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『パーンダヴァ一家が生涯の終わりにヒマラヤ山脈を横断していたとき、ダルマラージャはまだ精神的な不安に悩まされていたので、クリシュナに彼らとしばらく一緒に過ごせるようにと願いました。クリシュナ神は、ダルマラージャの住処を去るとき、ダルマラージャに一枚のメモを渡し、喜びや悲しみに襲われたときに、それを自分に読み聞かせるようにと言いました。そのメモにはこう書かれていました。"これは長くは続かない(Eppudoo undhadhu)"と書いてありました。

これは、心の動揺を静める方法の1つです。 この世にいるのは刑期中です。この世での生活は、あなたに課せられた強制的な義務であると考えなさい。あなたは今、前世で犯した罪の判決で牢屋に入っています。管理人は、炊事、水汲み、薪割りなど、さまざまな仕事を課します。あなたは、報酬を期待することなく、与えられた仕事を精一杯やらなければなりません。もし、あなたが良い行いをし、問題を起こさず、与えられた仕事を嫌がらずにこなせば、何日か刑期が短縮され、あなたが信頼できる良い人だという証明書とともに、早く釈放されるかもしれないのです。このような態度は、報酬を期待しない無私の行為(ニシュカマ・カルマ)の練習になり、感覚を抑制するのに非常に価値があります。 

 常に神を思って生きなさい。あなたは常に神のことを考えながら生きなければならないし、死というもう一つの事実のことも考えなければなりません。身体は、あなたが死に向かって走る車です。乗っている間に、木や車や溝やぬかるみで、いつ死が訪れるかわかりません。決して死を忘れてはなりません。刻一刻と時間が過ぎていくことを思い出しなさい。そうすれば、無駄話や無駄な追求、悪い行為、低俗な娯楽で時間を浪費する誘惑に駆られることはないでしょう。車の旅は慎重に、ゆっくりと、道行く人の必要を十分に考慮しながら行いなさい。欲張って他人を追い越そうとしたり、スピードを競ったりせず、車と道路の限界を知りなさい!そうすれば、事故に遭うこともなく、旅はあなたにとっても、他の人々にとっても幸せな体験となるはずです。(プラシャンティ ニラヤムでのサティヤ・サイババの講話, 1963-10-26) 』

 『活動(カルマ)は、それを行う際の執着心によって、喜びか悲しみのどちらかに帰結します。「私」と「私のもの」は蛇の2つの牙です。これらの牙を抜き取りなさい。そうすれば、安全に大蛇を扱い、大蛇と遊ぶことができます。あなたは自分の活動をあきらめる必要はありません。むしろ、熱心に活動しなければなりません。この神聖な行動の土地で、カルマを超越することができるのは、カルマによってのみです。鳥や獣はこの秘密を知りませんが、人間だけは、最も適したカルマを選択し、受け入れることができます。人間だけが、カルマの連鎖からの解放のために最も有益なカルマを選択し、受け入れることができるのです。サティヤ・サイババ 』

参考 :             https://www.sssbpt.info/ssspeaks/volume03/sss03-33.pdf      

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