く曲はどれもこれもクリスマスとは無縁な曲ばかりだ。これだったらワンマンで観たかったな。。もしもパリピ気分でコスプレして来てたら絶対浮いてたわ。

今日の入場時に並ぶ列を眺めながら、群青でもYOMIBITOでもある人と「なんか今日、初めて見かけるような人多くないですか?」「確かにね、お昼にぜん君。観てから来たのかな?」「それとも在宅してた人が解散や脱退を聞いて駆け付けて来たのかな?」などと話してたっけな。

コロナ禍での制限されたライブゆえ、僕はこの日も無我夢中にリズムに身体を委ねてライブを観ながらも時々後方を振り返ってフロアの様子を伺ってた。自分は浮いていやしないかと。「(いつも没頭しているようにしか見えない)お前は何を言ってるんだ?」と言われそうだが実は割と気にしている。

たとえば初めて行く遠征先だと最前列付近にライブ慣れしてない人が多そうな日もあって、彼女達にはモッシュに圧されないように安全に観てもらいたいなとか、九落叫(六落叫)が始まったらその輪に自然に入れたらいいなとか思いながら。

ライブなんて各々がお好きなように楽しめばそれでいいんだろうけど、たとえばPhantom Kissでメイが「拳を!掲げろ!」と煽ってきたら拳を掲げたり、つれづれ賛歌で个喆の魔法にかかってバカになったり、せっかくの一期一会の人たちと同じ時間・同じ体験を共有したり、普段できない自分を解放してやると、そこに流れている歌や爆音がスッと体内に染み込んできて、思わず涙腺が弛んだりして、それがカタルシスになる。
生ライブの醍醐味ってそこにあるんだと僕は思う。
長年引きこもってて、つれづれがきっかけでライブハウス行く回数が増えた、たかだか数年の初心者である僕がたいしたこと言えたもんじゃないけど。

しかし今回のつれづれ、初めて観た人にとって、YOMIBITOである人にとってどう映ったかな?
フロアの様子を見比べるとKAQRIYOに比べて大人しかったように思える。
僕は今までつれづればかりを観てきてここ最近でKAQRIYOも観るようになってきたのだけど、そんな僕にとって"アウェー"であったはずのKAQRIYOは、KAQRIYOをまだよく知らない群青(僕含む)だったり初見さんを掴もうという貪欲さが伝わってきた。
この日は演らなかったけど鬼乃狗摩音頭という持ち歌があるのはKAQRIYOの強みだよね。
つれづれがいなくなったあと、「興味ないフリ もう居ない推し」とか言って誘惑してくるぞ。
怖いわー。ああ怖い。
まんじゅうこわい。

翻ってつれづれはどうだっただろうか。
中盤のparadox soar収録曲が続くタームではYOMIBITOさんたち棒立ちのように見えたが。
確かにこの日のつれづれの曲は、はしゃぐような曲はなく"聴かせるつれづれ"にウェイトを置いていたと思う。そしてたとえ彼らが棒立ちで観てても身体の内側からじわじわと感じられるような、目に見えない盛り上がりをするライブというものは存在する。たとえばPsycho-HiだったりKarmaloopだったり。
人々はそれを「エモ」と呼ぶのだろう。
そんなことを考えながら逝キ死ニ概論を観ていたが、これが彼女たちの死に様なのだろうか。

とあるギタリストがこう言ってた。
「良い楽器・良いアンプって、目の前での鳴りはうるさくないのに不思議といちばん後ろの客席まで音が届くのね。でも安いものは目の前でいくら鳴らしてもその場がうるさくなるだけで後ろの方まで聴こえてこないの。今はPAなどの技術が発達してそういうのなくなってきたけど、不思議だよね楽器って。」

