平成名文学考 第10章 『若おかみは小学生!』

映画化もされたけど、これが児童文学ということも念頭に入れてだけど

子供が労働することが善って言う発想がすでにサイコパスですよ。

小学生時代に小学生らしい遊びや恋愛をしないと人間は、壊れます。なのでこれは中学受験をしたお子さんも含まれています。成功すればいいですよ。でも例えば東大・京大に1名も合格者を出さない中高一貫校やMARCH未満の中高一貫校要は受験失敗組だ。そういう学校に6年も居るとどうなると思います?学力も人間力も退化しちゃうんですよ。まして高校受験という緊張がない分、そして授業がハイスピードな分落ちこぼれると通常の中高生よりもすさまじく悲惨な事になるんですね。そもそも高校受験偏差値70の高校からでも普通にFラン進学組は居るのに。高校以上はね、才能が物を言う科目ってあるんですよ。ここに人間性の欠落を入れてください。やばいでしょ?

労働だって同じことです。日本人ってこういう話を美化することが多いですよね。じゃあこれがリアルにあったとして主人公が20歳を超えたらどうなるか。破綻しますよ。

だから家業だろうが児童労働は禁止されているんですね。

だからこの手の文学が流行ることを大変危惧するんですね。フィクションがフィクションでなくなってしまう。どうせ「Fラン大学」に行くくらいなら15から働けやという奴隷児童労働が復活してしまうからです。15歳未満の児童労働禁止を8歳未満に法改正して児童のバイトもOK!なんていうディストピアもありえます。

これからホテル・旅館も無人チェックインといったテクノロジーが問われる時代です。児童が労働してる姿を見て外国人がどう思うか。

それを考えたらこの児童文学のヒットは喜べません。しかも親のダメさ加減を息子がカバーするという都合のいいストーリーにすることが容易に見て取れます。

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そもそも19世紀まで「児童」と言う概念はなく学校制度(特に義務教育制度)の誕生により児童は小さな大人から守られるべき「子供」としての存在となり12時間労働と言った使い捨ての存在から大人が守るべき存在となりました。科学が高度化するにつれて児童の期間が長くなりやがてそれは「青年期」という新しい期間が誕生しました。そういった児童文学の基本を否定する文学として『若おかみは小学生!』を非常に注目しています。作品の出来を否定してるんじゃないんですよ。でも児童労働は「児童」と言う概念そのものの否定になってしまう。それがいい事なのでしょうかとらんたは言ってるわけ。

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