平成名文学考 最終章 令和文学はどうなるのか

昭和64年が終わって平成元年になった直後に「平成文学はどうなるのか」って話は多数されたと思う。でもバブル崩壊以後の平成の文学は悲惨だった。読者の劣化・幼稚化・経済の破滅を誰も予測できなかった。だからこういうのは3年くらい時間経ってからでないと駄目なんだなということで令和3年も終わろうとする頃、つまりこの「今」このエッセイを書くことにした。

だって平成元年じゃハルキのような作品が主流になると信じられていたから。そうはならなかったよね。そしてコロナ前(2019)じゃコロナ後(2022)の世界なんて予測不能だったと思う。第5波が終わりようやく新型コロナが収束しかけた今、ようやく「平成文学とはなんだったのか」と言う総括も出来るし、令和はどうなるのかという予測も出来ると思う。

令和文学も児童文学一本足打法になるのだろうか。

それともライト文芸はもっと進化して市場規模も大きくなって文芸は復活するのか。その頃はもう芥川賞も直木賞も大変申し訳ないけど「オワコン」だと思ってる。なぜなら現時点でオワコンだから。『少年と犬』の話題をしてる人なんて見たことない。悪いけど。

それとも児童文学すらもキモオタに荒らされて終わるのか。特に児童文学はロリコン野郎の毒牙にかかったら終わりである。そうなる可能性は高い。この国はもう児童が保護されるという当たり前の概念が抜けて久しい。児童はもはや自分の欲望をかなえる餌なのである。どうして世の母は怒らないのであろうか。そういう怒りはフェミじゃない。自分の娘がそんな性的な目で見る奴が目の前に居たらどう思うのか少しは考えたらどうなのか。本当、人の痛みを分からないクズが増えたと思う。

『空飛ぶタイヤ』・『金融腐蝕列島』・『平成三十年』の「平成3部作」はなんとしてでも後世に伝えるべきである。どうかこの「平成3部作」という呼称とこの3作品はぜひとも後世に伝えてほしい。それ以外の平成の文学は申し訳ないけど児童文学以外「おまけ」だな。そのくらい大人向けの文学の出来が酷い。一応ピックアップはしたが総じて酷かった。しかし50作は最低でも取り上げないと「平成文学」という総評が不可能になってしまう。だからやむなく大人向けの文学も取り上げた。本当は語るに値しないんだけど。悪いけど。

令和の時代に「文豪」は現れるのだろうか。難しいだろうな。もし現れるとしたら児童文学からだろうな。

児童文学は最後の希望だよ。本当に。児童文学が死ぬときが日本文学の完全死亡確認の瞬間だと思う。もっともいつかは再生するのだろうが再生するのに50年、100年はかかるだろう。そのくらい日本人の精神的・経済的・文化的劣化がすさまじい。

ベストセラーランキングにゲーム攻略本、新興宗教の2ジャンルで占められる時期はもう25年以上続いてる。本棚が死んでいる。書店がどんどん消えていく。

私は日本文学が消えてはほしくないのだ。本来こういう呼びかけは国文学者がしてしかるべきだ。平成文学を研究してる国文学者なんて見たことが無い。現代はどうだっていいのだろうか。だからこの国の文学は瀕死なのに。

お願いです。この国の文学を死なせないでください

2021年 10月 20日 らんた

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