アラーム

最近徐々に人間に戻りつつある
極力余計なものを摂取してない
たとえばひとりで外を歩く時に音楽を流すことが無くなった
今日気づいた
最近イヤホンまじで使ってない
リュックの底にあってびっくりした
中学からずっと音楽垂れ流し野郎だったけど
今は思い立った時と車の中と風呂の時だけかも
混んでる電車とかでは流石にイヤホンつけるけど
毎日電車に乗ってた以前と比べて最近は電車に乗ることも減ったから尚更音楽聴く時間が減った
乗るとしても皆さんが死んだ顔をした時間帯
つまり騒がしくはないから音楽流さず寝る選択をとれる

あとはシューズを極力履かなくなった
ほぼ裸足なサンダルで生活してる、くそ快適
シューズは蒸れるし暑いし重たいんだね
ただサンダルが脱げないよう意識して歩かんといけんのと足裏の感覚はほぼ裸足で痛いけど
生を実感するタイプの痛み(厨二病)だから許容できるしどうでもいいな
あとは見た目を極度に気にする様なことがなくなった
今まで自分はコンプレックスや劣等感への立ち回りが下手くそすぎた
あんな自分でも可愛いと言ってくれる人は居た
それなのに周りの人間や街中を歩く若い女の人達全員と比較しては勝手に自信をなくして卑屈になってた
結果自分や他人の首を締める最低クソ野郎だった
最近はリップ塗って半袖半ズボンでサンダル履いて外でれる
めちゃくちゃ夏なのに日焼け止め塗らんから普通に日焼けしたけどそれもどうでもよくなってる
なんでもいいから外に出ること、予定や時間を守ること、その場にいること、素直に笑う食べる楽しむことが大事なんだとやっと本心で分かった
今更すぎる

少し前の自暴自棄みたいな時期も学校やバイトにすっぴんは当たり前になってたし、
お世辞にも衛生的とは言えない体でもパジャマ姿のままでも卒業最優先で学校行ったりバイトに行ってた
あの時は「もはやこれはこれで気が楽だなー」とか思うしかなかったけど別に全然毎秒クソみたいな気分だったな
でも最近は本当に気が楽だ、一切無理をしてない
衛生的とは言えない姿になる頻度(風呂に入らない日)もクソ減った、ほぼ無いと言えるでしょう
いま仮にパジャマ姿のまま出ても可愛いっしょ!あのちゃんごっこやね!くらいには思えるしかなり心に余裕ができた
流石にもうパジャマ姿で出ることは無いが!

様々なタイミングで自分が無理をするときには「そりゃ無理もしますよ〜人間だもの」などと思うようになった
つまりどうでもいいなと思うようにしてる
まだ途中だけど、かなり良い、結果心が疲れない

考え方が変わったかもしれない
というか大昔の自分に戻りつつある
本当は自分すべてどうでもいい人間なんだった…!ってこの前気づいた
大昔の自分は今以上に何も分からなかったし、分かりたいこと以外は正直クソどうでもよかった
その上でどうでもいいこともその場のノリで楽しんでた
世間話の一線を超えるような話題(表現ムズい)では下手にペラペラと意見しない人間だったしまず人の話を本腰入れて聞いてなかった
無意識にマイペースだった
気が乗った時にだけボケたり人の話を聞いたり
自己中だな、嫌われるぞボケしね🖕とも思うけど
それくらいが本来ちょうど良かったんだと思う
別に全然人の話は聞いた方がいいけどね

友人・恋人関係で本腰入れて話すのってリスクありがち
知らなくていいこと触れなくていいこともある
認識はしているけど言葉にしないってことが大事な時もある
それを踏まえた上で人間と接することが出来たらきっと一々コケるようなことも減っていくんだと最近は思う
ちなみに、リスクある=見過ごすって訳ではない
ただただ全ては仕方ないことと思えたら自分がなにかに振り回されることや振り回すようなこともなくなると思うんだ
仕方ないことと割り切った上で問題に向き合えたら冷静で建設的な自分でいられる、そんな気がする
(ちな「建設的」の対義語は「破壊的」らしい)

味方から敵になる必要なんてないし味方を敵にする必要もないはず
建設的な関係しか望んでなさすぎ、破壊はもう懲り懲りすぎ、絶対死にたくなさすぎ
とはいえもし仮に友人の口から「殺人を計画してるんだよね」などと耳にした場合や
自分が流石に…!って思うことには仕方ないと思えなくてもいいと思うから
つまり、最近は自分の本来の許容範囲を見直しながら日々生きてるぜーって話なり
「仕方ない」が増えるのって寂しいけど楽なんだよな
少し前の自分は仕方ないを減らしたい!って考えだったけどそりゃ苦しいよ
無理ある壁をぶっ壊す実力があの時の自分にはなかった訳で、別に今の自分にもないし
嫌な考えと言葉だけども、仕方ないって思うのが身のためになる時もあるよね

