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ラーマーヤナで明かされなかった秘密をスワミが語る

『高みに到達するためには、勇気が必要です。どうすれば勇気を持てるようになるのでしょうか?心がクシャーマ(究極の忍耐)で満たされていれば、勇気の精神は自動的に姿を現します。 ヴィビーシャナがその典型的な例です。彼が羅刹王の兄ラーヴァナに逆らってゆラーマの側に渡る勇気を得たのは、クシャーマによるものでした。彼は「ラーマ、ラーマ、ラーマ。」と唱えながら、ラーマの陣営に到着しました。遠くでヴィビーシャナを見て、ラーマはすぐに手を上げて、恩寵と加護の仕草をしました。しかし、ラーマの周りの人々は言いました。
「主よ、その人はラクシャーサ、悪魔です。彼はあなたの敵ラーヴァナの兄弟です。したがって、あなたは彼に保護を与えてはいけません。」
一方、ヴィビーシャナはラーマに言い続けました。
「私はあなたのものです。」
そして、ラーマは言いました。
「人が私に『私はあなたのものだ』と言った瞬間に、その人は何があっても私の保護を受けるでしょう。」
ラーマはそのような決意をしました。あなたも、あなたのあらゆる霊的な努力において、同じような決意を持たなければなりません。 ランカの戦争中のある日、戦場に一人の若者が現れました。ヴィビーシャナはラーマの注意をこの戦士に向けさせ言いました。
「ラーマ、この人は強大で、力があり、勇敢です。彼は誰よりも強く、あなたは必ず彼を殺さなければなりません。」
これに対して、ラーマは矢を放ってラクシャーサの戦士を倒し、若者は死にました。ヴィビーシャナはその死体の近くに行き、大声で泣き始めました。ラーマはヴィビシャーナをそっと抱き上げて言いました。
「これはどういうことだ?なぜこの人のことで泣いているのだ?ヴィビーシャナは答えました。
「これは私の一人息子のニールードゥです。あの時は、敵についたのだから殺した方がいいと言いましたが、今は父親としての感情が勝っているのです。目の前で愛する息子が死んでいく姿に、私は耐えられないのです。どうか、このような悲劇を乗り越えられるよう、私に忍耐と寛容の力をお与えてください。」
ヴィビーシャナの祈りがいかにユニークであるかに注目しなさい。彼はラーマに言いました。
「クシャーマは私のサティヤでありダルマです。クシャーマは私の神であり、私はそれを忘れるわけにはいかないのです。」
このエピソードは、偉人であってもクシャーマを持てなくなれば、いかに苦痛を受けるかを明らかにしています。一方、クシャーマがあれば、達成できることに限界はありません。 』
(『SUMMER SHOWERS IN BRINDAVAN 2000 〈CH12〉』)

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『「ラーマの追放につながった一族の争いの責任はカイケーイにあるのでは?」と疑問に思われるかもしれません。いいえ、それはまったく争いの種ではありませんでした。実際、カイケーイはラーマに大きな愛情を注いでいました。彼女は自分の息子のバラタよりも、ラーマを心から愛していました。しかし、彼女の心は、マンタラの悪い仲間のために毒されていたのです。それゆえ、「あなたの仲間を教えなさい、そうすれば、あなたが何であるかを教えましょう」と言われています。

マンタラでさえも、カイケーイの妃として善良な性格の人だったのです。彼女は前世で起きた事件の影響を受けて行動していただけなのです。彼女は当時は鹿でした。ある日、彼女は夫と一緒に森で遊んでいました。ケーカヤ族の王が狩りで森に来ていたのです。王様は鹿たちが遊んでいるのを見ました。王は二匹を捕らえようとして、夫の鹿を矢で殺してしまいました。雌鹿は悲しみに暮れました。彼女は母親のところへ行き、王様の残酷な行為を訴えました。母は慰めながら言いました。
「わが子よ、この世には苦しみと喜び、善と悪が共存しているのです。この世は苦も楽もあり、善も悪もあるのだから、平静を保たなければなりません。あなたは王様のところに行って、正義を求めることができます。」
すると雌鹿は王様のところへ行き、苦悩をぶちまけました。
「王様!私たちは平穏で幸せな生活を送っていました。あなたは私の夫を殺して、私に計り知れない悲しみを与えました。あなたは私の人生を台無しにしたのです。」
王は申し訳なさそうに言いました。
「誰も自分の行いの結果からは逃れられないのです。あなたは夫の死を悲しんでいる。婿を亡くされたお母様の苦しみも理解できます。その結果、いつか私も婿を亡くして苦しむことになるのです。」
雌鹿はマンタラとして生まれ、ケーカヤ王の婿であったダシャラタを死に至らしめたのです。
この人生は、結合と分離の波がある大海にほかなりません。誰もが人生の逆境をくぐり抜けなければなりません。』
(『Sathya Sai Speaks Volume 36 (2003) 〈CH7〉』)


