秋葉原通り魔事件遭遇から10年。当時救命活動に参加し見て感じたもの

これは2008年6月8日に秋葉原で起きた無差別殺傷事件(通り魔事件)に遭遇し救命活動に参加した一個人の見たもの、感じたことを書いた記録です

ずっと心に引っかかっていましたが、この10年間の供養として、自分にとって人生の転機として書き出します。

実際に遭遇した方は当時を思い出してしまうかもしれないので注意してください。

また、関係者各位に感謝します
(これは個人で書いたものです)

(初回執筆2018年6月6日)


俺は当時、19歳で大学に通い始めたばかりだった。

その日は高校時代の友人Nがパソコンを買いたいというので「どうせなら自作が安いよ。」という話になり秋葉原へパーツを買いに来ていた

色々見て回りながら歩いた。そして
ツクモだったか路地裏の緑色で細長いビルでパーツを見てから外に出たその時だった。

「おらぁ!!!出てこい!!!」

店の外はいつも以上の人混みと
男性の大声が響いていた。

喧嘩でもしてるのかなと思っていると
男性が女性の肩を支えつつ叫びながら誰かを探すように歩いているようだった

ただの喧嘩ではないと思った。

女性が傷付けられて相手は去っていったのだ
起きたのは喧嘩ではなく傷害だと察した
それも女性が一人で歩けないほどに、力が入らなくなるような傷害だと。

ふと視線を脇にそらすと中年の男性が血を流して倒れている
倒れた男性を囲むように人混みとは違う数人の男女が囲んでいた

傷害は一人ではない、もっと多くの人だ。

(書きながらまた泣いた)
今この場所一帯で範囲は分からないが「何か」が起きているんだ

周囲に人は多い。他の場所にも人はいるから行く必要はない
目の前で力を失って倒れている人に
助けをしている人に何か手助けをしなければ

そんなことを思っていると友人が言う

「俺達にできることねーよ。行くぞ」

その瞬間、
彼と自分が見ているものは違うのだと知った
彼は俺にとって
人生で最も仲の良い、最も信頼していて、最も尊敬する友人だった
それは10年経った執筆中でも変わらないが

ただ、当時の俺は失望した

ああ、もう俺達は別なんだ

そう、思った。
今思えば大きな孤独感を感じていたのだが
当時はそんな余裕も時間も無かった

「嫌だよ。」
(俺達にできることねーよ。行くぞ。に対して)

さよならとでも言うように一言告げて、目の前で止血活動に当たっている中でも特にハッキリしていそうな人に声をかけた

「何かできることはありますか」

だって何も知らないし分からないんだ。
ただそれでも、
目の前にいる人達が目的と手順を持って止血しているだろうことは感じた

分からないから聞く。とにかく何かしなければいけなかった

「ここを押さえてください」

確かそんなことを言われて、患部を押さえて止血する活動に参加したと思う
横たわる男性の命を感じた。鼓動はタオルの向こうだし、感じなかった

ほんの数秒か、数分か押さえて周りを見る
数メートル離れたところにさっき叫んでいた男女の女性が横たわり男性がしゃがみこんでいた
その様子から叫んでいた男性は悪い人ではないと思った

今助けている中年男性の近くには自分を含めて4,5人がいる
だがその男女のところに他の人はいなく、
女性の近くに唯一いる男性は気が動転しているのか何もできていないように見えた

この辺りはうろ覚えだ
ハッキリとおぼえているのは

止血は何をすればいいのかをその場で聞いて
「清潔なタオルとビニールが必要」

という情報を得たこと

俺はすぐに持っていたデニム製のカバンの中身を道の端にひっくり返した

「この鞄は使えますか?」
「それは…ちょっと。」

止血に使うには汚いようだ。
なんとなくわかっていたけどそれしかなかった
他には…もう服くらいしか無い
それも止血には汚すぎると思った

手元を見て何も無いと思った俺は周りを見渡した

実はここが大きなトラウマだ

周りには沢山の人がいて
携帯をこちらに向けて写真か動画をとっている人々がいた。その奥で通り過ぎる人々が見える
そして…

目の前で数人が死にかけているのに
こちらを見ながら談笑し笑っている人々だった
少しの人数じゃない。
そこから「見える範囲のほとんどの人」が携帯か笑いをこちらに向けていた

ここで少し書き手の話になるのだが
俺は父が母へのDV持ちで、家族には否定ばかりされた記憶がとても強い。
(但し姉は好きだ)
そんな自分にとって見ず知らずの他人は友人の次に優しいものだった。

