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サバリのラーマへの信愛

インド聖典『ラーマーヤナ』を学んだ多くの人々は、貧しく身体が不自由な老女サバリのラーマへのセヴァ(無私の奉仕)を覚えていると思います。

サバリは最期に、信愛に溢れる命の灯火によって、ラーマの御足の元で身体を燃やし灰になります。しかし、その直前になされたサバリとラーマの会話の内容はとても重要です。

学歴も家族もお金も家もない年老いた女性のサバリが、ただ1つ望んだことは、聖者マタンガをグルとして霊性の教えを拝聴し奉仕することでした。しかし、女性の身であるがために弟子になることは許されなかったのです。

そのため毎日、早朝にマタンガが日々通る道のトゲや小石を取り除いて奉仕し、また木陰に隠れてマタンガの霊性の教えを聴いていました。

高齢になっても純粋で真心からグルのセヴァを行うサバリに、聖者マタンガは特別に弟子になることを許可しました。マタンガは間もなく自分が肉体を離れること、悪鬼ラーヴァナに誘拐されたシーターを探しにラーマがこの庵に訪れるので、自分の庵に住むようにと、サバリに伝えました。

サバリはラーマがいつ来ても大丈夫なように、道を綺麗にし、熟れた果実を集めて洗い捧げ物の準備をしました。ラーマが来ない日はプラサード(神様のおさがり)として、果実を食べていました。こうして長い年月が経ち、サバリは歳をとり身体が不自由になった頃、ラーマは悪鬼ラーヴァナに誘拐されたシーターを探している途中、サバリのいる庵を訪れ祝福しました。

サバリの捧げた純粋で信愛に満ちた果実を、ラーマは賞賛しながら美味しく食べました。

ラーマはサバリが信愛の9つの道〈①シュラヴァナム(神の栄光を聴く)、②キールタナム(神の御名や栄光を歌う)、③ヴィシュヌスマラナム(神の栄光を心に想う)、④パーダセーヴァナム(神の御足を崇める)、⑤アルチャナム(儀式礼拝)、⑥ヴァンダナム(神の恩寵に感謝と喜びを感じる)、⑦ダーシャム(神の道具)、⑧サキヤム(神と親友)、⑨アートマ・ニヴェーダナム(神への全託)〉のすべてを実践したことを賞賛し、霊性の成就においてサバリより高いものはないと絶賛しました。

サバリはラーマが自ら書いた宇宙劇のディレクターであることを知っていました。実はそれをラーマの御前で明かしています。

「あなたの意志は未来を決定します。あなたの意志は宇宙の安定と進歩を確実にします。すべての出来事はあなたの意志の発露です。それなしには、大事であれ些細な事であれ何事も起きません。」
「至高の神よ、あなたはこのドラマであたかも筋書きを知らないように振舞って、シーターと別れ嘆き悲しむふりをしています。愚か者や無神論者やアートマンの実在を知らぬ者は、それが真実であると考えます。神性とその神秘を知る者、神を信じる者、神は自分自身の絶対実在と知る求道者のみが、あなたの演じるドラマを真正とは思いません。あなたはなされた事のすべの行為者です。自分が行為者であると主張する人は愚か者です。あなたは良い事であれ悪い事であれ、すべての出来事に対する人々の反応を意志します。いかに強力な者であれ、あなたの意志を妨害し、あるいは背くことはできません。」

言うまでもなく、これはサバリの口を通して、至高神であるラーマが話されたことでした。この内容は現在の世界中で起きている悲惨な出来事の意味を教えてくれているのかもしれません。やがておとずれる光り輝く黄金時代、光は闇があってこそ輝きます。真実は虚偽の上に映し出されます。善は悪を打ち負かして初めて幸せと安らぎを得ます。

私たちにできることは、今、生活しているすべての行動や、目の前にある仕事を通して、グルの御足に礼拝を捧げることなのです。

サバリは最期、ラーマの御足に、純粋な愛を捧げながら、自らのヨーガの火で身体を燃やして灰にし、ラーマ神の本性である魂に帰融しました。

愛と優しさをいっぱいありがとうございます!