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(工事中です)熊野純彦『レヴィナス入門』まとめ

 熊野は「はじめに」において、「レヴィナスはたんに「殺すなかれ」という説法を説いてているのではない。レヴィナスはむしろ、殺人が現に果てなく生起している、ぎりぎりの場所で試行している。その場所から、人間の生存の条件を問い、他者の意味を問い、殺人の(不)可能性を問い詰めているのだ。」と述べている。
 レヴィナスのことについて、何かを述べるときこの前提を抜きにすることは大変難しいだろう。私はこの言い方が少なくとも好きだ。

 大学で哲学の授業を履修する学生の中には、この本を手に取る人も多いだろうと私は思う。レヴィナスの論は、個人的な経験と重ね合わせ、理解することができ、レポートに書きやすいように思う学生も多いと思う。
 しかし、熊野は「序論」において、この本の狙いを「私はしかし、いくつかの概念(たとえば「責任」や「倫理」や「正義」)について、今日ではよく知られたレヴィナスの所論を繰り返し要約しようとは思わない」と述べており、レヴィナスの論じた概念についてレポートを書こうとする学生には、あまり向かないと言える。
 「あらかじめひとことだけ限定しておくならば、私がかたどりたいレヴィナスは、経験の細部へと繊細な視線を届かせようとするレヴィナスである」と熊野が言う通り、この本は、レヴィナスの人生に沿って、どのようなことが言われたのか、それはどういう意味なのか、注釈をつけるかのように、書かれている。レヴィナスの思想を深く知りたい人のための入門書である、ということであり、レヴィナスの思想の概念を理解する目的にはあまり適していない、ということである。

 章立てについては、あまりに細かすぎるので省略する。小見出しに関しては、上記紀伊国屋書店でも載せていないため、この本を直接手に取って確認して欲しい。以下、この本の内容について簡単にまとめている。


第一章 思考の背景―ブランショ・ベルクソン・フッサール・ハイデガー

1.  ユダヤ人として

 レヴィナス(1906-1995)がユダヤ人として生まれ、彼が遊学を始めるまでの人生について述べている。彼が生まれたのは一次大戦前のカウナスであり、当時ロシア帝国ではポグロムが起きていた。また、一次大戦の後に、ロシア革命(二月・十月革命)を経験し、後年の彼が革命に対しシニカルであったことに触れている。1923年になり、遊学を始めて、ストラスブールに移住し、そこでベルクソンの思想と出会ったことを強調する。熊野は、レヴィナスがベルクソンの時間論において、到来する道の者への希望、決定された世界・「不条理な運命」への抵抗を読み取ったと指摘する

2. 現象学者として

 ここではフッサールとハイデガーに出会ったことについて、及びハイデガーの簡単な説明について述べている。ストラスブールでの教育を終了するときにフッサールの『論理学研究』と出会い、フッサールの下を訪れるためにフライクブルクへ向かい、ハイデガーに出会った。レヴィナスはハイデガーに新鮮さを感じ、影響を与えることになる。

3. 生涯の奇跡から

 ここはレヴィナスの年譜のため、割愛。

本書の構成

 この本の大部分はレヴィナスの生涯のうち、第二次大戦後の時期を三期に分けて、述べている。はじめが、「存在することから存在するものへ」に代表される戦後間もない時期。次がメルロ=ポンティ死後の『全体性と無限』に代表される時期。最後が、『存在するとはべつのしかたで』が発表されて以降の時期。これらの区分に沿ってこの本は書かれている。

第二章 存在と不眠―私が起きているのではなく夜じしんが目覚めている。

1. 大戦の終結まで


2. 復員の光景から


3. イリヤの夜から



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