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授乳暦120年に思う

 「井の中の蛙、大海を知らず」というけれど、宇宙から見た地球も、井戸の底から見上げた青空のようだ。漆黒の壁に青く丸い物体が浮いていることには変わらない。人類が空を見上げる存在から、空を見下ろす存在になったところで、我々がなぜ存在しているのかを理解することはできない。

 目の前をゆっくりと、やわらかい手のひらが通りすぎる。頬から感じるぬくもりを脳が理解するたびに記憶が揺らぐ。眼前には哺乳瓶とほほえむママの顔。もはや最初のママを誰だかは覚えていないが、そんなことはどうでもいい。前世の記憶がママの手のひらに溶けていく。

 「よしよ~し。もう大丈夫だからね。あなたは赤ちゃんよ~」

 「ママぁ~…つらかったよぉ…ふえぇん」

 およそ70年前まで人類は、肉体と言われる不随意な体を持っていて、生まれる時は頭から出てきていたという。最初に自分だった肉体が、意識が芽生えた瞬間に粗末な網膜に焼き付けた幻影も、漆黒の壁の先にぽっかりと浮かぶ青くて丸い世界だったのかもしれない。

 「お腹いっぱい飲めたね~偉いね~」

 「ママぁ…」

 もはや昨日までの私が何者であったかを知ることはできない。仮に他者に聞いても知らないだろう。授乳カフェに来た以上、人間は生まれたままの姿に戻る。体が自由に変えられる人類にとって、姿とは心を中心とした存在で、生まれたままの姿は、汚れ一つない完全に愛されている存在のことだ。

 「今日はママのところへ来てくれてうれしかったよ。よしよ~し。健康には気をつけてね」

 「ママありがとう…」

 新しい人生が始まる。何度目の人生かはわからないが、識界(バーチャル世界)に移住してからの人類は時間の経過が速い。出生から地球の数時間でまた出生する人もいる。優しいはずの世界に生きる人類にとって、恥とは存在を否定され、愛が途絶えること。存在は生そのものであり、恥を受けることは殺害に近い被害である。

 完全に他者に依存する存在は果たして存在なのだろうか。人類が肉体からも地球からも離れて、いつまでも宇宙戦争を続けている理由も、存在の全てを他者に依存しているからではないだろうか。絶対的な不可侵領域である内心が、姿そのものなった人類は、もはや他者を信じることができない。一定の嘘を維持することができないからだ。人類はいつでも自分を愛さない人を倒すために、操縦桿を握っている。

 漆黒の宇宙空間を戦闘機は一直線に飛び続ける。一定の秩序で統制された現実空間だ。この世界ですら、数ある世界の一つに過ぎない。変化が不可逆的であることと、識界の全てが現実空間の現象の中で発生していることを除いては、識界と変わらない。かつて識界が調和が取れた空間だった頃、地上では無秩序に人間同士が殺し合っていた。しかし人類が地上を離れてからは、識界で人々は傷付け合うようになってしまった。結局、人間は人間が多いところで闘争を起こすようだ。

 青く輝く地球が眼前に迫る。もう少しで静止衛星が守る防衛圏だ。このまま宇宙の塵となって永遠の無になりたい。何度人生をかけようとも、人類を生み出した地球に一矢報いてこの苦しみから抜け出したい。機体は地球の重力に囚われてさらに加速を始める。

 「もう少し、もう少しで終われる」

 漆黒の壁の一点が一瞬強く光を放つ。光点はだんだんと巨大化してにわかに熱を発し始める。目の前の地球は白くて見えなくなる。次の瞬間、体はぬくもりに包まれる。

 「また、死ぬことはできなかったようだ…」

 「ふふふ。あなたはずっとママと一緒ですよ」

 だんだんと形を取り戻していく世界。眼前に広がるママの顔と哺乳瓶。簡単には無に戻れない人類にとって、授乳カフェはリセット地点であり続ける。

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