そこに
信頼する友人は「できることねーよ。行くぞ」といい去り
世間は死にそうな人に向けて携帯と笑いを向けていた

信頼は消え去り、裏切られた。

そう感じた。一瞬の絶望だった。

冷静に見れば一方的な信頼だが、
生まれてから持ち続けた無垢とか純粋な信頼というのはそういうものだ。

話を戻す。
と、この一瞬の絶望は最大のトラウマの一つなのだが
当時はそんなことを感じている暇はなかったので、そのまま声を出した

「誰か、清潔なタオルやビニールは持っていませんか?」

目の前にこれだけ人がいるんだ、誰かしら持っているだろう

タオルを持ってきてくれた人がいた
ビニールは覚えていない
ラップだかビニール袋を使っていたと思う

そうしてやっと、女性への止血活動が始まった

去っていた友人もいつの間にか戻ってきていて

「車が多かったから、救急車が来れるようにはけてきた」

と言っていた。
見直した。さすが友人。

血が出ていた箇所を押さえていると
いつの間にか押さえているのは4,5人になっていた

一人に集まれるのがだいたいそれくらいなのだろう

止血活動も患部を押さえ続けるだけになった

そうしていると、思ったんだ。

俺達は彼女の痛みを取ることができない

俺達には、
腰を刺され、血を流して横たわる彼女の不安を取ることができない

俺達は無力だ

書きながら泣いた
当時、同じものを感じながら緊張状態から流れなかった涙が今になって流れたのだと感じた

女性と一緒にいた男性は動転し続けているようだった。
彼が言うには、その女性は血が固まりにくい体質だと言う

「彼氏さんですか?彼女を励ましてあげてください。それが一番良いです」

俺は男性に向けてそんなようなことを言ったと思う

不安は痛みで、痛みは不安だ。

ただ女性を安心させてあげたかった
痛みを少しでも取り除いて、和らげてあげたかった

医療の知識もない俺が女性になにか言うよりよっぽど安心できるはずだ。
男性も慌てていたので、こうすればきっとお互いに今よりも落ち着くはずだと思った。
そう思って、何も分からないままに、そう言い切ったと思う

人は誰かのために何かをする時、不安が和らぐ。

…どれだけ抑え続けていたのだろう
手は痺れて力が入らなくなって震え始めていて、誰かが抑える力にただ手を添えているような状態になっていた

そうして、ついに救急車がやってきた

男性と女性を乗せて、他に関係者がいないか確認すると救急車は去っていた

残った救命隊員から渡された書類に言われるままサインした
手は震えて力が入らなかった

彼女は助かるのだろうか。

そんなことを思いながら
周りを見ると一緒に救命活動をしていた人が笑っていた

一緒に救命活動をしていた人さえも笑っていたのだった

信頼していた友人と世間に裏切られた気分に染まっていた俺は
そんな笑顔にも裏切られた気分になってしまった
あの時見たのと同じ笑顔に見えた、そう感じた。
10年経った今でも変わっていない

それからお腹が空いたことに気付いたので
友人と歩いてマクドナルドに行った

道中ではテレビ局のようなものや
ヘリコプター、多くの警察がいた

思っていたよりもずっとずっと広い範囲で起きた事件だったようだ

マックへ歩いている時、
お互いに無言の時間は多かった

同じことを考えていた時間もあったようで
友人は彼女と家族に一言電話をした
「長生きしてくれよ。」

俺は当時、彼女はいなかったものの告白を断ったばかりの気の弱い女性に電話をした
「生きてくれ。」

あまりにも無責任な言葉だけど、他にかける言葉が見つからなかった
今思い返しても本当に無責任だと反省する

「その子と付き合えば?」

と言われたが
「いやなんかそういうんじゃないし、ただ元気になってほしい」

と答えた

マックについて席に座り、一息付くと気付いたんだ

あ、手に血が付いてる

友人と交代で手を洗いにいった
手を洗っていると知らない男性がさらっと声をかけてきた

「外、大事件みたいですね」
「なんかそうみたいですね」
「ヘリコプターとか警察とテレビ局とすごいですよね」
「ですね」

血って見た目より落ちにくいな。と思いながら、そんな言葉を返した

お腹が空いていたのでハンバーガーは美味しかった。
なぜか味はしなかったけど。

食べながら、友人に救命活動に参加した時に頭をよぎっていたことを話した

「高校の時に好きだったあの子が泣いていた時のことを思い出したんだ
俺は何もできないで何も言えないでその場を離れてしまった
その日の彼女と、傷付いた人がかぶって見えたんだ」