下北沢MOSAiCは最前柵も無い迫力のあるライブハウスだ。しかし今はソーシャルディスタンスのためフロア前方約1mのところにボーダーラインが引かれている。幸いにして僕はこのソーシャル下においてステージにアクリル板を設けたライブには遭遇してこなかった。しかし何度か僕は目に見えない物質の無いアクリル板を見てきた。
人によってはそのライブが最高だった思い出でもあるだろうから、どこのライブだったかは差し控えるが。


───そのとある遠征先で僕はつれづれのライブを観ながら、一体どうして歌もダンスもこんなに綺麗に仕上がってるはずなのに…。最前列で観てた見慣れない群青さんたちに圧倒されて物怖じしてたのだろうか、彼女たちはどこか遠慮してたかのように思えた。
たとえインストアライブであまり大きな声を出せないとあらかじめ制されてても全力で演ってしまうつれづれが今や懐かしくもある。

あの日の冒頭は「ライブハウスにしてはリミッターかけすぎじゃないの?でもこれも徐々にフロアをあたためる演出かな?」と思いながら様子を伺っていた。僕はフロアから身振りで「もっとかかってこいよ!」とアピールしても届く気配はなく、たとえばつれづれ賛歌のイントロのように世界を変えてしまうきっかけなどを掴めぬままオケは淡々と次の曲へと続き、そんなモヤモヤを抱えながら結局本編が終わってしまった。
彼女たちがいったん楽屋へ戻っていって再び登場した後のアンコールは楽しめたけど。

ライブ後に周りの群青に訊ねたら「今日のライブよかったと思うよ。」と。人によって視点も異なるのだし、僕の感想はその日そこに居合わせたうちの何10分の1の感想でしか過ぎない。
もっとも、居ても居なくてもいいような存在の主観に過ぎないのかもしれない。みんな総じて楽しかったのならばそれでよかったじゃん?
そんなほろ苦いライブを経験したこともあった。───


この日のクリスマスライブはいつまで経っても「で、どこから盛り上がればいいの?」とモヤモヤした気持ちが続いていた。四人がそれぞれこのステージに迷いのようなものを感じているように映った。DJ機材もなくメンバーの人数もつれづれの方が1人少ないのに、この広いステージを縦横無尽に活かしきれてなかった。
そんな雰囲気をぶち壊してやろうという様子がたからからは伺えたけれど、たからもそれに呑み込まれそうになっていた。

いつかのライブのノートサインの時に「今日のたから、誰よりも前面に出て頑張ってたよね」と話しかけたら「でもたから走りすぎて浮いてたかな?」ってたからは少し戸惑っていた。「浮いたっていいよ。たからがリードしてみんなの雰囲気を作っちゃえばいいよ」って声をかけたこともあった。

しかしつれづれはコロナ禍で配信ライブを始めるようになり、回を重ねるごとに画面の向こう側であることを感じさせない臨場感のある配信ライブをできるまでに成長した彼女たちなのだから、カメラと画面を隔てた距離に比べたら1枚の透明アクリル板なんて薄っぺらいものだと思うし、その気持ちさえ忘れなければ必ず良いライブをできるだけの実力は備わっているはず。

コロナ後はサインノートで声をかけることもできなくなったし、いつも僕が前物販に顔を出すと「らぼまた来たよー、はい!買ったらさっさと出ていく!」そんな扱いばかりだったけど、毎回その日のライブに対する気合を確かめ合うことを意識してそうしてきた。それもコロナでできなくなった。

もしもそんなステージからはみ出るくらいの気持ちが、解散を告げたことで糸が切れちゃったのならば、その糸は四人で紡いで直せばいい。限られた時間しかないけれども時間はある。
何も慌てる必要も無い。
難しいことは考えずに今までと同じ気持ちで無我夢中でライブに挑めばきっとうまくいくはず。いやうまくなくともいい。たとえ不格好であっても嘘偽りや誤魔化しの無い美しいライブがそこにあるはずだ。

近代音楽の常識からすれば、シャウトだってスクリームだってディストーションギターだって、不恰好なものでしかない。しかしその不格好さにプリミティブな衝動が込められているからこそ、人々の耳を惹き付けるのだと僕は思うよ。

