ココラジと私、と精神疾患

ココラジ200回記念作文を、配信で読み上げてもらった。ココラジは「止まり木」である、そう評したのには少し理由がある。見出しをつけるほどのものでもない駄文に、お付き合いいただければ幸いである。

ここちゃんに送った絵葉書がある。群馬県在住の四肢麻痺の詩画作家、星野富弘さんの絵葉書だ。そこには口のみで描いたとは思えないほど緻密な花の絵とともに、言葉が綴られている。
「私は傷をもっている あなたがその傷を癒してくれる」
前半部は文言は間違っていないが、後半は文言が多少間違っているかもしれない。全体としての意味はおおむね間違ってはいない。

うつ病・社会不安障害・不眠症。それが今の俺につけられている心療内科での病名だ。仕事でのストレス、家族内の人間関係、いろいろなものが積み重なって噴出した症状である。うつ病自体はかれこれ15年の付き合いになるだろうか。
今の生活に満足など到底いっていない。仕事内容に見合わない薄給、考え方の相違による親との育児関係、エトセトラエトセトラ。シングルファーザーではなかったら家を出ている。幼少のころから、親の意見には素直に従えない自分がいる。

ネット社会に入ったのは20年ほど前になるだろうか、いやもう少し前か。今ほどインターネットが盛んでない頃である。基本、ネット社会に集まってくるのは社会不適合者だと考えている。少し過言だったかもしれないが、プライベートに居場所がない、そんな人たちが集まっていたのが当時のネット社会だった。
そこには今でいう精神疾患を抱えている人たちが大勢いた。リストカットやODなんてザラだった。そんなネット社会で交際を始めたものだから、相手はいわゆるメンヘラがほとんどだ。10年前に知り合った元妻もそうだった。年末に相手の親からSOSが来て、遠隔操作で相手を精神病院に送り込んだものだ。
大学時代から心理学には興味があり、ネット社会に染まってからは精神疾患についても独学で勉強するようになった。今から考えれば、いじめられっ子だった中学時代から希死念慮を覚えていた自分は、うつ病の30年物なのかもしれない。

閑話休題。ココラジは止まり木だと評した。いろんな鳥が止まる。実況でいろんな人と繋がれる。そこまでは確かメールに記したと思う。
冒頭で絵葉書の話をした。あの絵葉書は、勝手にここちゃんず代表として直接渡したいとずっと思っていたものだ。直接渡して、言葉の内容をダイレクトに伝えたい。ラブレターに似たような感情を持っている。
10歳ほど上に、あかねぞらさんという人がいる。ここちゃんず会をかつて主催し、今は病身となりながら必死にあがいて生きている。いや、あの人からすれば「無理やり生かされている」と感じているのかもしれないが。そのあかねぞらさんを思いながら、あの絵葉書を送り、そしてココラジ200回メールを記した。
いろんな人が、いろんな思いをしながらココラジを聞いている。それはここちゃんが言っていた通りだ。だけど、それを少し掘り下げてみると、いろんな精神状態で聞いている人がいるのも事実だと思う。実際、ココラジがなかったら今の俺がどうなっていたのか、想像ができない。
ココラジは癒しである。様々な人が、様々な思いをしながら、その癒しを受けている。それは時に救いであったり、楽しみであったり、笑いであったり、いろいろな形を取りながら、リスナーに届いているだろう。
いろいろな枝に、いろいろな鳥が止まり、ひと時の休息を得る。時にはひどく傷ついた鳥がいるだろう。時には元気そうな鳥もいるだろう。しかし、ココラジが「癒し」だと思う時、それは自分に傷がある時だ。傷がなければ、そもそも癒しを感じることはないのだから。

時代が進み、精神疾患という認知が広がってきたが、まだまだ精神疾患の多くは知られていないと思う。自分が独学で得た知識が、少しでも困っている人の助けになれば幸いだと思う。それでもなお、小原好美という存在には、やはり遠く及ばないものだ。ナチュラルボーンキラーという言葉があるが、彼女はその真逆、ナチュラルヒーラーだと思う。その恩恵を受けながら、我々はまた、社会に向けて翼を広げ飛んでいくのだと思うのだ。

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