なぜ図書館学を文学部に所属させてしまったのか? 音訳員の絶対的不足と点字図書館

という絶望的な話をします。
文学部図書館情報学科って愛知淑徳と慶応にあったんですが両方とも無くなり世田谷にあった国立図書館短大は70年代に筑波に飛ばされて国立図書館情報大学となり(4大昇格)図書館学研究そっちのけで検索エンジン研究に走り、でもグーグルに負けておとり潰し、筑波大学に吸収されたあげくに図書館情報学群という学部単位までおとり潰しに。今や筑波大には学科単位ですら「図書館情報学」がありません。情報学群の知識情報学類の中に1コースとして図書館コースがあるだけです。

つまり、この国はなんと「図書館学の学科」が全消失したのです。厳密に言えば鶴見大学文学部ドキュメンテーション学科がありますがここは古文書・公文書学込みで純粋な図書館学の学科ではありません。強いて言えばもう我が国は鶴見大学しか図書館学を専門的に学ぶことがもう出来ないのです。そういえば我が国は公文書館すらも市区町村単位で整備されておりません。そうやって都合の悪い歴史は無かったことにして公文書を廃棄していたのでしょう。そんな国で図書館学科を作れるか。無理でしょうね。

なお私らんたは実際に社会教育研究の関連で実際に旧図書館情報大学の先生に会ったことがありますが2000年頃に「図書館は電子図書館に一本化されます。もう物理的な図書館は消えるのです」と大真面目に語っておりました。2024年に生きる皆様に聞きます。そうなりましたか? 欧米の図書館は逆に児童図書館機能を強化し「読み聞かせ」つまり情操教育に力を入れたのです。「読み聞かせ」といった情操教育は人間にしか出来ないからです。本当に筑波って旧東京教育大学なんですか? もちろんそうはなりませんでした。また欧米の図書館には職安の端末まであってなんと図書館で求職活動出来きます。ここでも日本の図書館は「社会性が無い」・「小説だけ置けばいいや」という「図書館のまがいもの」しか作れなかったのです。「図書館は社会事業である」という意味すらも日本人は分かってないのです。それどころか2010年代に電子書籍の方が敗北しました(漫画は除く)。電子書籍はのろくてもっさり動くし紙の本のように途中から気軽にページををめくって読むという行為が電子では出来ないし電子で本を読むとまるで人間の脳には感動も記録も与えられないことが分かっております。

なお東洋大のように社会学部応用社会学科図書館学専攻という置き方もしており図書館学の正しい置き方はこちらです。しかし東洋大も図書館情報学専攻を廃止してもう約25年経ちます。そして東洋大の例からも分かる通り図書館学は人文学じゃないんです。

図書館は社会教育事業体、つまり応用社会学の一分野です。それを「図書館情報学」というネーミングにしたせいで日本から図書館学の学科が消えました。

そしてこっからが本題です。図書館司書のみ障害者向けデジタル音訳が著作権法で認められております。ところが点字図書館のままの設計で行ったせいで高齢化した音訳ボランティアがデジタル音訳物を作れずなんと視覚障碍者は自助で書籍をスキャニングしながら機械音声の音訳に頼るというディストピア世界になってしまったのです(それでも絵はアスキーアートとして音訳してしまうので機械音訳には限界があるのです)。

こうして視覚障碍者向けの音訳物は全出版物の1%しか音訳されないという障害者差別の典型的な国に落ちました。いまや40歳以下は点字図書を読めない(厳密には利便性が悪くて読みたくない)状況になってます。点字刊行物は「アナログ」だからです。もう30年もこの国は障害者サービスに置いても遅れをとっているのです。障碍者アクセス権ってなんだ? 

図書館は当たり前ですが文学だけを置くのではないし「点字図書館」という社会事業をも持つという当たり前のことが出来なかった国だしよその国のように対人関係が苦手な人の職の受け皿となる音訳員を「図書館司書」として雇用するという発想すら出来なかったのです。

我が国の図書館は無料貸本屋の状況から脱することが出来ず「図書館には文学を置くもの」という間違った認識・偏見のせいで文学部に図書館情報学や司書課程を置いたせいで……大事な障碍者福祉を置き去りにされ「図書館というのは障碍者雇用の受け皿でもある」という大事なことにすら気が付かなかったのです。ゆえに日本の図書館学は「社会性」がないまま学科単位でおとり潰しにされました。

この時発達障碍者側が「雇用の受け皿として視覚障碍者のための音訳専門職にさせてくれ」と社会運動をおこせば今頃我が国のヒキコモリ問題は解決です。なぜなら音訳という事業は雑音を入れてはいけないので音訳ブースで1人作業だからです。

もう一回言います。「図書館は社会事業体であり同時に図書館学は社会学の一分野です」


ちなみに
社会教育主事

司書・学芸員
となります。もうこの表からして分かる通り図書館は社会教育という社会学もしくは教育学の下部なんですよ。社会教育=生涯教育とも言いますよね。図書館は公共図書館・学校図書館・大学図書館の3種だけでなく点字図書館も病院図書館もあるんだという「当たり前」が分からなかった国なんですね。

だからこの国や韓国のような国はヒキコモリ問題が深刻なのです。「公助」という発想が抜けているのです。つまり社会病理を是正しようという発想も無いまま「自己責任」・「自己責任」というクズな国なのです。

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次回「日本からプロテスタント信者が消える!? 神学部が危ない!! ルーテル学院大学募集停止のショック」

こう、ご期待!

結局ねカトリックはブラジル系やフィリピン系やベトナム系の労働者の駆け込み寺として社会機能を果たしています。これに対しプロテスタントは日本の仏教の無住寺問題と同様に無牧師教会問題が大変深刻です。でもそれって自業自得で日本のプロテスタント諸派は上級国民つまりハイ・ソサエティー層しか救わなかったからこうなったんですよ。そりゃ日本の世間から見捨てられますよね。しかもプロテスタント教信者が主流の国家は裕福な国が多いので外国人技能実習生としては日本に来ません。今やプロテスタント系教会で最もにぎわっているのは米軍基地の中の教会です。でも米軍基地の中が「日本国」かと言われるとノーで日本国の主権が及びません。よってプロテスタント諸派は日本国内において消滅の危機にさらされているのです。実に信者比率は約0.3%です。カトリックの1%にも及びません。


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