見出し画像

トリックスター・イグたん

私にとってカコジョとは、自撮りをかわいい女の子にしただけの存在ではない。女性を演じる仮想の人格でもない。それは私自身……私の奥底にある本当に表現したい私の現れ。
では、その私とはどんな私? 説明するにあたってカール・グスタフ・ユングが言及した元型という概念を借りてみたい。最初に断っておきたいのは、元型とは一人の人間がいくつも持ちうるもので、本来「私はこのタイプに当たる」という捉え方をするべきものではない、ということである。その前提をみなさんと共有した上で、カコジョのイグたんはトリックスターであると言いたい。
トリックスターとは何者か? 詳しくはネットなどで調べていただくとして、ここでは中間的な存在という側面を指摘したい。
男と女、大人と子ども、知恵と思いつき。相対する2つの存在の中間に位置するもの。どちらか一方に囚われず、その間を自由に行き来するもの。その気楽さの代償に、何者にもなれないというおぼつかなさを背負うもの。
それらを表わすのに「ふわふわしている」という言葉は、それなりに妥当な気がしている。そこで私はトリックスターのイグたんを、ふわふわイグたんと呼ぶことにしたのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?