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幸せな死産

2021年8月10日

三男を妊娠17週6日で死産しました。

悲しかったーーー

けど、とても幸せでした。

…………………………

赤ちゃんは、母親の幸せの為に生まれてくれます。
だから、死産になったのも
私を悲しませようとしたわけではないって知ってる。

私にさらなる幸せをもたらすために
今回は死産になってくれたと思っています。

出産は本当に神がかっていて、奇跡の出産だった。
赤ちゃんは、破水せず卵膜に包まれたまま生まれる被膜児でした。
『幸帽児』と言われるそうで、超レアケースみたい。
他にも神がかったスケジュール調整があって
旦那さんが立ち合いに間に合ったり、
まさに奇跡の出産。


名前は【慈生(いつき)】にしました。


本当にたくさんの温かいものを残してくれた
めっちゃ親孝行の息子でした。

“前向き” と “悲しくない” は違うので
まだ泣いたりもするけれど、
慈生を産むことができて本当に本当に幸せでした。

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そもそも3人目はその時には考えていなくて
盛り上がっていた仕事で大きな挑戦をしている最中での妊娠発覚。
正直『今?!』という戸惑いの方が大きかったです。

つわりがひどいことがわかっていたので、
『仕事頑張ろうと思ったのに今?!』という気持ちが大きかった。

つわりは本当にひどくて、
今回は吐きすぎてあばらを痛めましたね…
水もしんどい。
けど、食べるし飲む。
で、吐く。

体重も上2人の時と同じように減ったので、
今回も同じようにつわりは出産まで続いて
出産した途端食べられるようになって、
その次は今回も
どんなに食べてもおっぱいで出ていくから太らない
ゴールデンタイムに入るんだろうなって
どこか当たり前のように思ってました。

あまりにもつわりがきつくて
自分の本音に気が付けて
『仕事を頑張りたい気持ちは嘘じゃない。
けど、今はゆっくりして、
お腹の子どもとのんびりマタニティライフを満喫したい。』

そう思ったので、仕事は傍らにおいて
毎日その時にやりたい事のみやって、
生まれてくるのを楽しみにしていました。


やっと5カ月の安定期に入った、その時の健診のエコーで
『赤ちゃんの周りに膜のようなものがある』と
すぐに大きな病院へ紹介状を出されました。

1週間後に大きな病院の予約がとれ、
夫婦で行くことに。

いくらググっても健診で言われたようなものがヒットしなくて
もしかしたらこれかも?と思ったのが
【胎児水腫】でした。

胎児水腫…赤ちゃんの浮腫み。
胎児水腫だとしたら、死産になる確率が高い。

でも、胎児水腫と決まったわけではない。
今から落ち込んでも仕方がないと、普通に過ごしてました。

1週間後、大きな病院へ夫婦で行き
エコーを始める前に紹介状を読んだ先生から
「赤ちゃんが浮腫んでいるようなので、エコー見ましょうね」
の言葉で、『あぁ、浮腫んでたんだ、胎児水腫だ』って覚悟しました。

その時のエコーではもう心臓止まってて。
1週間前のエコーでは心臓動いてたのに。

旦那さんも診察室に呼ばれて
一緒に赤ちゃんの心臓が止まっているのを確認しました。

8月6日の事でした。

それまで通っていた産婦人科で死産対応してくれるという事で
次の日には元の病院で受診し、週明け9日に入院し出産する事が決定。

安定期(17週)に入って赤ちゃんも大きくなっていたので
陣痛促進剤を投与しての経膣分娩。
通常の出産の時と同じ痛みの陣痛を経て産むと説明を受けました。

赤ちゃんはもう心臓動いてないけどまだお腹の中にいて、
入院直前にあった地元のお祭りに行ったり、
産むまでは本当に普通の生活。
つわりもまだありました。
3人目の妊娠をお祭りで私の姿を見て知る人もいて、
何人かに死産の説明をしたけれど、実感はなかったかな。
『生まれるって奇跡だから、死産や流産もある』という事は理解していても、
まだ自分では信じられていなかったかもです。