KAQRIYOだって涙丸とDKIと一緒の今の5人でのライブができる時間は来年の一月までに限られている。それでも彼女たちは決して諦めずにその限られた時間の中で群青をも、初めて観る人たちをも貪欲に惹きつけようとしているのが伝わってきた。

僕は今までつれづればかり観てきたし、それだけで精一杯だったから他と比べることもできなかったし、ゆくえしれずつれづれは唯一無二だとも思っている。しかし方向性は違えどKAQRIYOというお互いに切磋琢磨できる仲間がすぐそばに居るのだから、こういった対バンでもっと刺激し合えばよかったのにって今更ながらにして思う。


この日のライブは「ゆくえしれずつれづれ × KAQRIYOTERROR」と題されているが、その「×」とはお互いに対決して潰し合うのではなくお互いの相乗効果を引き出す、まさに「掛け算」の意味合いだと解釈している。
向こうがどうライブに臨んでいるかをお互いスパイのように探り合うのでもなく、無関心でいるのでもなく、全部周知の上で共に闘い合って欲しい。いわば清き美しき八百長である。

こんなこと今更書いたところで、負け犬の遠吠えにしか過ぎないだろうことは分かっている。
もしも闘うことを諦めてしまったのならばステージなんて要らない。お望みの死合いも白旗あげて、ただ生き延びることを選べばいい。ライブごとに遺書をしたためてきた意味を、辞世の句を詠む意味を、そんな原点に帰ることさえできれば、そこに歌が必ず伴ってくるし、ダンスだって身体に染み付いているはずだ。
昔も今も、決して彼女たちのライブに完璧など求めたことなど無かった。君たちが心をひとつに頑張って積み重ねてきた結晶を誇りに思う。

君たちが君たちらしくあればいい。

君たちが人知れず頑張ってきたのは、今までのライブからもひしひしと伝わってきた。
けれども、TheScreamに対する意気込みが形として現れてこないのは、やはり気がかりだったし心配だったよ。
今はコロナ渦でライブハウス側との調整など予断を許さない状況なのも分かっているし他にもきっと様々な事情もあるだろう。
そんな中でメイがレッスンの様子をアップしたというが、残念ながら僕の環境ではそのフリートというものは見られなかった。なぜいつものようにツイートしてくれなかったのだろう。しかしこれは僕の環境が貧弱なだからだけに過ぎない。
なので彼女たちの頑張りはこのクリスマスライブで観せてもらえばいい、そう思ってた。

精一杯頑張っている人々に頑張れというのは酷な話であり、無礼な話であることは承知している。
しかし一方で、さりげなく「頑張ってる?」と訊ねれば「頑張ってるよー」と返ってきて声を交わせられることが最も健全な姿だと思うし、シンプルにそれでいいじゃん。

苦しむことと頑張ることは事象として異なるものだと思う。
だけど、頑張っているのにそれが空回りばかりしていると、人は苦しんでいる状態に映る。結果が伴うかどうかという問題ではない。
それはきっと僕もそう映っているのだろう。
いつだって空回りばかりだ。
たとえば僕が毎日ギター弾いてるのだって、僕自身としては頑張っているつもりだ。しかしそれが#TheScream を良いライブに導けるどうかは全く別問題だし、僕のそれは空回りであるどころか、むしろ独善的とさえも映るだろう。
それでも、「つれづれのギター(フレーズ)かっこいいな」「つれづれの曲かっこいいな」とか思ってくれる人が一人でもいれば、って思いながら続けている。

そしてついに僕のギター企画は我我を弾く順番が来た。
我我を弾くのは久しぶりだったし、最近のライブでは封印されたんじゃないかってくらいに歌われてない。全く歌われてないわけではなかったが。

