過去と未来、絶望と希望

僕は嫌だ!



お笑い好きとかほざいてる奴がやってはいけない行為の一つとして、大晦日の夜に紅白歌合戦を観るというのがあるが、実は毎年それをやっている。

内緒ね。

だって、紅白はお笑いを好きになる前から、物心ついた時からずっと観ているものだもの。

今はもう違うが、昔は車で12時間くらいかかる両親の実家へ帰省しなきゃならなかったから、紅白観て、年越して、真冬の夜中の車に乗り込んで初日の出を車窓から見てた。

今はもう違うけど。



まぁ普通にアイドル好きだし。

今年も欅ちゃんを全力で待っていた。

もう初出場から4年か。

なーこちゃんとみいちゃんが2人で欅の木の幹をやっていたのを思い出す。



欅ちゃんには高校の頃ずっと助けられていた。

ちょうど欅のデビューと私の高校入学のタイミングが一緒で、以来、毎シングルごとに曲に浸り、共鳴していた。

高校ではいつまで経ってもどこか馴染めず、それまで普通に話していたはずの言葉はどこか通じず、ずっとどこかを鈍く柔らかく捻ってしまっているような、やりきれない強烈な違和感に絶望していた。

エキセントリックのMVを観ながら何度泣いたか。

だけどそれは絶望を助長してるんじゃない、底まで沈み込んだ私にそっと寄り添い、泣き止むまで静かにそばにいてくれるような、そんな感じだった。

辛い時は、いつでもここに来て良いんだ、と。

大袈裟じゃなく、欅ちゃんのおかげでまだ健全に生きてられたと思う。

いや、でも、彼女達は、2019年の春手前、私が高校を卒業するのとこれまた同じタイミングで「黒い羊」をリリースして、以降まだシングルを出していない。

黒い羊のMVを観る頃には、もう絶望は身体から抜け始めていた。

なのに涙が出た。

だからこれからも好きでいたいと思った。



紅白は良いよな。

何だか年末で疲れてたのか分からないけど、初っ端のパプリカで泣きそうになった。

出演者もお客さんも、そこに関わる全てがあのちっちゃい子供たちの色鮮やかな歌に合わせて手を振っている。

前日のレコ大のこともあってか、こんなに平和で皆が笑顔になっている光景がやけに胸の真ん中をスーッとさせた。

疲れてるな。



だけど紅白が凄いのは本当で、「見せよう」とする気合いがやはり格別だ。

あんだけ入念なリハーサルをして、噂で聞いたけどトークまで一字一句決まってるような大舞台だから、そりゃ当然なのかもしれないけど。

なんか、良いじゃん。

アーティストがこの日の為の一張羅を着て、こんな演出にしようとか、こういうアレンジをしようとか、ちょっとここで笑わせようとか、何かを届けようとか。

そういうの、良いじゃん。

それ関連でいくと、だいぶグレードは下がるけど、文化祭とか運動会とかのそういう雰囲気も好きかもしれない。



壮大な仕掛け絵本みたいだったな。

次から次へとページをめくる度に違った仕掛けがあって、飽きないようになってるの。

どのページも細部までこだわってて、ちょっとの隙もなくて、作る人の楽しんでほしいっていう気持ちが込められてるかのような。

人の心を動かすって、きっと相当なエネルギーが必要だし、だからこそ動かされたいし、いつか動かしてみたいし。

ああ、なんて、煌びやかだったんだろう。



紅白終わって歯磨いてたら母が見てたテレビのジャニーズ達が「8!7!6!」って言っててあっぶねと思って急いで口ゆすいだよ。

何とか間に合った。

あけましておめでとうございます。

2020年に来ちゃった。

しばらくは何に対しても「初○○」ってぼんやり思っちゃうんだろうが、そんなのは新しいノートの1ページ目くらいの価値だ。

大事なのは最初のページの字の綺麗さじゃなくて、最後のページに何を書くかだろう。

うわ、最後のページとか毎回何も書けてねぇわ。

今年は最後のページが一番堂々とした字で書けてたら良いな。



じゃあ今年の抱負でも掲げるか?

今年は

・勇気を出す年

・すぐに浮き上がる年

にしたい。

詳細はもうやめておこう。

言質取られるから。



そういや年跨ぎのTBSラジオ、聞けてないから後で聞きたいな。

2年くらい前だっけ、澤部のワンオペまたぎを後日電車の中で聞いて堪えきれずにリアルに声に出して笑ったな。

超楽しかった。

一人の帰り道の定番は欅かターンだった。

だったじゃねぇ今もだ。

けど、絶望を塞ぐイヤホンから希望を拾うイヤホンになった。



あんたと私、不協和音だったよね。

でも今じゃ仲良し。

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