『マンタラは前世の誓いを果たすために生まれてきました。マンタラは過去の決意を忘れず、ダシャラタに対する自然な愛情や義務に対して、カイケーイの心を毒することにしたのです。カイケーイの宮殿の外では、ファンファーレやトランペットが鳴り響き、何やら楽しげな行列の音がしていました。それはダシャラタが威厳のある道具を携えて、ラーマに王位を与えることをカイケーイに知らせに来たのでした。背の低いマンタラは窓の外を見て、この騒ぎは何だろうと思いました。ダシャラタの栄光はマンタラにとって不愉快なものでした。マンタラが降りてくると、カウサリヤの待女に出会いました。彼女はカウサリヤから贈られたドレスや装飾品を披露するためにカイケーイに向かう途中でした。マンタラは彼女に、このような豪華なものはどこで手に入れたのかと尋ねました。彼女は「カウサリヤの息子であるラーマが王になる予定です。その知らせを喜んで、カウサーリヤは召使である私たち全員に立派な服や宝石などを与えてくれました。」と答えました。これにはマンタラも激怒しました。彼女は、それが何一つ自分のところに来ないことに嫉妬さえしていました。そのような思いが、彼女の心の中にずっと残っていたのです。

そして、カイケーイのところへ行き言いました。
「どうしてこんなに豪華な服を着ているのですか?」カイケーイはマンタラの言葉に何の注意も払いませんでした。マンタラはカイケーイに近づき言いました。
「なんと愚鈍な女かね、あなたはダシャラタが誰よりも、あなたを愛していると思いこんでいるのですね。しかし、それは本当に嘘っぱちの詐欺です。この先、あなたの身に何が起こるかわかるでしょう。私の言うことをよく聞きなさい。」
そう言うと、マンタラはカイケーイの肩に手を当てました。この接触だけで、マンタラの中に渦巻いていた悪がすべてカイケーイに入り込んでしまったのです。悪い習慣を持つ人と交際するのは非常に危険です。ちょっとでも接触すると、その人の性質で自分が汚染されてしまうのです。それまでラーマに好意を寄せていたカイケーイは、一瞬にしてラーマに反旗を翻しました。マンタラは彼女に言いました。
「思い出しなさい、ダシャラタがシャラドゥシャナと戦っていた時、あなたは多くの手助けをしました。ダシャラタがシャラドゥシャナと戦った時、車の軸木の止め釘が外れて車輪が落ちそうになった時、あなたは指をその止め釘の場所に入れて、ダサラタが敵を打ち負かすまで車輪を固定させました。その時、ダシャラタが喜びのあまり、あなたに二つの褒美を与えることにしました。あなたは、後ほど同じようにお願いすると言い、王はその約束を守ると約束してくれました。今こそ、その恩恵にあずかるべき時なのですよ。(バガヴァンはここで、夫婦が13年以上別居していると、その関係は消滅すると述べました)そこで、あなたはダシャラタに頼んで、ラーマを森に追放し、その間に14年後、バラタが即位することを主張するのです。ほら、ダシャラタがやってきます。装飾品を外して、床の上にポイポイ投げなさい。怒りの殿堂に入り、枯れ木のように地面に伏せていなさい。」
カイケーイはマンタラの助言に従いました。王がやってきて、カイケーイはどこにいるのかと尋ねましたが、返事はありませんでした。マンタラは言いました。
「自分で行って見てきてはいかがですか。」
ダシャラタ王は、部屋の中の光景を目の当たりにし、ぞっとしました。そして、こう優しく言いました。
「カイケーイ、どうしてこんなことをするんだ?」しかし、返事はありません。ダシャラタはさらに諭しました。
「カイケーイ、こんなことをする場合ではないぞ。ラーマはもうすぐ戴冠するし、これは私の人生にとってとても大切な出来事なんだ。そんな幸せな日に、申し訳なさそうな顔をしていてはいけない。どんな装飾品でも、欲しいものは何でも言いなさい。そうすればお前のものになるから。」
カイケーイは言いました。
「そんなものはいりません。」
そして、マンタラが言ったように、自分の要求を言いました。これを聞いたダシャラタは意識を失いました。嫉妬に駆られたマンタラは、カイケーイをこのような境遇に追いやったのです。嫉妬の悪魔に取り憑かれた者は、誰であろうと容赦はしません。ダシャラタはこう訴えました。
「なぜ、このような嫉妬に悩まされるのか。このような嫉妬に悩まされるのは、お前の名声を落とすだけだぞ。」
しかし、カイケーイは自分の立場を貫き通しました。
スワミはあなたに「Tyaja Durjana Sam-sargam(悪い習慣を持つ人々との関わりを断て)」と言い続けています。悪習慣に苦しんでいる人とは付き合ってはいけません。