やっぱり我我を弾いたり聴いてると、いやなこともつらいことも忘れて楽しい気持ちになれるよ。歌詞に「この音が止まるまでは…」ともあるし、そういう曲だと思っている。頭ではそう理解してても長い間聴いてないと気持ちが揺らぐことだってある。情報過多の世界で生きてるんだから。
我我以外のつれづれの音楽って痛み苦しみを伴うものが多いけれど、そういう曲だってライブでみんなで全力でぶつかり合ってへとへとになれば、それも全部楽しかったねと笑い合えると思うんだ。
楽しかった余韻を思い出に生きてくことをいつまでも大切にしたい。けれど余韻は少しずつ小さくなってゆく。
それでも何度もライブに来たいと思うことの原点、つまりそれが生で歌う意味・生きる意味なんだと思う。

今にして思うけど、どうしてクリスマスライブで我我を歌わなかったのだろう、この日のライブがもしも、つれづれ観るの最後の群青のためという位置づけならば我我を歌おうよ。
そしてもしもクリスマス衣装でステージに上がるのだったならば、新宿シネマ~もWordFloodMomentの猫パンチだって観たかったよ。
解散を目前にしてそんな陽気な気分になれないよいう気持ちもわかる。だからといって陽気な曲から逃げるのではなく、それでも陽気な曲を半強制的にでも流してしまえば気持ちがそっちに引き寄せられる。気分に合わせてセトリを作ることも大切だけど、セトリで気分を作ってしまうことも同じくらい大切だと思う。
勿論僕にはセトリを決める権限は当然無い。常にセトリを受け取る側にいる。当日まで何も知らされてないのだから、毎回ライブには驚きがあったり予期せぬ場面で涙腺を刺激されたりする。
セトリを受け取る側にいるからこその特権だ。

このライブではどの曲を演ったのか、汗やモッシュで腕に油性ペンで書いたそれが消えてた時は、モニタースピーカーに貼られてたセトリを見せてもらったこともあった。
しかし、あらかじめ演ることを予定して印刷したセトリと、僕がその場で一曲一曲イントロが流れるたびに腕に刻んできた、彼女たちが実際に歌った記録とは、全く別のものだと思っている。
そこに並んでいる曲順が全く同じものであったとしても、その意味は違うし、それが生のライブだと思っている。

また話が脱線したけど、そんなモヤモヤを残しながら、Loud AsymmetryのPAがリバーブ深めにしてたのが新鮮で、これもまたかっこいいな。と思えたのは今回の収穫でした。


#ゆくえしれずつれづれ × #KAQRIYOTERROR
Christmas SP LIVE 20201224 @下北沢MOSAiC

DJ心鞠
1.Avant-gardE
2.うすうす
3.Original Satire
4.Drying Party?
5.アイデンティティークライシス
6.Hybrid TABOO
7. Like a Fake
8.The Forbidden musterbating
9.BWG
10.lilithpride
11.Persona_
12.だいいんぐあかさたな
13.摩訶不思議イズム https://t.co/1NaI536lp3

メた个小
1.Phantom Kiss
2.白と黒と嘘
3.MISS SINS
(MC;个喆)
4.ニーチェとの戯曲
5.REDERA
6.Grotesque promise and I really hate me
7.Howling Hollow
8.Dear Sorrow
9.逝キ死ニ概論
10.Loud Asymmetry
11.ssixth
12.ポストカタストロフ
https://t.co/HcEltHf7Cr

特典会の時、僕はここで述べた #TheScream に対する意気込みが形として伝わってこなかったことについて率直に話した。たとえSNSでそれを発信してなくてもこの日のライブでそれが伝わってきたのならば黙っておこうと思ってたけど。
やっぱりこの日のライブが、どこを向いて誰のために歌ってるのか分からないものであると僕が感じたという事実は変わらない。
それはあくまでも僕の感じ方に過ぎないし、これがメンバーにとって満足のいくライブだったと思えていたのならば僕の話なんか笑って済ませばいいのにさ。
メンバーも僕もお互いピリピリしていた。