少し前の自分、みんなの見ている世界や話していることを分かりたいという気持ちが強いあまりに
変に感情移入しては別に思ってもない様なことまで自分の本心と思い込んで発言したり自分に言い聞かせてた節が大いにある
私は心ある人間ですよってフリをしていたのかも
みんながそう言うならそうに違いない!みたいな考え方をしたり
好きな音楽の歌詞にはこう書いてある!私もこう考えよう!これが私の本心だ!と無理に憧れるものと同化しようとしたり
そうすると本来許せることも許せなくなったり、本来受け流すようなことも受け流せなくなったり
それで他人に無理を強いてしまったり、他人に無理を強いることで自分にも無理を強いてしまったり

たとえば、本来どうでもいいはずの「箸の持ち方」でいうと
恋人が少し崩れた箸の持ち方をしていて、“世間一般的に箸の持ち方は正しく綺麗であることがマナーとされてるから”完璧に直せと指摘してみるけど、
別に私自身お手本のように綺麗な箸の持ち方をしている訳でもなくて(実際は最近かなり直って綺麗かも!)
ただ人様に指摘する以上、私も箸の持ち方を完璧に直さねばならんor箸を使わないという究極の選択を取らねばならん訳です

すぐに直せることなら良いけど、箸の持ち方なんて癖づいてることだし難易度高いことの場合かなり両者ともに苦しい
でも指摘した以上箸の持ち方が正しくないまんまだと説得力に欠けるし「どの口が言うとん死ねや、直してやるもんか」となるので、
直すか直したフリをするか箸を使うところをまず見せない、と極端な回避法しかなくなる訳です
流石にパッと思いついた例えだから箸を使わないってのには無理があり過ぎるけど、そのような事を実際に私はしていたため愚か
本来どうでもいいことで他人も自分も苦しませていた

彼氏が家に帰ってきて手を洗ってない時とか歯磨きして口を濯いでないって時には今も口出しするけど
私としてはかなり気になることだから
そういう事以外は別にどうでもいいし腹出てても運転やブレーキがきもくても好きなのよね
今すぐその場で解決出来ないことに下手に口出ししても、今すぐ解決しなければ対立しちゃうリスクだけが残るし
様子みて今なら言っても大きな問題はないなと判断することや言い方を考えることが大事だなと思う、当たり前のことだけど出来てなかった
(追記:あとはすぐの問題解決を目標とするんじゃなく一緒にその問題を抱えて生きてく、とか!
一緒に過ごす時間が解決させることもあると思うから)

人生もっと他に考えることややることあるんだって過去から学んだ
だけど考えるべきこと、やるべきことを放棄してしまう時があっても良いとは思う

最近の自分は「私はやっぱこうでなくっちゃ」とか思うような自分だ
不幸ってマジで意味ないし、すべてのことから意味がなくなっていく
元々意味なんて無いようなこともあるけど、その認識すら薄まってこの世から意味が無くなっていく感覚だけが残る
そりゃ死ぬべきと思い込んでしまうし生きてるのかすら分からんくもなる

今年の夏4回くらい湯来の川行った、あと少なくとも2回行く予定がある
毎日クソ暑くて死にそうだけど、ずっと夏がいいなぁとまで思ってしまう、夏、好きだ
割と泳げるようになったし4mはある深いところまで潜れるようになった、いまは背泳ぎを目標としてる
最近は泳ぎとジムがメインだけど釣りも何度かしたな、なんも釣れてないけど楽しかった
カエル2匹(けろきち&シャザム)とクワガタ2匹(名無し)捕まえて、お家で一緒に暮らしてる

最近の生活、痩せてもおかしくないのだけどラーメンばっか食ってるから帳消しされてる感はある
とりのすけと山岡家、美味すぎ
山岡家が美味いのは知ってたけど、とりのすけ知らんかった
死ぬほど美味くて幸せになる、ラーメン後のあのアイスもえぐい、がちでありがとう、今思い出しただけで泣きそう

現時点で2ヶ月くらい生きててよかったと本心で思う毎日が続いてる
私が幸せになってもいいのかと思う瞬間沢山あるけど誰も知ったこっちゃないだろうから幸せになる
私の幸せを望まない奴、私が幸せを望まない奴が私の幸せを知ることは二度と無いしこのnote見てないよね
最低最悪な気持ちになる時も全然変わらずあるけど絶対死なない、くそみたいな自○未遂により死への好奇心(笑)もなくなり恐怖だけが残ってる
私が今死ぬのはいかんなと色々な事情をふまえて思うし誰1人私の死で涙流さないような気がしてならん時あるし葬式に来て欲しい奴ほぼ来ないだろうから全然80年後とかに死ぬだろう
眠い寝る

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