見出し画像

死の話、かもしれない。

少し嫌な話をする。


あなたは好きなものをずっと好きでいられますか?

あなたは「もちろん!」「中学生のときにハマった漫画は今でも大好きさ!」「あの俳優のことは彼がまだ売れる前から応援し続けているの!」と答えたかもしれない。

では、その"好き"の熱量はずっと変わらないものでしたか?


何を言いたいかというと、好きなものをずっと好きでい続けることは簡単じゃないよね、ということだ。

「あのとき好きだったけど今はそうでもないなぁ…」
「今も好きだけど一番ではなくなったなぁ…」
というものが、きっと誰しもあるのではないか。

私は今まで色々な物や事や人を好きになってきた。そのほとんどを今も好きだが、この"好き"はそれを一番好きだったときと同じ熱量の"好き"ではない。
なんとなく好きだったものから、かなり熱心に追いかけていたものまで様々だが、今では何日も、ものによっては何年も、それのことを思い出さなくなっていたりする。あのときは寝ても覚めてもそればかりだったのに。

好きなものに熱狂的になればなるほど、それが冷めたときのことを考えてしまう。
ただ単純に楽しく「好き!!!」だけでいられたらそりゃあ最高だろうけど、そんな簡単なもんじゃないのさ!
何かを好きになると、そのことを四六時中考えて考えて考える。全部を知りたくなる。
その熱量に自分が気づいたとき、ふと冷静になって、"好き"がなくなる瞬間のことを想う。

誰かのファンがファンでなくなる様を見たことは何度もあって、他人事ながら寂しいなぁと感じた。
私は「ファンと応援される人」の構図が好きで、愛ではあるが恋とは違うこの特殊な関係性を、美しさ汚さ含め面白いと思っている。
そこには本人達だけが共有する記憶が、他人には想像できない感情の動きが、どれだけあるのだろうか。
それでも突然に、そしてあっさりとこの関係性はなくなってしまうのだ。

自分もいつか、今応援している人達のことを考えなくなる日が来るのだろう。
そもそも好きでい続ける自信なんて初めから全くないのだ。どんなに些細なこともきっかけになり得るから。それに、きっかけなんてなくても人の気持ちは移りゆくものだと思っている。

そのときが来ても、彼らのことを嫌いにはなりたくないな。彼らのファンとしての私が死ぬときは、安楽死か、天寿を全うして死ぬのがいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?