ごめんね、いつも空回りばかりで。
けれども僕は君たちの味方でいる。

思い起こせばUnethicalツアーが始まったばかりの頃や、Odd eyeのインストアリリイベもなかなか散々なものだったよね。そこそこ見に来る人はいても買わずに帰っちゃった人もいた。
だって観覧無料なんだし、もし気に入ったらCD買ってくださいねってイベントなのだから、それは当たり前の話だし。
結局僕が最後まで残ってさ、そんでカモられた。

いつだか仙台のタワレコでつれづれがリリイベやったとき、ちょうどその日Enn3rdで幽世のライブがあって、つれづれの特典会を済ませたらみんなそそくさと幽世を観に行っちゃった。僕はタワレコに残って機材を片付けながらの高木さんとつれづれについて話してた。そんなこともあったなぁ。
それでも日に日に良くなっていくメイ・小町・个喆・たからの姿を見てると、それでよかったと思いながらいつも帰った。
僕はつれづれの味方でいる。
それはしつこいくらいに伝えてきたはずだし、今もその気持ちは変わらない。
こんな愚かな僕なんかに味方されても迷惑だろうけどね。

その数日後、个喆がScream動画をツイッターに載せていた。冒頭からたからの笑い声が聴こえてくる。そして怒濤のグッズ告知のラッシュと、ゆくえしれずつれづれ最後の新曲「Requiem」の限定試聴が公開された。
これがゆくえしれずつれづれの完成形─?
いや、この「Requiem」だって残り数日でリハも重ねていくし、TheScream当日にフロアにいる群青たちの姿を目にすれば、きっとまたより深い感情も込められて、レコーディング時よりも進化したものに響くだろう。
RevolutionではなくEvolution。
最後の一瞬まで進化し続けることを忘れない。ゆくえなど分からぬまま。未完成にして最高到達点へ。
それがゆくえしれずつれづれだと僕は思うし、何年後何十年後もしも君たちが道に迷ったり壁にぶつかったとき、ゆくえしれずつれづれの音楽を聴いてごらん。きっとあの頃の君たちが味方になって寄り添ってくれて救ってくれるはずだから。

Scream動画を見るとなんだやっぱりつれづれは相変わらず楽しそうだし、新グッズを見ると高木さん物販でまたあれ買えこれ買えって煽ってくるんだろうなーって思うし、そしてこんな素晴らしい曲を最期に取っておいただなんてニクいよ。
ほらやっぱりみんな見えないところで頑張ってたんじゃないか。
そういうこったろうと思ったよ。
しかしそれにしても、勿体ぶり過ぎにも程があるんじゃないの?
いくらチケットがソールドアウトしたからといってもそれで終わりなんかではない。そのチケットを手離してしまう人も中にはいるかもしれないよ?

僕はとんだピエロだったよ、道化師だったよ。
僕が悪者になって、みんな丸く収まりゃそれでいいじゃん。
Fuck off myself.
I should be dead.

はぁー、僕も吐き出したら少し楽になった。

1月2日の#TheScream は、痛みも苦しみも悔しさも悲しみも全部吐き出して、後悔など無いように、最後はみんなで笑い合っていようね。
特に小町、君のお顔は笑ってるときが最も輝いているし、それが最もかっこいいと思うよ。
君はかつて「俗世戒」のイントロで「笑え笑え笑え」と言ってたが、いまはそれはたからのパートに変わった。つまり君が笑う番なんだよ。
僕の小言なんか聞きたくないだろうし聞かなくてもいい。だけどたからの言うことは聞こうぜ。あいつ怒らせると怖いからな。
でもたからと一緒だと自然と笑えるから難しく考える必要も無いけどね。

ゆくえしれずつれづれがこの世界に産み落としてくれた全ての曲たちを、僕は残さず棺桶に入れて死ぬまでも死んでからも、メイユイメイ、个喆、たかりたから、そしてまれ・A・小町をずっとずっと愛し続けていくからね。そんな僕を「グロテスクね」と笑ってくれればいいよ。

2020.12.30 らぼーちきん

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