ラーマは逆境にあってもダルマを守りました。
マンタラは命を落としてでも嫉妬する、まさに嫉妬の権化のような存在でした。彼女の嫉妬は、カイケーイのラーマに対する大きな母性愛を変えてしまうほど強力でした。ダシャラタがいくら説得しても無駄でした。ちょうどその時、ラーマが戴冠式のために着飾った姿で、両親に敬意を表するために入ってきました。その状況を見て、ラーマはカイケーイに尋ねました。
「お母さん、問題は何ですか?」
カイケーイは答えませんでしたが、マンタラはラーマにカイケーイの褒美の取り分について話しました。彼女は彼に言いました。
「あなたのお父さんはその日に約束しましたが、今彼の約束を果たしに戻って来ています。」
全てを聞いた後、ラーマはカイケーイに言いました。
「お母さん、私はお父さんの言葉を守ります。人は決して約束を破ってはいけません。そのような行為は、イクシュヴァク一族に大きな不名誉をもたらすでしょう。だから、私はすぐに森に出発します。」
すぐに、マンタラがラーマに着せる樹皮の服を持って入ってきました。嫉妬は、行動しようと決めたら、とても準備ができています。ラーマはその場で服を着替えました。ラーマは父親に敬礼しましたが、ダシャラタはラーマが森に行くことを知りませんでした。そして、カイケーイは彼に言いました。
「ラーマ、あなたはあなたのお父さんとお母さんは違うように見ていますか?私は母親として、あなたにすぐに森に行くように言っているのです。」
ラーマは反論することなくそれに従いました。
嫉妬はすべての悪の根本的な原因です。
『ラーマーヤナ』では、ラーヴァナとマンタラの例が挙げられていますが、両者とも邪悪な性質を持っていました。

ラーヴァナは戦いで殺されましたが、マンタラは嫉妬という形で今も生きています。この「マンタラ」を滅ぼすことができる者は誰もいないのです。私たちはこの「マンタラ」を無視して、自分の務めを遂行しなければなりません。ラクシュマナが彼女を殺そうとしたとき、ラーマは "人は女性を殺してはならない "と言って彼を止めました。

嫉妬はすべての悪の資質の中で最悪のものです。世界の4分の3は嫉妬のために台無しにされています。嫉妬には何の限界もありません。人は他人の繁栄や美や教育を妬み、その人を破滅させようとします。人は悪口を言ったり、悪いことを聞いたり、悪い行いにふけったりしてはいけません。これが『ラーマーヤナ』の主な教えです。

マンタラは悪口にふけり、カイケーイは彼女に気を遣いました。最終的に彼女らはどうなったでしょうか?彼女らは評判を落としてしまったのです。今日、カイケーイやマンタラの名を持つ女性を見かけることがありますか?カウサリヤの名を持つ女性には出会いますが、カイケーイやマンタラの名を持つ女性には出会えません。キーチャカはドラウパディを邪険にし、その結果、ビーマの手によって破滅を迎えました。キーチャカという名前を持つ人はいるのでしょうか?いませんね。悪口や悪行にふける者は、すべてこの世から追放されるべきなのです。『ラーマーヤナ』は、理想的な人生を送るための道を示しています。ですので、あらゆる国、あらゆる言語の人々が『ラーマーヤナ』を高く評価しているのです。この神聖な叙事詩は、常に新しく、常に感動的です。その栄光は時が経っても少しも衰えることはありません。時の試練に耐えてきたのは、神聖なの理想を表しているからです。』
(『Sathya Sai Speaks, Volume 33(2000)〈CH8〉』)

