やっと出会えた運命の古民家⁉

 今の古民家に住んで今年7月で9年目になるシニア女子(笑) なぜか昔から古民家に憧れがあった。子育てをした京都市内の家も駅近くの平屋で7部屋もある古民家だった。京都に来て知り合った友人が紹介してくれたのだが、姑が初めて見に来た時にはしばらく住人がいなかったせいか、玄関入ってすぐの部屋の電灯は力なく傾き、なぜか孫たちにはまだ見せないようにと気を配るほどうらぶれた印象の古い家だった。夫はもっとこぎれいな所に住みたかっただろうけれど、子育てにはいいなと私は思った。迷路のように入り組んだ不思議な作りのその家は一番奥の狭い部屋にはロフトほど高くはないが畳ベッドもあり娘たちが小さい頃は格好の遊び場だった。庭はそれほど広くはないが樹木が何本か植えてあり雑草も所々に生え自然が感じられた。少し歩くと土手もあり、春にはつくしやよもぎが生え、家に持ち帰り子どもたちとよくよもぎだんごを作った。うさぎも買っていたのでえさを取りに名前は忘れたけれど、ハート形の草をよく取りに行った。町でありながら自然はごく身近にあり、そんななかで子どもたちは幼少期をすごした。

 私が育った東京は自然がとても少なかったけれど、小学生の時に群馬の祖父母の家に預けられたことが今の田舎好きの私の原点にあるように思う。やせて体がそれほど強くなかった私は小学校3年の1学期間一人田舎で生活をさせられた。その頃の担任の先生は私がきっと丈夫になって帰ってくるでしょうと同級生に伝えたようだった。制服を着て重いランドセルを背負い、東横線の電車と東急バスに乗りついでいく学校とはまるで違う世界に足を踏みいれた私はみるみる元気になった。生命力が花開いたといってもいいかもしれない。近所の悪ガキから教えられ、畑からキュウリやトマトを盗み丸かじり。おもちゃの代わりにトンボの羽をひきちぎる。それまで見たこともなかった大きなジョロウグモを探し手で刺激を与えその動きを観察する。かえるのお腹をわらで膨らませる。今思うとなんと私は残酷な遊びをみんなと一緒に楽しんでいたのだろう。夏には裸同然で近所の川で泳いだ。利根川の澄んだ水の輝きは今でも忘れられない。

 10年以上も適当な古民家がないか探していた。北部では上林、伊根、綾部、滋賀県では大津、近江舞子、新旭などあちこちにいった。その間綾部の里山ネットの物件はいつもチェックしていた。でもなぜか心惹かれるものには出会わなかった。そんな頃、偶然にも綾部高校にカウンセラーとして赴任になった。綾部はすでにあきらめてはいたけれど他の地域とは違う何かを直感で感じられるエリアだったのはたしか。ちょうどその年定住促進課ができ一番最初に掲載されていたのが今の古民家だった。趣があるというか落ち着いていて品格があり、だめでもともと一度見てみようと思いすぐに連絡をした。役所の人、大家さん、私と数人で車に乗り、9号線から見える白壁がそうだと言われた時、私のなかでピンと何かが動いた。

 広い敷地をゆっくり歩くと雑草にまみれた土の柔らかさが体に染み渡った。なんて軽いのだろう。リアルな感覚から少し離れたその微妙な感覚に部屋の中をろくに見もしないでここに住みたいとすぐに思った。大家さんは元綾部高校の先生だとか。身近に感じてもらえたのかその場ですぐに鍵を渡してくださった。聞けば15代続いた村でも一番古い家。本家なので売却するつもりはないことやお子さんたちはそれぞれ家を持たれていて住む意志はないことがわかった。ぼおっ~と家全体を眺めながら何かできるかもしれない、何かをやってみたいという思いがなぜか沸き起こった。それ以外の現実的なことはあまり考えなかった。やっと出会えた。その想いは今も変わらない。

 

 

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