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アートセラピーってなあに? その1

最近よくこの言葉を聞く、というか私が時々発するのでわからないから聞いてくるだけの話なのだが。自分にとっては当たり前になったことでもそういうことは巷にはよくあるような気がする。アートとセラピー、どう結びつくのか?! 例えば、長電話をしながらメモ帳に線だけでグルグル得体のしれない何かを自然に描くということは日常よくある。人はそれを気にもとめないが、なぜそんなことをするのか。動物は絶対にそんなことはしない。描いた線や形はなにかは自分でもよくわからない何か。ともかくその瞬間何かをしたかっただけなのだ。でもなぜそうしたいのだろう。ここにアートセラピーのヒントがある。人間には便利な道具として自分の手を使えるということがまずあり、あとは紙と鉛筆かボールペン。これさえあればアートセラピーができるのだ。もちろん、これ以外にもサウンドや動きなどといったものもあるけれども。

アートを特別な何かと考える人と誰でもができる表現の一つだと考える人と2種類ある。アートセラピーのアートの意味はもちろん後者である。人を感動させる芸術表現には鋭い感性と技術と修練が必要という人もいるだろうけれど、アートセラピーのアートは電話をしながらなにやら描いてしまう人間の本能と同じで自分の中の何かを表出する営み、表出せざるおえない営みである。それをすることで内側のバランスをしだいに得ていく繊細な営みといえるかもしれない。

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人類はスペインのアルタミアで発掘された絵画のように、古の遠い昔から石に岩に自分たちの生の営みを描き続けてきた。特別な技術をもってそうしたというより生きることと表現が一体となっていた。そうせざるおえない衝動があったのだろう。そして人は誰でも嬉しい時、ワクワクした気分の時、幸せな時、手を大きく広げたり、身体を動かしたり踊ったりする時がある。私も時々そうする。そうしたくなる。反対に気分が落ち込んだ時、悲しい時、苦しい時、身体はどんな反応をするだろう。ちょっと考えただけでもわかる。気持ち(心)と身体は密接に繋がっている。

セラピーは心理療法の意味であるから、アートセラピーときくと、私、健康ですから必要ないです、という人もいる。たしかにセラピーは心の傷を癒したりする側面が強い。が、自分では気がつかない意識の底に潜んでいる感情を発見するのに最適なツールでもある。シンプルに生きればさほど問題はないが、人間は他の動物と比べ前頭葉が発達し知能が高かった分、ことを複雑にしてきた側面がある。自分では気がつかないコンプレックス(ここでは感情の塊の意味)に囚われ、人との関係をうまく築けない人もたくさんいる。物事をどうしても一定のパターンで捉えてしまうという罠から抜け出せない人もいる。

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私がアートセラピーを知ったのは1995年頃。自分の生きづらさがわからずにいた当時、ある女性問題に特化した研究所に通い始め、初めてその存在を知った。色々な素材を使って自分の内側をいろんな側面から可視化する(自分の内側から外に出し見えるようにすること) 。使う道具は小学校では馴染み深かったクレパスや画用紙、色紙、毛糸、ビーズなどなど身近なものばかり。自分のなかのイメージに出来るだけ近い素材を使い表現する。私は好奇心と自分を知りたい一心で夢中になった。人との距離間を身体を使って表現したり、思考と感情を図で表現したり、パッと今思い出しただけでも印象に残ったワーク(作業)はいくつもある。心の専門家と言われる臨床心理士という職業があることもそこで知った。その後自分も大学院に入り直し同じ仕事につくことになるとは! 

アートセラピーは日本産でなく欧米から輸入されてきた。というより臨床心理という学問そのものがそういう歴史をもっている。ただ京大の山中康裕先生が “表現療法” という名前でされてはいたようだ。欧米ではいくつかの流派があるが、日本に初めてカウンセリングをもたらしたといわれるカール・ロジャーズの娘さん(ナタリー・ロジャーズ)が開発したアートセラピーを私はその後学んだ。これはアートセラピーという言葉の前に “表現” が入る“表現アートセラピー”という名でアメリカ産である。ベースにはカール・ロジャーズが提唱した“人間性心理学 (パーソン・センタード・アプローチ)“ という考え方がある。

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人は潜在的に“成長する力”を持っている。植物が太陽の暖かな光を求めて自然にその方向に幹を花を向けていくように。当然といえば当然だがこのことを信じ切れるか、ということがとても大切になる。セラピストが教えるのではない。セラピストが救うのではない。セラピストが指導するのではない。もちろんその環境やきっかけを与えることはできるけれども。植物にとっての太陽のように自ずから成長できるような、リラックスして安心して自分を出せるような、暖かで安全な環境を準備できるかどうか。

人はそんな環境があれば自然と本来備わった力を存分に発揮できるようになる。そしてそれを共有してくれる他者の存在(これはとても重要!)があり、他者によって肯定される瞬間瞬間を積み重ねる体験をするならば人の中にある種の確固とした力がしだいに培われていく。それは生きることでとても基本的な自分を信じるという力、自分を愛するという力である。世間でよくいわれる自己肯定感。言いかえれば自尊感情という唯一無為のかけがえのない自分をまるごと抱えられる力をしだいに獲得していくことができる、というのがアートセラピーがめざすところ。恋愛や人間関係の小手先の生きるテクニックではなく(これも無視できないが) 生きる上で基本になる本来の力ある自分を取り戻していく、ワクワクする楽しくも深〜いプロセス・営みとも言えるかもしれない。












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