社会人としての心構え~「非社交的社交性」を読んで

この本について

 中島義道著の「非社交的社交性」は1部と2部に分かれています。1部は著者の人生の振り返りが書かれており、2部が中島氏が経営する哲学塾に来る変わった生徒の紹介となっています。主に2部について思うことがあったので感想を述べたいと思います。

感想

 2部に記されている生徒は大人になるまでに常識を学んでこなかった人であります。その背景には発達障害や精神疾患などがあると思いますが…。
中島氏はこのような人たちのことを次にように述べています。

いうなれば、「総合的人間力」というものによって勝ち抜いていかねばならず、その大きな要素に人間関係というものがあることを悟って怖気づいてしまう。その訓練を今まで怠ってきたからである。ある時期に飛び越えるべきハードルを全く飛び越えないまま、漠然と自然な人間関係に違和感を覚えつつ、二十歳近くにまでに至ってしまった。

引用:中島義道著「非社交的社交性」p177

 私は今まで人間関係というものを避けて生きてきたので、働くのが億劫です。今は学生の身ですが今年の4月から新卒として働く予定です。今までアルバイトすらしたことがないので働くということがどのようなものかがよく分からないです。ただでさえ自尊心が低いのにこれ以上下がるようなことがあったら立ち直れないかもしれないという思いがあります。幼少期から集団に属し、何かを成し遂げるようなことが苦手である傾向がありました。そのため、人間関係を回避するようになったのだと思います。

人生の船出にあたる時期までに(二十歳~二十五歳くらいであろうか?)こうした実践知を習得してこなかったものが、「その後」この知を身に付けることはたいそう難しい。体験的に「痛い目」を学んでこなかった(避けてきた)ので、社会に出るとまともに降りかかってくる周囲の膨大な他人たちの威力(暴力?)に怖気づいてしまう。そして、これをさらに避け続けているうちに、「もはや生きられないかもしれない」自分を見出し、途方に暮れるのである。

引用:中島義道著「非社交的社交性」p214

 私は4月から社会人になりますが、今まで人間関係を回避してきたせいでたくさんの苦労が訪れると思います。ここでなら何とか働けると思い、選んだ会社であるので自分が耐えられる範囲の理不尽を我慢します。そして、今まで回避してきたあらゆることを経験することで、実践知を身に付けることを目標にします。

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