美人とは②

まさか此処で、卑屈な美人論を展開することになろうとは、どんなへそ曲がりだろうかと思ってしまう。

そんな私だが、どうか許してほしい。

容姿のレベルだけで言ったら、ぶっちゃけ美人なんて、そこらじゅう何処にでもいる。なんら特別なことでもない。


綺麗であることは、特別でもなんでもない。


自分は特別であるという幻想に縋りたい人たちは、今日も鏡の前で、私は世界一の美女なんだと自己洗脳にかける。


たしかに、美人だね、可愛いね、綺麗だね、スタイルいいねと、容姿を褒められることは、女性は本能的に嬉しいであろう。


しかし、それはあくまでも、その一個人の主観によって判断されたものであり、明確な基準が設けられている訳でもなく、強いて言うなら、分かりやすくメディアが生み出すファッションとしての「美人像」が存在するだけである。


また、他者評価によって褒められることは、まるでジャンクフードや麻薬のように中毒性があり、承認欲求という名の快楽を刺激する。


もう他者評価や相対主義の社会から離脱して、完全なる自分軸で、自分の美しさを認められるようになりたいというのが本望である。

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