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シンエヴァ感想、これエンドロールが本体なのでは?

※以下すべて、27歳独身男性の圧倒的個人の感想です

3月8日(月)仕事の調整がついたのでこれ幸いとシンエヴァを見た。

これは・・・

リアルタイムでエヴァTV版から追いかけ続けた人、あるいは新劇からであってもエヴァにどっぷり沼った人にはめちゃくちゃ刺さるだろうな・・・

無難にまとまってて、一言で言えば「エヴァゲリオン卒業式」なんだろうなと思った。(当然、エヴァというコンテンツを考えたとき一言でまとめようとすることが無粋であることは自覚している)

おれはアラサーの会社員で、リアルタイムではエヴァに触れなかった人間だった。序を金曜ロードショーか何かで見て、破を映画館で見た。その後TV版と旧劇を見てシンに至るという感じ。

オタクでなかったかといえばそんなことはなく、中高時代どっぷりはまっていたのがエウレカ、ファフナー、ラーゼフォンといったいわゆる「エヴァのこどもたち」だった。(個人的にはギアスもエヴァのこどもたちだと思っている)さながら戦後日本の逆コースである。

だからおれはおそらく当時エヴァが提示したであろう、そして畳まなかったであろうなにかに対して、各々各作品が出した答えからアニメに入ってしまった。

だからそもそもエヴァに「入学」していなかったんだと思う。ネットではすばらしいまとめ方だ、これぞエヴァだという声であふれているけど、自分には実感に乏しい。

これがリアルタイムでエヴァを追っかけてて・・・ってなると、最高のカタルシスになるんだろうなと、こればっかりはうらやましい。

そもそもおれの世代近辺、もっと下の子たちの世代って、アニメが迫害されているという意識がほとんどないんじゃないかと思う。同時に、アニメ好きとスポーツとか、受験とか、恋愛とか、そういった日常の営みが両立するのが当たり前な感覚がある。(自分がそうだとは言っていない)

だからシンエヴァの「アニメじゃなくて現実に戻ろうよ」みたいななんとなくのテーマがあまり実感がわかなかった。いや、最初っから現実とアニメは別枠で見てますよ・・・みたいな。そもそもそれTV版でもEoEでもお出しいただいたじゃないですかー!やだー!みたいなところもある。

ただ同時に感じたのは、「エヴァンゲリオンイマジナリー」「人間だけが現実と虚構を同一視できる」「見たいものを見る」「リアリティで立ち直ることができた」みたいなところから、現実で立ち直れればそれに越したことはないけど、虚構でも立ち直れるならいいよね、みたいな人間に対しての温かみを感じた。

急にリアル調になった綾波(なのか?)の生首も、劇中で言われてた通り「なんかヘン」というか、本来劇中の文脈では理解できないと思うんだ。作画が違うというか、そもそもデザインの世界観違うし。なんかドラッグオンドラグーンみたいだし。

でもおれらはあれが旧劇のオマージュなんだとすぐにわかる。水色の髪だったり、赤い目だったり、綾波レイというキャラクターの要素をアニメ的文脈で理解していて、そのリテラシーをもってアニメを見ているから。これこそ想像力ってことだよなー(でもやっぱ露悪的だなー)と思った。

そんでもって最後にシンジとマリが現実世界の駅から走り出すシーンからエンドロールに行くわけだけど、個人的にはここが一番ぐっときた。所詮アニメは虚構だけど、でも虚構のためにこんなに多くの人、会社、組織がかかわってるんだぞと。エヴァはこれで終わりにするけど、古いエヴァにいつまでもしがみつかずに新しい何かに挑戦してみろと。そういうメッセージを勝手に感じた。エンドロールから一番パワーを感じた。

たぶん制作陣はこんなこと思ってないだろうけど、そこは「見たいものを見る」のが人間だということで。なんか前に庵野監督がエヴァは見る人の鏡になるように作ってる、みたいなこと言ってたし・・・

シンエヴァ見た後こんな文章書き散らしてる時点で心動かされてるわけで、やっぱエヴァってすごいコンテンツなんだな、でも終わっちゃうんだな、と思いました。

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