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死ぬまで

今日はある芸人さんの単独ライブへ行きました。それはもう面白くて笑い疲れてしまうような最高のライブでした。
ライブの最後にその方が死ぬまでネタを作り続けるから皆さん観にきてくださいと(いうニュアンスのことを)言っていて、目の前ですんごいことを仰ってる人がいる!!!と思って私はそのままひっくり返ってしまいました。
演者側からこんならこと言われたらファンは色々な意味で堪らんでしょうね。「自分の行くライブでこの人が観れたら嬉しいんだよな!」くらいの熱量で会場に来ていた私にとっては、格好良くも感じましたし、また怖くも感じました。

私は自分が"言葉"を信用しすぎている節があると自覚しているのですが、これはどういう意味かというと、一度口に出した言葉は本当になってしまう、もしくは何らかの力としてどこかに作用してしまうんじゃないかとうっすら思い込んでいます。簡単に言えば言霊です。
その中でも特に感じているのは「死」という言葉の強さで、普段から「死ぬほど」「死んでも」というような割と日常的な比喩としての使い方ですら、他人が使っているのを見聞きしても少し反応してビビってしまいます。
(とはいえ「死」というワードを使った文言を一切口に出したり脳内で思い浮かべたりしないということではなく、そういうときは神様キャンセルのお世話になっています。)

話を戻しますが、こんな私が前述の死ぬまで宣言を聞いたら、ひとりの!人間の!死ぬまでについての話を!余生についてを!聞かされてしまった!!証人に!なってしまった!!とひっくり返るのも仕方ありません。
とはいえご本人がどれくらいの心持ちで仰ったのかは分かりません。雰囲気としては重々しいなんてことは全くなく「みんなもよかったら来てね♪」くらいだったかも。お笑いライブなんだからそりゃあそう。
ただもし「死ぬまで」の重さを、これまであったであろう生み出すことの辛さと、それを継続することの苦しさを(私に想像出来るものではありませんが)、少しでも想った上でのあの言葉だったとしたら、それはもう格好良いとしか言えない。ただでさえ予想なんて出来ない自分の未来のことを、こうしていくんだという意思を持って宣言できるのって本当に凄いことだと私は思います。
普段使わないからこの表現が合っているかは分かりませんが、あの言葉を聞いたとき「痺れた」と感じました。

今日観た姿はめちゃくちゃに格好良かったけど、自分が特に強く応援している人達に同じことを言って欲しいかといえば、決してそんなこともなく。
これからも出来るだけ長く観れたらそれはもちろん嬉しいけれど、他人の人生なので好きなように生きることが一番だと思います。それこそ我々がどうこう言った"言葉"で左右したくはない。
とはいえ明日の朝起きて「芸人辞めます!」というツイートが飛び込んで来たらそりゃあもう落ち込むし、きっと泣くし、暫くヘコみますが………こんなことわざわざ考えたくないですね…。
前にも似たようなことを書きましたが、お互いにそれぞれの人生があって、私も彼らもいつ居なくなるか分からないからこそ今を大切にしたいと思っています。

ただもし彼らが「死ぬまで」お笑いを続けると言ったとしたら、約束こそ出来ないけれど、「死ぬまで」見続けたいと希望を言うくらいの熱量が今の私にはあります。

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