ぼくちんのRPG日記 91日目 悪を許す運命のRPG ドラゴンクエスト4(2)
ってことでED。
実は滅びた故郷に戻って主人公の勇者は装備品を脱ぐんですよ。もう勇者じゃないんで。1人で故郷を再建することになるんです。そこにシンシアが!
しかし、このシーンについて最近のゲーマーはこう言ってるのです。
「幻でも見てるんじゃね?」
私はもうゲーマーの心が荒んでるんだよと思います。違うと思う。
というかピサロが恩返しというか謝罪とせめての保障を行った結果シンシア復活というのが真相だったんだと思う。だって人類を滅ぼそうとした魔王すら命を救った聖人君主のような奴だぞ、4勇者って。さすがにそれはピサロが「悪かった、ごめんよ」ということで自分の過ちを認め人類絶滅と言う事をせず人類との共存を選んだ結果勇者の幼馴染を救ったということでは。
じゃないと勇者はオルステッドですよ。でもDQはそこまで絶望の物語じゃないので最後に救いを用意したんじゃねえか?
じゃあリメイク版じゃなくて、前伝、つまりデスピサロ討伐後の村の場合のEDはどうなんだろう。FC版の場合ですよ。
この場合はマスタードラゴンが「ご褒美」ということで勇者の幼馴染を生き返らせたというストーリーにすればいいのでは。
そして物語はたぶん5に行くんですよ。人類と魔の共存はピサロとロザリーの間にマーサという娘を産んだ、ということになるんじゃねえのかな。
ということで5に続きます。
DQという作品は自分の解釈にゆだねるEDもありえるのでゲーマーたちが心が荒んでるとバッドエンディングになっちゃうんですよ。でもプレイヤーは子供もいるわけ。「勇者は頭がおかしくなって幻を見てました、終わり」でいいわけが無いし、そんな物語を勝手に紡いではいけないし、子供につまり次世代の子供たちにまっとうな物語を提供するのが親の使命ではないか?
これは今までさんざん語って来たFFシリーズもそうだし他の中堅RPGもそうだぞ。
それに過ちを認めるのも「勇気」の要る事なのでピサロは文字通り「魔王勇者」としてのエンディングにしたいという気持ちがある。
じゃないと勇者=自分は浮かばれないよ?
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「親は子供の『ぼうけんのしょ』をプレイしてはいけない」とよく言われております。それは単に目の前にあるゲーム機だけではなく勝手に物語を改変してはいけないって意味です。RPGの基本中の基本です。これ以上リメイク改変して子供に渡すべき物語を大人がいじってはいけない。そのくらいは大人なんだから理解しようよ。
『ぼうけんのしょ』は、根本を書き換えてはならない。
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