ぼくちんのRPG日記 余談 DQ7の主人公たちは世界を引っ掻き回しただけ!?

そうでしょう。下手すると真の悪は7勇者たちです。つまり7の世界は魔王こそが神であり真の支配者なのです。そして7主人公が住む世界に危機など訪れていません。ということは冒険する意味も意義も見いだせず勝手気ままの旅になります。

独裁者を倒したらその国はもっとカオスになっていた

みたいな「アラブの春」のような結果がDQ7のアフターストーリーなのかもしれません。いや現実に居る独裁者たちは庶民に危害を加えますし人権侵害もしています。平和な島に住む主人公たちはそもそも魔王討伐をする理由などなく過去を改変しては現在の島を発見し現在をも変えていくというとんでもない人たちです。

そもそもタイトルからして変です。主人公はその名の通り「エデン」つまり楽園に住んでるのです。冒険する理由などないのです。それどころか主人公らは楽園から出て秩序を壊す「カオス」の塊です。

それでは、もう一回こちらをご覧ください。

DQのナンバリングは「人」の成長に合わせてる。なのに7だけがこの法則から外れてる。

が、しいて言えば7って定年退職後の身勝手な隠居老人たちの行動に似てないか?いい年齢こいたおじいちゃんが自分探ししてるみたいな。もし定年後の第二の人生の自分探しがテーマならDQ7は実は法則に反してなどおらずむしろ60~65歳に見られる第二の人生探しと言うまさに「エデン」に居る者たちの物語なのである。

引退老人のボランティアだからキーファが勝手に離脱するのも自由と言う事である。

もっとも令和の今となっては日本国民は貧困化しており悠々隠居生活なんて言う「エデン」はもう不可能ですが2000年にはそういう物語が可能だったということです。

しかもこんだけ世界を引っ掻き回しても主人公たちは元の船乗りに戻るということで何も成長してないのです。

DQ7の真のテーマは「身勝手」です。

なのでDQファンは激怒し「DQ7はクソゲー」と辛らつな評価を下す事になり8に原点に戻るようなストーリーを作るもDQ8というのはもう昔話の寄せ集めでかつてのDQの輝きはもうありません。7よりはましだが6よりも酷いということになっていきそして9に至っては本編はすぐに終了しすれちがい通信が目的というだけの「DQ」と付いた『何か』のゲームになり下がっていき、DQ10はオンラインゲームとなり醜い勇者様の姿が「オンラインで」ウオッチングできるという見たくもないゲームになってしまいました。

まあDQ10ってオフライン版がもうすぐ出るのでそこは期待してるのですが。

なのでDQ8以降まともなDQが出るのはなんと11で実に約10年も経過してしまいました。さすがに数々の失敗を重ねて来たDQは反省したのか11はDQブランドを名乗ってもよい仕上がりになってます。

したがってDQは「失われた10年」を経験するゲームとなってしまったのです。

これが最後の余談枠です。日本のRPGは最高峰国民的RPGであっても「瀕死」ということなんです。

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