私がここちゃんずになったワケ

きっかけは本人が出ていない作品

久々に自分語りを…いや、久々でもないな、前回少し語ったな。まぁ改めて、ここちゃんを推すようになった経緯をちょっと話してみたい。

それにはまず、ガルパンおじさんになった理由から話さないといけない。ガールズアンドパンツァー、通称ガルパン。TVアニメ放映から今年で10周年をなんだかんだで迎えた、大作品である。
ガルパンを知るきっかけは、6年前になるだろうか、とある東方ジャズサークルのメンバーが静岡の端っこからわざわざ立川まで劇場版を見に来る、というツイートを見たことから始まる。彼とは今年で10年になろうという交友関係があり、それなら俺もその話題作を一緒に見よう、という流れにしたのだ。
東京は立川にあるシネマシティ、シネマ・ツーのaスタジオ。ここは映画の音響に大規模な改造を行った、現在でも極上音響上映や極上爆音上映などで名を馳せるシネマコンプレックスである。
同じく音響にこだわっていたガルパンの岩浪音響監督と意気投合し、音響監督自らが劇場版上映にあたり音響調整を行い、当時は一部のオタクの中で話題になっていたため、名前は知っていた。
しかし当時の俺はガルパンなど全く知らず、その友人に話題を合わせるために近所の映画館で1回予習を行うほどだった。それが、一緒にシネマシティで極上爆音上映を見たとき、文字通り身体が震えた。それほどまでに爆音はすさまじく、そして心に突き刺さった。
それから幾度となくシネマシティに通い、1か月後の2月には茨城県大洗町に一人で聖地巡礼を行うまでになっていた。ガルパンに関する情報を集めまくり、ガルパンのラジオをやっていることを知ったのが2月末だろうか。さっそくそのラジオが配信されているアプリをインストールした。

それが、音泉ラジオステーションである。
大学時代から20年近く遠ざかっていたアニラジの世界に、再び戻ってきたのだ。そのアプリをいじっている内に、とある作品のラジオが配信されていることを知った。それは俺が子どもの頃に熱中していた作品だった。
魔法陣グルグルである。

初採用は最終回

魔法陣グルグル。ここちゃんがその知名度をグンと上げた作品であり、代表作にも数えられる作品である。原作は少年ガンガンという雑誌に連載されており、連載当初から20周年を超え現在も魔法陣グルグル2として連載されている、超大作である。プリキュアよりその歴史は長いのだ。
子どもの頃、といっても中学生くらいだが、2度TVアニメ化されていた。2度、というからには、内容も多少違っている。最終回の着地点も変わっている。その作品の3度目のTVアニメが、6年前に放映されたものである。
自分がハマっていた作品がアニラジとして配信されている。当時の喜びっぷりと言ったら、まさに飛び跳ねるくらいだった。さっそく配信を聞いた。

それが、俺とここちゃんとの最初の出会い、「グルナビ」だった。

ラジオから流れてくる声に、不思議と違和感はなかったのを覚えている。ラジオから3度目のTVアニメ放映がされていると知り、急いでTVをチェックしたのも覚えている。声優さんの名前も知らず、昔と声は違うはずなのに、どのキャラも違和感なくすーっと入ってきたのも覚えている。
そして、スタッフ陣の作品に対する愛情が強かったのも、覚えている。池袋で行われていた原画展にも行ったし、ラジオCDもグッズと一緒に買った。有明でのイベントにも単独参戦した。当然ながら、知り合いなど誰もいなかった。
そして、ラジオにアニメの感想メールを送った。コーナーにもメールを送ったが、全滅だった。「ずちここ」のコンビネーションは今更言うまでもないが、やはりずっちがここちゃんを引っ張っているようなイメージはあった。トークのやり取りから仲睦まじさを感じていたが、どことなくここちゃん側に気持ちが動いていた。ニケよりククリのほうがよかった、のかもしれない。
そして、アニメが最終回を迎え、グルナビも最終回を迎えた時だった。俺が送った感想メールが読まれたのは。ずっちがメールを読み上げ、ここちゃんが相槌を打ってくれた。キャスト・スタッフの愛情がこれでもかというほど強いこと、そして当然のように第2期を待っていること。当然だが、とても嬉しかった。
しかし、俺の心が大きく動いたのは、そのメールを読まれた後ではなかった。番組のラスト、二人の挨拶だ。ここちゃんが号泣した。「こんな、誰も知らない声優の名前を知ってくれてありがとう」。その時だ、彼女を応援していこう、彼女を追っていこうと思ったのは。