思い返せば、そんなことを思っていた

それから何をしたかは覚えてない。
どうせゲーセンで音ゲーでもやり気分転換をしてから解散したのだろう

家に帰ると母がテレビでそのニュースを見ていた

「これ、見た?」
「ああ、そこいた。救命活動してきた。」
「えっ」

父には後日話した
「おお、すごいなぁ!」

俺が欲しかった反応はそうじゃなかった。わがままだけど。
理想は…

「そうなの?相手は助かったの?」

だ。
誰も同じものを見ていないのだと、
それからの人生は孤独感が強まるばかりになった

それ以外には数年間自分からこのことは言わなかった
この10年間で10回も話してないと思う
言いたくなかった。
当たり前のことをしただけなのに
父と同じ反応をされそうなことが嫌だった

学校では
みんながゲームで遊んでいるところを

「あの犯人みたいになるわよ」

と茶化す教師が数人いた
ただゲームで遊んでいるだけなのに
そんなことを友人に軽々しく言う教師にすごく腹が立ったことを覚えている

まぁその友人達自身もその事件を笑っていて嫌悪感を感じていたのだが
(友人Nは別の学校で、この友人達には何も言っていないので彼らは今もこの出来事を知らない)

そんなこんなで数日が経った(と思う)

当日一緒にいた友人Nから連絡があった
どうやら当時家電を持たなかった彼は救急隊へのサインにバイト先の電話番号を書いたようで
そこへ救急隊から電話があり、話が広まりヒーローになったと喜んでいた

俺はそんな彼にがっかりした

その電話の中で、表彰式があると聞いた
式について知らなかったが、そういえば携帯に見知らぬ番号から着信があったなと思った

だいたい鬱っぽく自分を責めがちな体質の俺は
表彰なんてされるようなことじゃない、嫌だ
と思っていた

そもそも、普通で当たり前のことをしたはずなのに表彰なんておかしい

ただ信号を守るとか、そんな当たり前のことをしただけだ(信号は状況を見て無視することはあるが)

目の前で人が死にそうな時に手助けすることは
表彰するほど特別なことなのだろうか?

表彰というのは大会で入賞するような
そういった特別なことを成した人がされるものなのではないのか

俺はそんなことはしていない
と、自分に言い聞かせた

まるであの日、
携帯や笑いを向けていた人達が「普通」なのだと言われている気がしたから。

そんな世界は大嫌いだ

そんなもやもやを言い訳に
当日は表彰式に出席しなかった

式の時間になると携帯に着信があった

「すみません、いけません。表彰状もいらないです。」

そう伝えると
来れないのなら渡しに行きます。受け取ってください

というようなことを言われた
いえ、大丈夫です。と言っても是非受け取ってください。というような流れだった

数日後だったと思う
家の前まで、30歳くらいだろうか、男性の係りの人が届けに来てくれた

さすがに断れずに受け取った

こんなことに時間を使わせてしまって申し訳ない気持ちになりながら
ありがとうございます。と伝えた
結果的に彼の時間を奪ってしまったと感じた

感謝状は思ったよりも大きかった

ちなみに
表彰式では表彰後に署長さんとお話をする機会があったらしい
友人Nから聞いた。

それだけは興味があった

警察の方など、
人を助ける立場の人はきっと同じ気持ちになったことがあるのだろうと思ったからだ
どうやって気持ちを解決しながら人助けを続けられるのか、俺には不思議でたまらなかった

それからいくつかのトラウマを経てニートになり自殺未遂なども経験して引きこもりになった

だが、今はもう死にたいという気持ちになっても
必ず生きるという意志で生活している

あれからちょうど10年
息継ぎをするには良い機会だと思い書き出してみた


数年後

俺はある人に数回、地震や海の話をしていた
その人はそれから少し経って体調を崩してしまった
後から知ったのだが
彼は震災経験者だったそうだ

決して笑ったわけではなく、普段の話題に出しただけなのだが
俺は彼を傷付けてしまったのかもしれない。

その時に、
こちらに携帯や笑いを向けていた人と自分自身がかぶって感じた

俺に悪気が無かったように
彼らにも悪気は無かったのだろう

ただ、意識の違いがあったのだと。

俺が携帯や笑いを向けていた人の気持ちが分からなかったのと同じように
彼らもまた、こちら側の気持ちを分からなかった、知らなかっただけなのだ


最後に、

この件では誰を責めるでもなく、

手を差し伸べる人が一人でも増えて欲しいと心から願っています

あなたが人を助ける時
世間が敵に見えても
俺は味方です。
あなたを応援します

こんな話を読ませてしまってごめんな。
そして、
最後まで読んでくれてありがとう。

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