私が通っていた産院は、
コロナ禍でも家族1人なら立ち合いOKとしてくれていた病院なので
旦那さんに立ち合い希望があるかを聞きました。


立ち合いするかどうかは、本当に旦那さんに任せた。
私でさえ、生まれてくる超浮腫んだ子どもを(お腹で崩れてきちゃうくらい浮腫みがすごかった)
かわいいって思えない可能性も否定できないので、
立ち会わなくても全く責める気もなかった。

けど、立ち会うって。
陣痛の痛みを一人で経験させたくないって。

…泣ける。
めっちゃいい旦那さん。

出産当日、
本当は仕事の都合で立ち合いが絶望的だったんですが、
奇跡のスケジュール調整が入り
旦那さんが駆けつけてくれた15分後には
卵膜に包まれ、破水せず、
お腹の中にいた時の状態のまま
慈生が生まれました。

慈生はパパに立ち会ってもらいたかったし
一番かわいい姿を見てもらいたかったんだろうなぁって
少し旦那に妬けました。

産声は絶対に聞くことができないってわかってるけど、
生まれた瞬間は達成感と安堵感でした。
自然に『よく頑張ったね、幸せだったね』って、
赤ちゃんと自分に思うことができました。

産んだ夜は泣きました。
産院のベッドの中で、涙が止まらなくて
目がパンパンに腫れて、
鼻もやばいくらい詰まって息ができなかったけど
それでも涙が止まらなったので泣きました。

翌日11日には退院し、死産なので火葬が必要で
8月12日に荼毘に付しました。

慈生の身体が空に還っているまさにその最中、
『慈生』って名前がポーンっと私の中に入ってきました。

あぁ、そうか。
この子は慈生だったんだ。
貴方は慈生なんだね。
いい名前を選んだね。

旦那さんにも言ったら、
ぴったりの名前だねってなって
“慈生”と名前が決まりました。


慈生の死因は染色体検査で“21トリソミー”と診断されました。
そのまま生まれればダウン症ですが、
ダウン症としてでも、生まれる事ができる確率は約1/10000。
慈生のように5カ月まで生存できるのは約1/5000だそうです。

慈生、お腹の中でめっちゃ浮腫んでたんです。
お腹にも肺にもお水がいっぱい溜まってて。
兆候は1カ月前のエコーからあったみたいです。
それなのに、夫婦で受診に行く直前まで、
あんなに浮腫んでるのに心臓を動かしてくれていました。


命って、宿るって、生まれるって、生きてるって、本当に奇跡。


今、こうやって生きている私の命も
紛れもない奇跡。

…………………………………

慈生は本当にたくさんのものを残してくれました。

小さすぎて何も残らないと言われていたのに
へその緒も、骨も残してくれました。

3人目はいらないって思ってたのに
本当はもう一人産みたいという私の本音を引き出してくれて、
それを望ませてくれました。

旦那さんが、
3人目の妊娠で初めて出産の痛みを調べたそうです。
命を懸けて産んでくれてありがとうって言ってくれました。
慈生のおかげ。

死産って、どんな気持ちになるのか?を
自分の命をもって経験させてくれました。
産声は絶対聞けないってわかってても、悲しくても、
それでもどんなお産も奇跡で、
とても幸せなんだとわかりました。

今生きている命が、どれほどの奇跡なのか。
こんなに実感できたのも慈生のおかげです。
生きているってだけで本当に奇跡ですごいことです。
生きているだけで自信をもっていいって確信しています。

たくさんたくさん残してくれて、
親孝行でとってもかわいい息子でした。

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上の2人は、慈生とは
きっと生まれてくる前に打ち合わせ済みなんだろうなと。

長男は、まだ健診で引っかかってない時から
『赤ちゃんのお薬!』ってお風呂場でお水をくれたり
次男は、パパよりもお腹を触ってくれていたり。

今も、長男の描く家族の似顔絵には慈生も入ってるし、
次男も、ママのお腹に赤ちゃんいたよねーってお話します。

間違いなく慈生は私と旦那さんの3男で、
私は5人家族になったんだなぁと
息子たちが教えてくれます。

本当に幸せな家族です。

………………………………………

死産は不幸ではないと私は思っていて、
そう思えるようになった事そのものも幸せです。

私の経験や考え方、物事の捉え方が
ほんの少しでも誰かのほのかな明かりになればと思います。



私は幸せな死産をしました。

産むことができて、本当に幸せでした!


Laivessere 主宰
Lyhyk こと 宮下愛

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