新車

新車(あらたぐるま)が来ました。

実家に。



前の車は赤色で、私が小さい頃に家へやって来た。

4,5歳くらいだった私は何だコイツ?って感じだったが、乗ってみると中がシートのみならず壁もふかふかしてて、それに感動したのを覚えている。

どこを触っても、窓以外はふかふかと柔らかくて、内装はその感触をそのまま色にしたような優しいベージュ。

更にその前の車のことは年齢的にもほとんど覚えていないのだが、唯一、この感想を抱いたということは更にその前の車の内装はシート以外カチカチだったんだろうなということが分かる。

あとデカ車(でかぐるま)すぎて母親が小児科の駐車場にある倉庫にぶつけ、私の病気は何度も治してもらったのにその倉庫の凹みだけは未だに直されていないこと。

だから前の車は、中身がふかふか♡べ~じゅ(地下アイドル)だったことが第一印象。

第二印象は、更にその前の車よりも少しコンパクト。

赤い色で存在感を示す車。

何で赤なんだよ、と5歳児ながらに思った。

鮮明な真っ赤じゃないけど、少しだけ落ち着いた渋みのあるような赤だったけど、赤色であることには変わりない。

赤い車が来たらもうまず「赤いな」としか思わない。

さっき第一印象とか第二印象とか言ってたけど、本当は全然その前に「うわ、赤っ!」が来ている。それが第零印象である。インショード・ゼロ。

それ故の「何だコイツ?」である。

だがその赤色は他でもない、母の要望であった。

いつだったか、「何で赤なんだよ」と思いすぎて「何で赤なの?」と聞いたことがある。そしたら母親は「赤良いじゃん。赤が可愛かったから。赤にしたかったんだよ」と答えた。いまいち回答になっていないが、母親の応答とはそういうものである。

その良さが全然ピンと来ていない私だったが、そもそも私は暖色系の色がそこまで好きではなかった。母親はピンクとか赤とかそういうのが好きみたいだ。私はどちらかというと、ミントグリーンとか、ダスティブルーとか、そういう小賢しい感じの名前の色が好きだ。まろやかだったり爽やかだったりする優しめの寒色。

だからデデン、みたいな赤色は特に気に入ってなかった。

けど、駐車場で見つけやすいのは確かだった。

例えば、高速のSAとか。



赤い車との思い出。

車なんだから当然、沢山の道を共にした。

特に長距離移動が多かったから、よく高速を走っていた。

高速を走る車に乗っている時間が楽しい、と気付いたのは、この車の中だった。

時には猛暑の中、カンカン照りの太陽にシートと共に灼かれながら。

時には極寒の中、紅白歌合戦を車内に映してブランケットにくるまれながら。

音楽にも、夜聞いた方がもっとテンションが上がる曲とか、逆に心地良く微睡める曲とか、夜が明けてくる時に聴いたらこんなにも爽やかな気持ちになれる曲とか、真昼間に流せばワクワクが倍増する曲とか、夕陽に包まれながらだと呼吸が少し苦しくなるほど切なくなってしまう曲とか、色々種類があるんだって気付いた。

景色と共に流していくと、感情も一緒に次々ぐるぐる押し寄せて押し流されて、どうしても感傷的になってしまうのもこの車の中でだった。

割とすぐ車酔いしてしまいがちな私が、何故かドライブを好きなのは、音楽と一緒なら外の景色を眺めながらでも楽しめることを幼少期から知っていたからかもしれない。



そう、私は何度も車に酔ってきた。

乗り物酔いしやすいかと言われると、よく分からない。きっと全然強くはなくて、電車でも長時間はキツいし、バスもずっとはスマホをいじっていられない。船はほぼ乗ったことが無いから分からないけど想像するだけでも確実に酔うだろう。

ただ、乗り物酔いしやすいと言い切れないのが、飛行機がめっちゃ楽しかったり絶叫系が大好きだったりするところである。絶叫系や高い所が苦手な人に「私乗り物酔いしやすいタイプだけどこれはイケるよ!!」などと言ったら、相手の精神状態に寄ってはビンタされるだろう。

