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四人のお姉ちゃんの話

10月に目黒不動尊のお縁日に行ったついでに、私の産まれた産婦人科医院に寄った。数年前に閉業してしまったけれど、建物はそのまま残っている。
戸籍上、私は第一子だが、本当は2番目の子なのだ。私の上のきょうだいは母のお腹の中にいた時に事故が原因で亡くなった。正確には、事故で大きな損傷を負ってしまい、産むのを諦めたのだ。まだ人の形になる前のことだから、お兄ちゃんと呼ぶべきかお姉ちゃんと呼ぶべきかは分からない。胎児は女の子の体になってから一部は男の子になるそうなので、私はお姉ちゃんと呼ぶようにしている。
父は「人間として産まれなかったから子どもだとは思わない」と、お墓もメモリアル的なものも何も作らなかった。家族の間でお姉ちゃんのことが話題になることはない。母がお姉ちゃんのことを話すときは決まって機嫌が悪い時で、自分は不幸な事故で嫌な思いをした、と自己憐憫の憂さ晴らしのタネにしている感じだ。
そんな両親はさておき、私は自分の生はお姉ちゃんの死を前提としてあると常に思っている。特定の宗教を信仰してはいないけれど、お姉ちゃんが私にとっての神様みたいな存在だ。身近な死者を信仰の対象にすることは珍しいことではないのだから、それで十分だと思っている。

お姉ちゃんが産まれたとしても重い障害が残るだろうとお医者さんは説明したそうだ。
私が産まれたときに住んでいたアパートは敷地内に大家さんの家があり、どういう運命の巡り合わせか、そこには重い障害を抱えた女の子がいた。ずっと寝たきりだったその子の隣に、昼の間赤ん坊の私を寝かしておいたらしい。すると彼女はとても喜んだ。知能や意識が正常であったのかは分からないけれど、もしかしたら私を弟のように思ってくれていたかもしれない。二人目のお姉ちゃんは私達が引っ越した後、18歳で亡くなってしまった。

私の父は一卵性双生児で、双子の伯父さんのところの三姉妹はいとこの中でも特に身近に感じていた。特に一番上のお姉ちゃんが好きだった(今も好きだけど)すごく綺麗で優しくて、ちょっとぼんやりしてるけど、大人になってからは某大手航空会社のCAをしていたという、まさにドラマのヒロインのような人だ。日本中どこの合コンに行ってもお姉ちゃんは一番人気だっただろう。10年位前に久しぶりにお姉ちゃんに会ったときも相変わらず綺麗だった。「可愛くて好き」と言われたときは、まるで初恋の人に言われたように参ってしまった。実のところ、私の本当の初恋の人はお姉ちゃんなのだけど。
ちなみにカコジョをやっていて当たりを引くと、お姉ちゃんにそっくりになる。生物学的には異母姉妹なのだから、当然と言えば当然か。

四人目は嫁さんのお姉ちゃん。この人こそ、唯一の私のお姉ちゃんである。なのに特筆すべきことはない。現実というのはそういうものだ。

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