ぼくちんのRPG日記 24日目 本来は児童文学にすべき作品 マザー2(2)
が、本家ゲーム版のラストは違うんです。「ギーグを操っているのはポーキー」という設定です。そしてマシンが壊れるとポーキーは過去に止まること出来ないので無責任にもスイッチを切ったのです。するとギーグの真の姿が現れます。これを倒し機械の姿から現世に戻った仲間4人。ネスが自分の家に帰ると「あばよネス、またマザー3で会おう」と書かれた手紙が残されてるのです。
「マザー3で会おう」ならばちゃんと次世代機任天堂64で発売せねばならなかったのです。でも諸事情で出来なかった。この時点で小説版の方が正しいと逆証明されたのです。悪をも救うという話の方が「マザー」的には正解だったのです。
つまり名作マザーシリーズは2の最後でシナリオをミスしたということになります。
まあ、糸井さんだってそりゃ間違えるかなって思うし、逆に小説版DQ(天空三部作)を手掛けた久美氏の株が上がったのです。
またもしもう一回リメイクするのなら「みんなの祈りを込めて~」と言う部分を外してほしい。何度も言うが「絆」とか「共助」は偽善用語に落ちたので。ここはワイルドアームズ2の最後でも同じことを言ったが。東日本大震災の時も東京オリンピック2020の時も「みんなの願い」と称した国民総動員の道具にされてしまったんでね。「絆」とかね。
じゃあどうすればよいのだろう。
そりゃネスの内なる力が目覚めてとかべたな方法で勝つしかないな。
こればかりは大人の劣化を責めなければならないよ。そうでしょう?戦前も戦後も1ミリも進歩してない。これがファンタジーだったら美談だけど現実にやったらおぞましいという事を学習してなかった証拠なんだ。
だからこのマザーシリーズを後世に伝えるにはこのマザー2の最後の部分を改変しなくてはいけないと思ってる。
「何で私も祈らないと駄目なの?そんなの嫌」って1人でも言った瞬間主人公たちは負けるし現実世界は負けたんだよ。
そこが「マザーシリーズ」の限界だったのかなって事でぼくちんはマザーシリーズの話を終わりにします。
【まとめ】
1:マザー的には悪そのものであるポーキ―を2の時点で救うべきだった
2:「みんなの願いで主人公たち復活」というべたな設定はもうやめてくれ。もちろん1994年当時は2011年や2021年の現実なんて知る由もないが。
3:「マザー3」をナンバリングから外してバッドエンド選択時後の未来とする「外伝」に転落させる。
4:新潮文庫ではなく児童文学のレーベルでノベライズを。
5:でも新潮文庫にある「どせいさん」フォントは児童文学版でも残して
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