変わるもの&変わらないもの
おはようございます、LAPISです。
さぁ久しぶりにnoteを書くぞとパソコンを開けて
目に飛び込んだ記事。
大好きなしいたけ、さんのコラムでした。
この方の文章はもう風景までが浮かんでくるくらい
私の中に臨場感と揺さぶられる感が凄い。
なんか心の中を見透かされているような気がして
今日も「えっ」という感じで記事を読みました。
課金制なので自分のブログで取り上げるのも
あれなんですが。
この記事の内容はいつも私が感じていることでした。
そしてそれによって自らの方向性までもが変わってしまう
そんなきっかけになるようなこと。
しいたけさんにお悩みを寄せた方とほぼ同じ経験を
私もずいぶん前にしまして。
何ならもしかしたらこの読者の方のブログって
時期からして私が愛読して憧れていた方と同一人物では?
と思わせるような同志感がありました。
そう、当の本人の成長とともに作風が変わっていく。
それは悪いことでも何でもないけれど
それを感じて「自分はちっとも成長していないのではないか?ともやっとする」というのは私とは違うなと
思ったのです。
そしてそれに回答しているしいたけさんのたとえ話が
毎度唸りますが絶妙でして。
あ~わかるわぁという感じ。
それは過去の自分の楽しかった記憶にすがる、という
そんな単純な話ではなくて
いつでも原点に戻れる自分を許す
この一言に尽きるのではないかなと。
これは私独自の見解ですが。
そう。いいんですよ。別に。
過去の栄光を持って自分を奮い立たせたって。
誰にも迷惑かけてないし
自分の人生だし。
私は常に昔から思っていることがあります。
最近ますますそうですけど
「他人の人生に口を挟むな」
これに尽きますね。
うるさすぎやしませんか。
暇なんですかね?
あれこれあれこれ。
どんな思考の世界観を持っていたって
社会生活が普通に送れていて
ひとさまに迷惑をかけていなければ
私は自由だと思うんです。
自分はその思考で成り立っています。
普段からそれをはっきり言い過ぎて
友達少ないですけど。( ´∀` )
憧れていた人についていけない、と
思った時点でもうその世界観は別のものになっている。
それは喜ばしいことなのでは?
子供が親の庇護のもとから飛び立つときに
諍いや反抗、親への否定なんかを繰り返すように。
そして飛び出してみて初めて気づくんですよね。
自分を育んでくれた人の存在に。
感謝してお別れしてまた違う道を歩みだす。
それでいいんじゃないでしょうか。
私なんか何人もそのようにして
憧れては離れてまた別の道へ~を繰り返しています。
音楽に関してだけは一途ですけど。
アーティストの作風の変化すらも
子育てのように見守りたいという
なんだかわからないけど母心、みたいな?
人を否定することでしか自分を肯定できない人たちが
あまりにも世の中多いので
そんなこと気にすんなよ、という話です。
今日も強く生きていきましょう♪
気に入っていただけたら幸いです。よろしくお願いします。