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父のことば.2

つづき

お互いの胸の内を話すような家族ではなかったように思う。
みんな、仲は悪くないが、本心は知らない。何かに悩んでいるのか、うれしくて浮かれているのか、何も聞いたことがなかった(ような気がする)。喜びも悲しみも孤独も、なにも知らない。
わたしだけがそうなのかもしれないし、みんな一人ぼっちだったのかもしれない。自分の気持ちも話したことがあまりない。今も話せない。なにを抱えているのか。つらいことや、悲しいことも。
どこかで、言ってもどうせわかってもらえない。という想いもある。それは昔、飲み込んだ言葉があったからだが。

だからうちの家族は、みんなある一定の距離感を保って、家族という形を作ってきた。というより、まとまっていた。今でも、友人より家族の方が、わたしのことを知らない。
友人とは近づけても、埋まりきらないこころの穴。それは家族の中での距離感だったのだ。


「だらしなくても
困ったなら相談しろ。なんでも話せ。協力できるならするし、無理ならダメだと言う。話して、怒られればいいじゃないか。」


わたしは怒られてこなかった。怒られるほど、近づいたことがあまりなかった。ちゃんと父に怒られたと記憶にあるのは、一度しかない。
わたしは、愛されていないと認識していた。というか、孤独だったのだ。距離があったと感じていた。怒られるほど愛されていないと感じていた。そして同時に怒られないようにしてきたのだ。怒られたら、嫌われるという思い込みから。
…おや。怒られたかったのか、わたしは。どこかで。だけど表面では、怒られることを恐れていた。怒られても愛されているなんて知らない。
知らなかったのだ。

"怒られても、愛されるなんて。"

だらしなくても許されてるなんて
怒られても許されてるなんて
それでも愛されてるだなんて
知らない。

大人になって、迷惑ばかりかけて
でも助けてくれて、そういうことが何度かあって
愛されていたんだなということは、分かってきてはいた。
だけど、こんな風に腹の内を話すってことがなかったから(いつも、言葉のないやり方でしてくれてたから)
突然距離を詰められて、ビックリしたんだ。
それだけ父も、寂しかったんだと思うけれど。

父にも、言いたいことがあったんだよね。
なにも言わずに頑張ることが、父の、男の、やり方だったんだろう。頑張ってきたんだよね。
だけど、父も歳をとった。まだ自立しきれない子供たちが心配になったり、自分も、不安だったりして。いろんな気持ちが溢れたんだろう。

もう、いい大人の歳なのに
老い行く親がまだ引退できないような、心配をたくさんかけてる。
そんな自分を責める自分がやっぱりいるけど、だからこそやっぱり、自分が幸せでいれることに、いちばんの責任をもたなきゃ、持とう。と思った。
うまくまとまらない。
まだ、どうしようもなくても愛されてるの⁈の揺れの中にいる。

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