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葵汰くんの弾き語り



葵汰くんの弾き語りに癒されてる夜。

ピアノとか歌とか、よく“上手い下手じゃない“と言われていて、私もずっとそれを人には言い続けてきたし、私自身もそう思ってはきたけれど、

それは、
“弾いたり歌ったりしている本人にとって“
という部分が大きかった。
ピアノや歌に限らず、芸術一般的に、それは自己表現だし、自分を表出することで、それはどんな人にとっても大事で必要なことだから。

自分は、一応、専門的にピアノをやってきていて、某音大のピアノ科出身。
ピアニストになる程の腕は身につけられなかったけれど、そこそこまともに弾くことは出来て、ピアノの成績?(“大学“だから試験があって、演奏に成績をつける)も悪くなかった。
だからというか、専門知識があるが故に、ピアノの演奏は、基本、厳しく聴いてしまう。
(これはもう仕方がない💦専門にやってきた人なら誰でもそうだと思う)

どんな世界的なピアニストの演奏でも、疑問に思う演奏はやっぱりあるし、手放しで褒め称えたり感動出来る演奏は限られたものだけだったりする。
それに、いくら素晴らしい演奏でも、“自分の好みじゃない“ってのもあるし、この曲をこんな風に弾いていいの?とか、聴いていて何も伝わってくるものがない、とか、それを言い出せばキリがないし。

だから、最初に書いた“上手い下手じゃない“は、あくまでも、“それを弾いてる人にとって“ だった。
少なくとも、自分の場合は。

でも、そうじゃないんだなぁ…と、実は初めて、それを実感した。


🐝🐝🐝

ピアノも歌も、それを弾いてる人、歌ってる人自身が出る。
それは勿論、当たり前のように分かっていたことで、演奏や歌い方が好きじゃないと、大抵、私はその人に好感が持てない。

歌は“声“を発するもので、身体が楽器のようなものだし、歌声を聴くのは、その人が話しているのを聴くようなもの。
だからその人自身を知るのに、分かりやすいものだったりするし、好きな歌声を聴く為に、日常の楽しみとして、歌はよく聴く。

でも、演奏になると、それも自分の専門のピアノになると、その人自身のことは演奏を聴けば分かるけれど、(好き嫌いのことも含めて性格的なことや人間的なこと)
私は中々、その演奏自体に感動したり癒されたりは出来ないんだよね。…というか、今までずっと出来なかったんだよね。

だから、自分が癒される為だけにピアノの演奏を聴くことは殆どなかった。
なかったというか、避けていた。
癒されたいときにピアノを聴くと、かえって疲れてしまうから。
ピアノの演奏に限ってだけのことだけど、自分の専門であるが故に、どうしても頭の中で色々と“分析や評価“をしてしまって、全然楽しむことが出来ないから。

なのに。


🐝🐝🐝


葵汰くんの演奏は、勿論、初心者のもので、上手いとか下手とか、そういう土俵で語ること自体が不適切なくらいだけど、それでも…私は今、とても癒されているし、何なら涙さえ出そうなくらいで、何度も聴いてしまう。

多分それは、私が葵汰くんのことがとても好きだから。

演奏にはその人自身が出る。
上手い下手は全く関係なく。
その、演奏から感じられるその人自身に、私は今癒されているんだと、葵汰くんの弾き語りを聴きながら、私はそう実感した。

で、それを実感してしまった今、“上手い下手じゃない“の言葉は、
“弾く人にとって“だけじゃなく、
“聴く人にとって“
…でもあるんだなぁ…と、ようやく理解した。


🐝🐝🐝

考えてみたら、私が今まで聴いてきた演奏は、それこそ世界的に有名なピアニストとか、同じ先生に習っていた人の演奏とか、大学時代に聴いた周りの人達の演奏とかばかり。
(ピアノを教えていた子の演奏もあるけど、それはとりあえず割愛💦
教える立場で聴く演奏は聴衆として聴くときとは聴き方が違うから。)

有名な世界的ピアニストの演奏は、それこそ自分とは縁もゆかりもない人達で、私が一番好きなピアニストはアシュケナージなんだけど(クラシックのピアニスト。指揮者でもあります)、癒されたり感動するのは当たり前の演奏レベルの人。
(レベルとか、そんな言葉を使ったら物凄く失礼だけど💦)

