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とにかく難産だった(南出謙吾)

今回の作品は、過去一番飛び抜けて書くことに苦労した。構想からは2年位は、かけたんじゃないかしら、と思う。

ほとんどすべての演劇人がそうであったように、このコロナの騒動の中、演劇について考え過ぎました。そして上演のハードルがグングンあがる。これくらいの意志がなきゃ、これくらいのクオリティにしなきゃ…。とてつもなく高いものを飛び越えないと公演ができないんじゃないかという気になってしまった。

それを乗り越えるために、共同執筆、のようなことに挑戦することにしました。らまのだのふたりは、それぞれの領域にあまり踏み込まず、それぞれを尊重し、やってきました。それを根こそぎ変えてみた。

森田が演劇をとおして、芸術をとおして観たいものはなんなのか。森田自身の自問自答と、自分自身はどうかという、自問自答。森田は、サラリーマンどっぷりの私の五感となって、刺激や情報をせっせと世界から運んできてくれた。森田の運ぶ世界の話を聞いて、今、これを書きたいんだ、観たいんだという衝動がちゃんと襲ってきた。そして筆をとった。

しかしその筆は猛烈に重い。こんどのそれは、質との闘いだった。らまのだの充電期間やこの間の森田から受け取ったものに相応しいものを、どうしても一度交えてみたかった谷さんの存在に相応しいものを、金沢での公演に相応しいものを、次々に現れる自身に課した障壁。

幾度かの期限のデッドラインを超えたせいで、脱稿したという爽快感もなく、でも、確かに戯曲はゴロリと産み落とされた。森田はどう思っているのか知らないが、これは共同執筆だ。私の手に負えないものを握って、人間を解剖する力が宿るように思える。

だが、そのせいで座組は満身創痍。この時期にこの分量のこの内容のものが…と、現場にいない自分でも、惨状は容易に想像がつく。丁寧に整えられた完璧に到達することは不可能なんじゃないだろうか。創作にかける時間の殆どを僕が奪ってしまった。

間もなく幕が開く。
無責任だと叱られることを覚悟して、神妙な顔で、それでもその日を楽しみに待ちます。このもがきの過程を隠し切れない中に、ひとつの演劇たる創造物の生々しさがある気がする。少しくらい血がついているのかもしれない。

酷いことを言っている自覚はある。


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