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#15 ともだち100人できるかな〜!👧🏻

最近、連日noteを投稿してみて気づいたことがある。

私のnoteの投稿たち

〝集合写真多くない???〟
〝あれ、私って人好きすぎじゃない???〟

そこで、今日は私がともだち大好きすぎる話について。

童謡「1年生になったら」

まず、ここで1曲。

いちねんせいになったら
いちねんせいになったら
ともだちひゃくにんできるかな
ひゃくにんでたべたいな
ふじさんのうえでおにぎりを
ぱっくん ぱっくん ぱっくんと

いちねんせいになったら
いちねんせいになったら
ともだちひゃくにんできるかな
ひゃくにんでかけたいな
にっぽっんじゅうをひとまわり
どっしん どっしん どっしんと

いちねんせいになったら
いちねんせいになったら
ともだちひゃくにんできるかな
ひゃくにんでわらいたい
せかいじゅうをふるわせて
わっはは わっはは わっはっは
「1年生になったら」
作詞:山本直純

小学校に入る前に覚えた歌。
日本で育った人ならご存知であろう、
山本直純さん作詞の「1年生になったら」!

この歌を覚えた日のこと。
家に帰って、
「1年生になったら友達100人できるかな?」っていう話をしたら、
両親には
「小学校100人もいないから難しいね〜😂」
と言われた。
小学校のクラスは10人、全校生徒は66人。
そんな小規模な学校が私の最初の学びの場だった。
夢を壊された感じがしてすごく残念に思った記憶がある。

でもね、今なら6歳の私に教えてあげることができる。
「友達100人できるよ!」って。


今まで出会ってくれた人、みんな大好きだよー!

そんな小規模な小学校卒業後はというと、
中学校も地元の中学校に行ったので、
もちろん小規模でクラスは24人。

でも中学卒業後から私の友達の輪は一気に広がる。

まず、高校は10クラスある高校に進学した。

理系にいたから理系クラスの友達もいるし、
文転したから文系クラスの友達もいるし、
ミラクルで特進だったときがあるので特進クラスの友達もいる、
ありがたいことにスポーツクラスの友達も仲良くしてくれたし、
海外研修に参加したら中高一貫クラスの友達もできた。

高校時代は、控えめに言って私この学年で1番友達多かったんじゃね!?と思ってしまうほど。

次に、大学。

(以下、先輩後輩も含めて友達と記してます)

大学1年生の頃は今では想像できない暗黒期だったので学部の友達は少ないけど、
それでも何人かの友達に恵まれたし、
女子サッカー部の友達、
テレビ局バイトの友達に恵まれた。

大学2年生になると、
ゼミの友達、
軽音学部の友達、
サムギョプサル屋バイトの友達、
海外ボランティアの友達が増えた。

大学3年生(この頃からコロナ)になると、
地方創生ビジネス研修(武者修行)の友達、
長期インターン(旅武者)の友達ができた。
この頃から友達の範囲は全国に広がった。

大学4年生からは、
長期インターンの友達もさらに増え、
シェアハウス(KAMIKITAHOUSE)での友達や
旅コミュニティ(POOLO)での友達と出会う。
この頃から友達の概念に年齢というものが消えた。そして日本人以外の友達もできた。

そして今現在、
長期インターンの友達も増え、
バイトの友達も増え、
旅中に友達も増え(?)、
日本全国に(いや世界に?)いろんな年齢の友達がいる!

そんな私が生まれてから今まで、
私と出会ってくれたみんなに、
声を大にして言いたい
「大好きだよーーー!!!🫶」


ひとりっ子だから(?)

冒頭でも触れたが、私はともだち大好き人間。

それはたぶん「ひとりっ子」が影響している気がする。
家だと両親は常に遊んでくれる訳ではないので、小さい頃は試行錯誤して1人で遊んでいた。
きっと、どこか寂しかったんだと思う。
だから友達が大好きなんだと思う。

あと、今もそう。
母を亡くして家族が父だけになった今、
(お父さんと仲良し系女子なのでもちろん父親との会話も楽しいが)
家で話す人が減り、無口な時間が増えた。
だから家の外で友達といる時間が大好きなんだと思う。

だからね、
みんな、出会ってくれて、友達になってくれてありがとう!


👧🏻

ここでもう一回、童謡の歌詞を。

ひゃくにんでわらいたい
せかいじゅうをふるわせて
わっはは わっはは わっはっは
「1年生になったら」
作詞:山本直純

え、これ、みんなでやろう❓❓❓

最後にもう一度、6歳の私に言う。

「さち、これから友達100人以上できるよ!」

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