運動神経も悪くてどんくさくて、悪い意味でマイペースでトロいのに、絶叫系に対してはイキイキし始めるのがこの私のキモギャップポイントである。

いやそんなことはどうでもよくて、とにかく車に酔いやすい私は、小さい頃は所構わず我慢もせずにゲロゲロ吐いていた。

その中でも強烈な印象を残しているのが、『愛・地球吐く事件』である。

その名の通り、2005年に愛知県で開催された『愛・地球博』へ行こうと家族で車に乗って向かったところ、助手席に乗っていた私が思いっきり車酔いをし、到着直前に思いっきりゲロを吐いたという事件だ。

事件というか、5歳の子を連れて車で長距離移動させたらそりゃあ嘔吐の一つや二つしょうがないってもんでしょうに、この時のことは今でも度々母親に批判される。

まぁ、今考えると父親と兄は別行動で愛・地球博を楽しんでいるのに、母親はその間また吐くかもしれない私の面倒を付きっきりで見るしかなかったのだから確かに可哀想ではある。

愛・地球博までわざわざやって来て、することが休憩スペースに座ってずっと体調不良の子守なんて。

でもその時、なんか知らない女性が私にキャラメルをくれたのだけ覚えている。

今思うとほっこりトゥイッターエピだ。

しかし未だに『愛・地球博』と聞くと、ゲロがいの一番に連想される。

『モリゾーとキッコロ』でも、やはりゲロが連想される。

何なら『名古屋』でも、うっすらゲロが連想される。

ていうか今思ったけど、2005年って私5歳とかだから、あれ吐いたの新車の頃ってこと?

内装ベージュで良かった~(笑)



何度も送り迎えしてもらった。

中学生の頃、部活の大会の帰り、目指していた結果が出なくて助手席で泣いた。

もうそこでゲロを吐いたことなんてすっかり忘れた頃である。

悔しくて、涙を流したあの暗い踏切前を今でも覚えている。

部活の朝練に寝坊して間に合わなさそうな時にも、車を出してもらってギリギリ怒られずに済むということを何度もやった。

そして部活を引退してからも、関係無いのに朝送ってもらっていた。

もう普通に帰りも迎えに来てもらっていた。

今思うと、普通に歩いていけばいいのに何で車で送迎してもらっていたのか全く分からない。

その日一緒に帰る子を誘って、全員車に乗せてそれぞれの家まで送っていくという修学旅行の帰り道スタイル。

(↑待って、地域によって違うかも、うちらのとこは修学旅行朝は学校集合だけどなんか帰りは家まで送ってくれてたんだよね)

運転は母だし、愛・地球吐く事件よりもこっちの方がよほど怒られるべき案件な気がするが。

本当に何で送迎してもらってたんだろう…本当にめんどくさかったのかな…通学が…そんなに…?

あーでもなんか言い訳じゃないけど、不審者情報とかね、たまにありましたし。

都会の人ホント笑うかもしれないけど、まじで熊出没情報とかwwねwww

ありますもんねwww大真面目にwwwwww

だからwwwクッwwwクマwwwwwwクマにぃwwwwwwwww

そッw 遭遇wwwしてもぉwwwwww大丈夫な、ようにぃwwwwwwwww

車で送り迎えしてもらってたのかもしれませんね。

あとガチ大雪で車道しか雪かきされてないから~とかね。

色々あります、田舎(山)には。

高校の頃はもう全部送り迎えしてもらっていた。

これは自分でも覚えている。まじでめんどくさかったから、その一点のみである。

駅まで送ってもらって、電車に乗って、そこからバスに乗って、高校。

高校の頃は、嫌いな奴と電車被りたくなくて、本当はちょうどいい時間に乗れるはずのより一本早いのに乗っていた。だからそこから逆算すると全然徒歩では間に合わない時間に起きていたので、車での送迎に助けてもらっていた。(←田舎あるある:車両と本数少ない、なのでこういうことになってます)

ロータリーに停まって、私が降りて駅舎に入っていくのを確認してから戻っていく赤い車。

高校の最初の方はしんどくて、駅の入口の階段を上って入っていくフリをしてそのまま、上で赤い車がいなくなるのを確認して、下のトイレまで降りていって閉じこもり、しばらく時間を潰してから、家に誰もいなくなったであろう時間に歩いて帰っていくなんてことを何度かやっていた。