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『聖賢ヴァシシュタが神聖な秘密を明かします。 ラーマとラクシュマナ、バラタとシャトルグナの間に存在した親密な関係の理由は何でしょうか。ここで、彼らが生まれる前に起きたある出来事を考えてみる必要があります。ダシャラタが行ったプトラカメシュティ・ヤジュナ(子を授かるための供儀)の犠牲の火から甘いプディングが出てきたとき、賢者ヴァシシュタがそれを3人の妻に配るようにと告げました。学者たちは、プリンは異なる割合で分配されたと言い、真実を歪曲しています。ダシャラタはすべての妻を同じように扱い、どの妻にも偏見を持たなかったのです。彼はプリンを3等分して、それぞれに配ったのです。そして、プリンを食べる前に儀式的な入浴をするように言いました。カウサリヤとカイケーイは大喜びしました。二人は自分の分のプリンを安全な場所に保管し、儀式用の風呂に入るために中に入りました。

しかし、スミトラは、それほど喜んでいませんでした。彼女は思いました。
「カウサリヤはダシャラタの最初の妻だから、彼女の産んだ子が王子になる可能性は十分にあるでしょう。カイケーイの息子だって、ダシャラタが彼女の父に約束したのだから、王位につくかもしれない。でも、私が産んだ子が王子になる可能性はないでしょう。」
そう思いながら、スミトラは風呂を上がりました。扇風機もドライヤーもない時代、彼女はテラスに行き、プリンを入れたカップを傍らに置いて、髪を天日干しにしました。すると突然、どこからか鷲が舞い降りてきて、プリンの入ったカップを持ち去ってしまいました。スミトラはびっくりしました。しかし、夫のダシャラタに自分の不注意を叱られるのではないかと心配になりました。彼女はカウサリヤとカイケーイに近づき、自分の窮状を説明しました。二人はスミトラを愛し、スミトラも彼女たちを愛していました。そこで、二人はスミトラを不憫に思い、自分たちの取り分のプリンの一部をスミトラにあげました。カウサリヤが与えたプリンの一部からラクシュマナが生まれ、カイケーイが与えたプリンの一部からシャトルグナが生まれました。それゆえ、カウサリヤから生まれたラクシュマナはラーマに、カイケーイから生まれたシャトルグナはバラタに深く愛着しました。

スミトラの二人の子供、ラクシュマナとシャトルグナは生まれるとすぐに泣き出し、カウサリヤの子ラーマとカイケーイの子バラタは揺りかごの中で至福の微笑みを浮かべていました。しかし、スミトラの子どもたちは泣き続け、皆を困らせました。スミトラは何とか泣き止ませようといろいろな手を尽くしましたが、効果はありませんでした。ダシャラタ王は、スミトラの子供たちの奇妙な病気を治すために何人もの医者に相談しましたが、何も効果がありませんでした。そこで母スミトラは、最後の手段として聖賢ヴァシシュタを呼び寄せました。高名な賢者はしばらく瞑想して、こう言いました。
「ああ、母よ、子供たちの苦しみを和らげるために薬を投与する必要はありません。あなたがすべきことは、ラクシュマナをラーマの側に置き、シャトルグナをバラタの揺りかごに置いておくのです。」
スミトラがその通りにすると、ラクシュマナとシャトルグナはすぐに泣き止みました。それまでミルクを飲むのを嫌がっていた二人の子供たちは、食べ物を口にし、揺りかごの中で遊ぶようになりました。この突然の行動に驚いたスミトラは、聖者にこの行動の原因を説明してくれるよう祈りました。そこでヴァシシュタは彼女にこう説明しました。
「母よ、ラクシュマナとシャトルグナはそれぞれラーマとバラタのアムシャ(部分)なのです。だから、彼らが結合したとき、彼らは至福になったのです。」
" 神と一体化することによって、あなたの苦しみに終止符を打たれます"
あなたが痛みや苦しみを受けているのは、自分を神と一体化させていないからです。あなたが神と一体になれば、すべての悩みから解放されるでしょう。

さて、鷲に持ってかれたスミトラのプディングの分け前はどうなったのでしょうか?それは山に残され、あのハヌマーンの母であるアンジャニ・デヴィが食べました。その結果、彼女のもとにハヌマーンが生まれました。これが、ハヌマーンとラーマ、ラクシュマナ、バラタ、シャトルグナの4兄弟の間に存在した親密な関係の理由です。この秘密を知っている人はごくわずかなのです。』
(『Sathya Sai Speaks, Volume 33(2000)〈CH8〉』)

参考 :
https://www.sssbpt.info/summershowers/ss2000/ss2000-12.pdf

https://www.sssbpt.info/ssspeaks/volume36/sss36-07.pdf

https://www.sssbpt.info/ssspeaks/volume33/sss33-08.pdf


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