辛いを共有できるか

最近、辛いことがあった。

辛いこととは嫌なことでもいいと思う。

しかし、それを共有できるかできないかでその人の心のストレス度合いが変化していくと思う。

共有する相手は家族なのか友達なのか誰でもいいと思う。

共有する相手がいることが大事なのだ。

ただ、共有する人がいない人もいる。

また、共有する人はいるができない人もいると思う。

自分は共有する相手がいないタイプである。

なんでも話せる相手がいない。

自分のことについて話すことが得意ではない。

相手が自分の話を聞いていい気がしないのではとか考えてしまう。

人とは常に一定の距離を取っているのだと思う。

このことに気づいたのは、高校を卒業してからである。

高校まではずっとそこそこ忙しい部活をしていた。

そのため毎日誰かしらと会っていた。

でも部活を辞めてから、誰にも会うことがなくなった。

そのため、一人でいることが増えた。

休みの日は一人で家の中で過ごしている。

多分、人を誘うことが苦手なのもあると思う。

それにつれ、何かを相談すると言う行為がなくなってしまった。

全部、一人で決めるようになった。

これはこれでとても楽だ。

しかし、世界との繋がりが薄れてしまっているような気がする。

そしてだ。

些細なことで傷つくことが増えた。

今までなら、なにかあったら『うざ、なんだそれ!』で

済んでいたようなことであった。

しかし、今は時間があるためなのかそのことについてうだうだ考えてしまう。

それはそれでとても良いことだとは思う。

自分一人で色々考えることは大事だと思う。

しかしそれは、辛いことに対して正面から戦わないといけない。

それはとても大変だ。

そしてこれは、一人だけの考えであって、世界とはずれていくのでは考えてしまう。

だから、誰かに辛いを共有することは大事だと思う。

それは辛いことに対して

しかし、すぐに誰かに共有することはとても難しいと思う。

だから自分は、いろいろな逃げ道を作っている。

一つは、とにかく寝ること。

いわゆるふて寝である。

とにかく寝る。

寝まくる。

今日、明日やらなければいけないことがあっても気にしない。

明日の自分頑張ってくれ!と思いながら寝る。

後先のことは考えずに寝る。

これは一番やばい時にすることである。

これは年に何回かこのようなことがある。

二つ目は、ラジオを聴くことである。

特に深夜ラジオをよく聞く。

その理由はたくさんある。

その中のひとつは、1日の終わりにご褒美を作りたかったということである。

1日色々あると思うが、その中で今日あのラジオを聴けるから今耐えよう。といつも考えている。

これがあるだけで、1日頑張ることができる。

ただ、問題があるとすれば体調を整えることが難しいということである。

次の日が早い時は聞きたいのに聞けないことがある。

これが辛い。

という新しい問題が生まれてきた。

それと、これらは逃げているのでふとした瞬間に蘇ってくる。

このときの対処法は今の自分にはない。

ここの対象法があれば完璧だと思うのだが、そこまで世界は簡単にはいかないのだと感じている。

さて、今回も1000字超えたのでやめたいと思う。

なにを書きたかったのかわからんかったが、とにかく書けたのでよかった。

また、次回。





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