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高砂の雛

3月28日の早朝、兄からの電話で、新型コロナウイルスにかかった母が救急車で運ばれたことを知らされた。85歳の母は、この1年で足が弱くなり車椅子を利用していたが、食欲は旺盛で普段は元気にデイサービスを利用していた。

ベッドにいる母はけいれんが止まらず、意識もなかった。医師からは延命治療の判断を求められるなど、目の前で起こっていることが理解できなかった。

小康状態だったが、2日後、母の呼吸が弱くなっていると連絡があり、病院に駆け付けた。間に合った。母の意識は無くても、聞こえているはずだと思い、ひとり親で育ててくれたことへの感謝、親孝行を十分に出来なかったことへの謝罪を伝えた。涙が溢れて言葉が続かなかった。

その夕方、母は苦しむことなく、ろうそくの火が消えるように旅立っていった。

「我が夫は早世せしが年を経て子等の優しさ君よりのもの」

母が残した歌集の最後の歌を読み返した。

本当に優しくしていたか母に尋ねたが、返事はまだない。


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