ここちゃんずになれた時

それから、ここちゃんの出演する作品は少しずつ増えていき、音泉でも断続的にラジオを担当するようになっていった。そして出演する番組を見てはハマり、原作の単行本を買うようになった。
「あそびあそばせ」では3人の中で牽引役を担っていったように感じていた。グルグルの時とは違い、成長していく様を耳で感じ取ったものだ。3人の映像特典などは微笑ましく見ていたのも覚えている。

そして、魔法陣グルグル第3期開始から5年後、かぐや様は告らせたい、が始まった。ラジオもアニメを先行する形で始まったが、当初はラジオの内容に驚いた。それまでのラジオと違い、アニメの内容に一切触れないのだ。感想メールが読まれたことなど一度もない記憶がある。コーナーは恋愛に関するタイトルだったが、その内容に関しては記載する必要はないだろう。何度かメールを送ってはみたものの、すべて玉砕された。
いや、例外が1個だけあった。それが、サイエンスホールで行われた公開録音である。この公開録音をきっかけに、今まで単独で動いていた俺が、ここちゃんずの輪の中に入ったのだ。

公開録音の前から、「ここちゃんず」の話はラジオから漏れ聞いていた。ここちゃんのファンコミュニティがあること、そして不定期に集まっていること。存在は知っており、憧れはしていたが、自分が知らない人の輪の中に入ることに抵抗はあった。
公録があったのは夏だったが、その年の春からココラジが始まり、A&Gのアプリを入れてラジオを聞いていた。こちらも初めて読まれた内容は覚えている。誕生日記念に、高校時代に買っていた絵葉書を郵送したのだ。5桁しか記入する箇所がない郵便番号の絵葉書だ。ここちゃんは昔の葉書を知らなかったようで、5桁の郵便番号に驚いていたのはしっかりと記憶している。
それがあっての、夏。ツイッターに公開録音にフラスタを送ろうというツイプラが立った。海ぺさんと合同ではあったが、主催者のkaguyaさんの名前はココラジでたくさん聞いてきた。俺の中では有名人であり、対して自分は無名リスナー。さんざん悩んだ挙句、ツイプラで参加のボタンを押した。
そして同時並行でkaguyaさんがツイプラで募集をしていたのが、公開録音の打ち上げだった。これが名前だけは聞いていたここちゃんず会か。参加者欄には見知った名前が並んでいた。先ほどの苦悩の倍以上、頭を悩ませた。そして数日、勇気を出してこちらにも参加表明をした。
打ち上げ会場は秋葉原のとある焼き肉屋。おどおどしながら席に座ると、目の前に座ったのは数学さんだった。こちらも名前だけは知っている有名人だ。言葉が出ないが食事や飲み物は出てくる。注文することにも緊張したものだ。
そこから2時間、少し心に余裕が生まれてきた。焼き肉の火がつかない、というトラブルも手伝ってか、少し連帯感を感じていた。ココラジが始まるからという理由だったか、二次会をすることになった。こちらはぶっつけ本番、やはり参加するには勇気が要ったが、参加に手を挙げた。
A&Gアプリの使い方を道すがら教えてくれたのが数学さんだった。おかげでココラジを聞きながらツイートを見ることができた。サイゼリヤで1時間半だろうか、二次会が終わるころには、自然と笑顔が出てくるようになってきた。

そこから先は言わずもがなである。あれから、イベントごとに自分から会を開くようになってきたし、忘新年会もやるようになった。聖地と言われる川越にも行くようになったし、遅まきながらそこから月がきれいも履修した。
ツイッターではここちゃんず同士横の繋がりができてきて、それが広がっていった。そのことがとても嬉しかったし、今でも嬉しさに変わりはない。イベントでは一緒に行く人を探すようになった。

ここちゃんずはいつでも仲間を待っている

ガルパンきっかけから魔法陣グルグルでここちゃんを知って、推して、5年になる。その間、ここちゃんはいろんな作品に出演し、プリキュアにもなった。ここちゃんを知ったきっかけは人それぞれで、ファン歴も年齢層も幅広いものがあることは、ココラジが教えてくれている。5年ともなれば、もう俺は古参の部類に入ってしまうのだろう。
この春には「ずちここ」コンビが帰ってくる。この作品をきっかけにここちゃんを新しく知る人も出てくるのだろう。それはとても喜ばしいことだ。今月行われるアニメジャパンを始め、またいろいろなここちゃん関連のイベントが出てくることだろう。
だから、あえて言いたい。ここちゃんずは、ここちゃんずなんだと。ここちゃんが好きな同志なんだと。そこに差なんて関係ない。みんなでもっとここちゃんを応援しよう。仲間になろう。一歩の勇気で、世界はまた変わって見えるのだ。

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