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「25時、赤坂で」は、ドラマセラピーだった。

ドラマ「25時、赤坂で」の主人公2人。羽山麻水と白崎由岐。
羽山と白崎は俳優の設定で、ドラマの中で、劇中劇を演じることになり、羽山は涼二、白崎は拓海という役を其々演じている。
因みに、羽山麻水を演じているのは、駒木根葵汰さん。
白崎由岐を演じているのは、新原泰佑さん。

その駒木根さんと新原さんの演技が、劇中人物の羽山と白崎の演技と、劇中劇の涼二と拓海の演技で違っている、という指摘をXで読んで、Xでやり取りした内容を、最初に載せておきます。(相手の方には了解を得てあります。)


(↓の“さらり“は私です💦)

<註釈代わりに、ドラマセラピーについて説明してあったサイトを載せておきます。>




貼り付けは、ここまでにしときます💦

↑のやり取りをしたのは、1週間前のこと。
当時の自分は、毎日が「25時、赤坂で」一色。

5月30日(木)…日付が変わっての深夜、たまたま7話を見て、羽山麻水を演じていた駒木根葵汰さんのやわらかい声の静かな語り口調に惹かれて30分。
見終わって、それまでの“羽山麻水の物語“を知りたくなり、1~3話までの録画が中途半端だったこともあって、そこまでの全話が配信されているU-NEXTに登録。
一気に6話までを見て、見終る頃には、もう完全に羽山麻水と駒木根葵汰さんに堕ちていて。

そこからは、もう毎日毎晩、25時や駒木葵さんのことを考え続け、ネット記事を読み漁り、様々な動画を見捲っていた。
生まれてはじめてFCにも入り、葵汰くんがパーソナリティーを務めるレコメンを聞きたくて、radikoをインストール。
レコメンを録音したくてらくらじもインストール。
何年も放置し続けていたXにも、25時や駒木根さんのことを毎日書き続けた。

端から見たら、きっとちょっとヤバい人💦
でも、当時の私にはとても必要なことだったと、今あらためてそう思う。

25時の7話に出逢ったときの私は、完全に自分の感情に蓋をしていた時期だった。
色々な感情が呼び起こされないよう、呼び起こされそうになったら、どうにかして何も考えないようにしていた。
何か考え始めたら、自分が壊れそうで、でも、壊れては絶対にいけないという気持ちも強くて、とにかく淡々と毎日を過ごすようにしていた。

そんな生活が1ヶ月ほど続いていた5月30日。
昼間、近所に買い物に出かけたとき、自分の視界がおかしくなっていて…こわくなった。

視界がおかしい…というのは、離人症状のことで、
周りが凄く遠くに見える感覚が起きる。
子どもの頃、私は結構キツイ精神状態で過ごしていて、その頃は知識もなかったし“離人症“とも分からなかったけど、時々そんな状態になり、酷いときには半年以上続くときもあった。

でも、私の芯がタフだったのか、中学にあがる頃には、もうそんな状態が起きることはなかったけど。
原因は親だったけど、その件は割愛。
昔のことだし、もうケリもついているので。

ただ、大人になってからも、2回ほどそんな状態が起きたことがあって、何れも数十分でおさまったけれど、それがまた起きた…のが、5月30日。

今回も、そんなに長い時間、離人症状が続くことはなかった。
けれど、このままいったらヤバいな…とは思った。

何も感じないようにして淡々と…の毎日を続けていたら、自分が壊れていきそうな気がして、でもそうかと言って、感情が麻痺する原因となったことに向き合うことも中々出来ない。

そんなときに見た、「25時、赤坂で」。
ドラマの世界に没入し、羽山麻水に感情移入し続けたのは、私自身に対するドラマセラピーだったように感じる。

自分自身のリアルに向き合うまでに、気持ちが回復したかどうかは疑問だけど、少なくとも、25時にハマり捲っていたこの1ヶ月の間に、私は泣くことが出来て、笑うことも出来るようになった。感情の起伏を思い出した。

多分、きっかけは、葵汰くんが演じた羽山麻水の声だったと思うけど、麻水さんや白崎くんに感情移入することで、ドラマの世界に没入して、登場人物の気持ちを自分のもののように味わって、登場人物の台詞を頭で何度も反芻しているうちに、知らず知らずのうちに、ドラマセラピーのようなことをしていたのかもしれないと。

話が長くなってしまったけれど、

羽山麻水が芝居に夢中になったのは、自分自身に対するドラマセラピー。
羽山や白崎が、恋を成就することが出来たのも、昼のゆめの涼二や拓海役を演じながら、役として味わう感情や役として口にした言葉が、羽山や白崎の中に取り込まれていったからのように思えるし、一種のドラマセラピーと言えるのでは。

そして、ドラマに夢中になった私も、多分。

一昨日、見た動画では、駒木根さんが、(羽山)役と一緒に成長できた、と話してた。

実は、私が音楽療法をやってみようと思ったのも、小さい頃からやっていたピアノが、自分の感情を表現する手段となっていて、ピアノを弾くことが自分自身に対する音楽療法で、それによって、自分の心が救われていたんだと気付いたから。

今、私が住んでるウチにはピアノはなくて(ずっとピアノどころでもなくて、トランクルームに預けっぱなし💦)、もう随分長い年月、ピアノを弾いてない。
ピアノを弾きたいと、少し思いはじめてはいたけど。

自分を表現したり、自分の感情を表出したり、疑似体験することで、自分でも気付かない内面に気付いたり、自分にはなかったものを生み出してくれたり、或いは引き出してくれるもの。
それが、ドラマセラピー。

「25時、赤坂で」は、そこに描かれていることもドラマセラピーだったし、
作品を味わった人にとっても、ドラマセラピーとしての意味を持つことが出来た作品だと思う。

因みに、演じた人にとってどうだったか…は、ご本人自身の想像にお任せで💦


※殆ど、ブログのような内容になりました。
ドラマの話なのか、私自身の話なのか、よく分からない長文、お読み下さった方、ありがとうございました。

25時のおかげで、この1ヶ月、放置しっぱなしだった自分のリアルに…少しずつ目を向けられそうな今。
1つの区切りとして、書き残しておくことにします。

それに…もしかしたら、ですが。
この内容が、どなたかの、何かしらの参考になるかもしれない?とも、僭越ながら思ったので。


💡追記。

山瀬の台詞に、“役と自分がごっちゃになる“ というのがありますが、それって“演じる“を“仕事“として捉えたときには大変な部分でもありますが、
それがあることで、演じる人の心を助けることもあるのだと思います。


🐰更に追記。
私は、昔からドラマが好きで、たまに25時のようにハマるんですが、もしかしたら、私のドラマ好きも、そこから来ているのかも。
小さい頃は、よく1人で適当に台詞を作って、誰もいないところでお芝居めいたことをやっていたことも思い出しました。
演劇とかやってみたいな~と、密かに子どもの頃からずっと思ってたりしてたのも、舞台演劇に対する憧れがずっとあるのも、そのせいかもしれない…今になって気付きました💦
きっと私は、ずっと自分で自分の心を救おうとしてたんですね。

子どもの頃から小説も漫画も好きでよく読みましたが、好きなものって、きっとその人自身にとって、何か必要があるものなんだと思います。

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