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映画と現実世界に距離はあるのか。【プロジェクトX】

どうも。「今日こそコメディを観るぞ」と意気込み、配信サイトを漁ってみたところPOVのコメディ映画を見つけてしまいました。タイトルは「プロジェクトX」。(実家のトイレの本棚にある漫画の方ではないです)2012年の映画です。同年のフェイクドキュメンタリー作品には「V/H/S」一作目や「クロニクル」などがありました。歴史が浅いとはいえPOVへの挑戦が続いていますね。

※今回はホラー映画でもないので4分野の評価はお休みします。
 ですのでいつもよりもめちゃめちゃ内容少ないです。(内容が無いよう)

純粋に感想を言うと、すごく面白かったですけど、この映画ってパーティしているだけなんですよね。本当にそれだけなんですが一人一人キャラが立っているのもあってテンポは落ちていないように思いました。(2狙おうとしてる?)それと裏を返せば軸がしっかりしているとも言えるので、非常に明快でした。

余談ですが先月コロナにかかったんですよ。療養中は辛すぎてベッドから動けなかったです。今は一日一本映画を再開している段階にはあるんですが、ホラー映画しか観てないことに気づきました。マイリストから消化してたんですけど、マイリスト、ホラー映画しかなくて。中にはゴッドファーザーもあったんですけど「絶対に今じゃねえ」ということもあり、映画に対する視野が狭くなっていました。
振り返ってみると「プロジェクトX」は非常に今観たかった映画だったなと思います。

せっかくなのでPOVの話します。
別にPOV以外も観てはいるのですがやっぱり面白いんですよね。勉強にもなるし。

予想として本作の比較に挙げられるのは「ハングオーバー」ですよね。
でもこの映画って、そこまでコメディじゃ無いと思うんですよ。
むしろコメディの先入観がない方がいいとさえ思いました。若者たちがカメラを持って少年たちの「伝説」を追った、彼らの群像劇なんですよね。
POVで群像劇を出すのって本当に難しいと思います。カメラに映っている映像って、カメラマンであるダックス(主人公の友人)の見ている世界であり、彼が切り取った”選択”でもあるんですよ。にも関わらずダックスってカメラに映らないんですよね。ここが面白いところ。実はダックスが主人公なのでしょうか。
セオリーで行けばダックスが主人公なんですよね。カメラを持って、友人のパーティの模様を映し、「伝説」を収める、という作中の誰よりも広い目的があります。
ですが彼はその場にいないように振る舞って見せてる。あたかも我々がダックスに憑依して、そのパーティに出席し、「伝説」の立会人になっている。
1500人どころではないということです。映画でありながら、現実との繋がりを感じることができるといった点も、POVの面白さではないでしょうか。

POVの映画では無いのですが、アレハンドロ・ホドロフスキーの難解映画「ホーリー・マウンテン」という映画は、「フェイクドキュメンタリー」であると思っています。それはエンディングで監督自身が”カメラの概念に言及するショット”がどれほど強力なのか、ということです。この世にも不思議なショットは映画と現実の二つの世界の物質的距離を映画という表現舞台で、明らかにした、と僕は解釈しています。映画の世界に「カメラマン」と「編集」という「外界」が侵入し、彼らが被写体(モデル)であることが判明する。旅の果てに壮大な嘘と真実の告知である、そして同じくして映画の「外界」への進出を感じました。

「ホーリー・マウンテン(白・1973)」

脱線しましたが、POVは映画と現実の世界に何を起こそうとしているのでしょうか。二つの世界の境界にヒビが生まれたその時。現実から映画に行くのではなく、現実に映画がやってくる、そんな日がやってくるのかもしれません。初めて「2001年 宇宙の旅」を観た時のような、映画体験の世界が今どこかで形作られているのではないでしょうか。一方でそれは良いことなのでしょうか。






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