歩いてんじゃねぇか、というね。

その間もずっと、音楽とか、この頃からはラジオとかも聴いていた。

ずっと車の中だったらいいのになー、と、思っていた。

大学生になって上京すると、実家の車とは滅多に会わなくなり、交通の便が発達しまくりnot車社会な東京ではそもそも車に乗ること自体も全く無かった。

実家に帰って、車の中の安心感を味わう度に、やっぱ(他人が運転する)車最高~~と思った。

しかし、遂に私も地獄の免許取得を乗り越えて(法律上では)運転できるようになると、他人に運転させるだけともいかなくなってきた。

(むしろ法律上でしか)運転できないのに。



ペーパードライバーだった。

もちろん今もそうだが、赤い車で何度か、練習したりもした。

その頃にはもうだいぶ寿命が来ていて、駐車しようとする度にカメラがぶっ壊れて全面真っ白い靄に包まれたようなあの世バックビューモニターが表示されたり、高速に入ろうとする度にETCがちゃんと機能するかしないかでハラハラしなきゃいけない謎ゲート通過チャレンジを行わされたり、音楽を繋ごうとする度に音割れしまくったスピーカーによる柳沢慎吾トランシーバー音質で曲を聴かされたりした。

それでもなんとか、持ちこたえていた。

「持ちこたえてるなぁ~」って松ちゃんが頬に手を当てながら唸ってもおかしくないくらい、かなり "持ちこたえている" 感があった。

それもそうである。

そこで流していた曲がももクロからμ's、でんぱ組やJuice=Juiceを通り抜けて乃木坂欅坂、更に日向坂、櫻坂に変わっていくほどの間、走り続けてきたのだから。

よく頑張ったよ。

という賞賛と共に、去年の8月、クソ暑い中で突然クーラーがぶっ壊れた瞬間に「あ、コイツ買い替え決定だな」とは思ったけど。

渋い赤色の割に、よく頑張ったと思う。

その渋みが、もはや色褪せているだけなのかはもう思い出せないけど。

桜をくぐったり、海の上を走り抜けたり、落ち葉を踏んでくれたり、雪の中を無理矢理突き進んでくれたりしてありがとう。

富士山見せてくれたり、東京タワー見せてくれたり、名古屋辺りのなんかよく分からないラブホ街たちによる綺麗な夜景見せてくれたり、あとUSJ何回も連れてってくれたり、瀬戸大橋何度も渡ってくれたりしてありがとう。

何度か車とかにもぶつかってたけど、人だけは最後までちゃんと守ってくれて、ありがとう。

時間はかかったけど、全部のシートに座れたよ!

助手席でゲロ吐いた子が、ちゃんと運転できるようになったよ!!

こうして振り返ってみると、成長を見守ってくれていたような気がして、少しだけお別れが寂しかった。









新しい車(ヤツ)が来た。

なんか、上だけ白くて、変なの。

家で母親がカタログ見ながら色を選んでいた。

『完熟カシス』という色なのだが、何故かこの色だけツートンカラーでしか選べなくて、他の色なら単色も選べるのに完熟カシスだけはどうあがいても上の方が白くなるというのだ。

それでも他の色が微妙すぎて完熟カシスにしようかなぁという話になっていたのだが、その時に我慢できず「いや、これじゃあ完熟カシスじゃなくて半熟カシスだよ(笑)」と言ったら、家族全員から無視された。

後日そのことを笑い話として友人に話したのだが、無視されるというオチに普通に引かれてしまい、全然笑ってはもらえなかった。

そう、だからコイツがいる限り、私の半熟カシスの傷はずーっと癒えないのだ。

ふん、上だけ白なんて、変なやつ!

でもひとまず乗ってみるか、と納車したその日に乗ってみたが、新車の匂いでひどく酔った。

気持ち悪さを抱えながら交通安全を祈願しに行き、お守りをゲットした。

ゲッロは吐かなかった。

その代わりに運転してみた。

ふーん、別に、いいんじゃない。

よく分かんないけど。

赤いやつよりも、アクセルの踏み心地が重くて、ハンドルもそれほど軽くは動かないけど。

バックビューモニターは綺麗に映るし、ETCもすんなり通るし、音楽もちゃんと聴けて。

赤いのより更に小さくなったから、もっと小回りも効いて動きやすくなるだろうし…


とっても良くなったはずだけど、まだちょっと、新車の匂いに慣れない。

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