大学時代に演奏を聴いていた周りの人や、同じ先生に習っていた人達は、殆どが女性。
結構仲の良い友人も何人かいたけれど、実は私は女性が苦手な方で、友人と一緒にいて癒されたことがあまり無くて💦
(それを言ったら怒られそうな人達もいるけれど、まぁ分かってくれるでしょう💦)
それに、本当に何かあったとき、本当に辛い時は1人になりたい、1人でなきゃ立ち直れない方だから。

巷に溢れている演奏や歌は、どれも完成されたもの。
だから、こんな風に、完成されてない初心者の演奏を、心が疲れているときにわざわざ聴く機会はなかった。
だから、今まで気付かなかったのかな…
聴いていて癒されたり感動する演奏は、上手い下手じゃない、ということに。

それを演奏する“その人自身“の中に、自分にとって響いてくるものがあれば、演奏の上手い下手や完成度なんか、全く関係ない…
そのことに、後れ馳せながら、私はようやく気付くことが出来た。


🐝🐝🐝


実は、葵汰くん主演の「商店街のピアニスト」で、葵汰くんが演じる沢本蓮の演奏、私はどうも好きになれなかった。
聴き続けているのが、実は苦痛なくらい…好きじゃなかった。
押し退けて自分が弾きたいくらい、耐えられなかった。
何でこの演奏を、皆が感動する演奏としてドラマで流すんだろうと思ったくらい。
(お好きだった方々、本当にごめんなさい。上手い下手の問題ではなくて、それこそ完全に “好み“ の問題と捉えて下さい。本当に聴いていたくない演奏だったんです。問題発言かもしれませんが、私自身が “この弾き方だけは絶対にやっちゃいけない“としていた弾き方で、それで聴いているのが耐えられなかったんです)

「商店街のピアニスト」では、6話と7話で山田純大さんが演じた役が弾いていた「愛の挨拶」は割に悪くなくて、吹き替えの演奏者が変わった?と期待したんだけど、そうでもなかったみたいで、ドラマは見たいから最終回まで全部見たけど、全部見終わって、本当にホッとした。
もう、この演奏を聴かなくて済む…と思って。

葵汰くんが演じた沢本蓮の手や演奏は自分、とのポストをされていた方が、自分の演奏動画をUPされていたので、それも幾つか聴いてみたけれど、やっぱり私には、とっても苦手な演奏だった。

だから…聴きたかったんだよね。
自分がこれだけ惹き付けられている人、駒木根葵汰さん自身が弾いているものを。

葵汰くん自身がピアノを弾いてる動画が見られて、本当に良かった。
出来れば、電子ピアノではない演奏を聴いてみたいけれど、
(電子ではない普通のピアノの演奏の方が、よりその人自身が分かりやすい。でも、電子ピアノとは違って鍵盤が重いし、ペダルの使い方も、踏み方含めて練習が必要なので…無理かな?)

それでも、私の苦手な、聴いていたくない演奏をする人じゃないのは分かったから、とりあえずはそれでホッとしたし、それが一番嬉しかった。

これで、葵汰くん自身も、私が苦手な、聴いていたくない演奏をしていたら、私は速攻でファンを止めたかもしれない💦
(トークや演技は、それにも勿論、その人自身が出るけれど、“装う“ことも可能。でも、ピアノの演奏は、“装う“ことが出来ない。…はず。装ってみても、そんなのは直ぐに分かる)

演奏の好き嫌いって、人の相性に通じるところがある。
自分が聴いていたくないほどの苦手な演奏をする人とは、なるべく距離をおいていた方が無難💦
いつか絶対、お互いに、お互いの“何か“が耐えられなくなるから。


…ということで、私は葵汰くんの演奏を聴いてるのが好き。
聴いていると、本当に癒される。
まだ上手く弾けないとか思わないで、いつかまた、聴かせてほしい。


そしてもしかしたら…それは、私がピアノを弾くときも同じなのかも。
今、ウチにピアノはないし(トランクルームに預けっぱなし💦)、もう20年近く全くピアノを弾いてないからどれだけ指が動くか全く分からないけれど、いつかまた弾いてみたいような気も。

でもなぁ…本当に聴かせたい相手は、もうこの世にいないんだよね…
“魂“というものが本当にあるのなら、どんなにいいか。

私は、そういうところ、物凄く現実的にしか考えられなくて、虹の橋の存在とか、思い描くことは出来ても、現実にそれで救われることはないんだよね…😢



















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