日が紅が歌う「島人ぬ宝」がよかった話

ちょうど約一年前、「二丁目の魁カミングアウト」新メンバーが2名加入した。北海道出身の筆村栄心と、沖縄出身の日が紅。恐らく、いわゆる二次元だったら設定盛りすぎだからやり直し、と言われるほど、絵に描いたように性格もルックスも異なる2人の出身地が日本の最北と最南なのは、あまりにも出来すぎている。しかし、事実なのでどうしようもない。

そんな2人の言わば凱旋公演となる沖縄公演、北海道公演が2021年の全国ツアーに組み込まれた。今日はその沖縄公演の前日で、同じ那覇市内のライブハウスにて、東京を中心に他地域でも行ってきた単独不定期公演『近近感魂♪』が昼、夜と2部にわたって開催された。
そのうちの夜公演にあたる『近近感魂♪COVER GAY LIVE』では、「沖縄にちなんだカバー」曲が一つの目玉として披露されたのだが、その中で沖縄出身・日が紅の歌う「島人ぬ宝」(BEGIN)が非常に印象的だったので感想を残しておこうと思う。

まず、この曲が選曲された背景には、これまで紅くんが感じてきたいくつかの想いがある。それは、大きく分けて2つあり、1つは楽曲をパフォーマンスする上で二丁魁に入るまではあまり歌詞の内容を意識しなかったということ、もう1つは沖縄に住んでいた子どもの頃は地元への愛着よりかは、ステージで輝くために早くこの場所を出たいという気持ちの方が強かったということである。

紅くんによれば、歌詞を意識して歌を聴くようになり、また「沖縄」という彼にとってただ唯一の故郷と向き合うようになった時に、この歌を自分が歌わなければいけないと強く感じたという。
特に「いつの日かこの島を離れてくその日まで/大切なものをもっと深く知っていたい/それが島人ぬ宝」という最後のラインは、深く自分と重なると歌う前に涙声で言葉を詰まらせながら語っていた。

正直なところ、その話を聞いた時点ではそうした彼の話は前にも聞いたことがあったし、ちょうど昔の歌詞を意識しなかった頃の紅くんのように、内容よりも楽しい雰囲気や空気感、会場を巻き込むようなエンターテインメントの方を期待していた私は、思っていたのとは少し違う、観客に語りかけるような選曲にやや気後れもしていたしで、特に大きな期待はなかったと思う。

しかし、歌が始まってほとんどすぐ、思いがけず歌と彼の世界に引き込まれた。

「島人ぬ宝」は、Wikipediaによると

ボーカルの比嘉栄昇が、この歌の作成当時石垣市立石垣中学校の担任だったかつての同級生に依頼して生徒たちに島への思いを書いてもらい、それを参考にして作詞したものである

といい、沖縄に生まれ育った瑞々しい世代の真っ直ぐな情緒が非常にストレートに歌われている。そんな歌詞の一つ一つは、同じく「沖縄県」と呼ばれる地域で幼少期を学生時代を過ごしてきた紅くんにもリンクして、非常に立体的にフロアへと届けられた。

それは、いつもの「二丁目の魁カミングアウトの日が紅」とも少し異なる顔だったし、それを象徴するかのように歌声も二丁魁の楽曲を奏でる時とは少し違う、衒いのない、ただ真っ直ぐ声を届けるような、そんな声だった。
この歌がとにかく良かった。
音を掬い上げたり、しゃくったりすることもなく、抑揚も強くなく、紅くんの声によって文字通り歌詞が歌い上げられる、そんな歌で、こんな歌い方をするんだ!とその意外性にも惹きつけられた。

島のことはよく知っている、でもそれを説明する言葉は持っていない、だけどその地に生まれ過ごした自分には、言葉にもできない一つ一つの当たり前が息づいている、それが「島人ぬ宝」(沖縄に住む人の宝)

歌詞に込められたメッセージを、島での生活を、光景を、空気を、光を、色や匂いを紅くんの歌声が豊かに表現して、まるで物語を歌っているかのようだった。
自分に親しみの深いところで言えば、さながらディズニー映画の主人公がテーマソングを歌い上げるシーンを見ているようだった(”Lilo & Stitch”, "Moana"そして"KURENAI"!)(既に沖縄編ともいえるテレビアニメ「スティッチ!」が存在するが沖縄を舞台にした長編作品はまだない)(そもそも海の向こうに思いを馳せながら自分の島を想う"Moana"の物語と似ているというのもある)。

そして間奏ではスイスイスイ、イーヤーサーサーと合いの手が入るのだが、これがまさに沖縄を出たいと思いながらも沖縄に生まれ育ったことによって当たり前に身に付いたリズムだということで、それこそが紅くんの歌に込める思いと歌詞をそのまま体現していて、非常に美しかった。
島人の中に息づく民謡のリズムと歌声が彼の中にも刻み込まれている。それは特に彼が希望したものではなかったかもしれない。
しかし、今それを彼を愛する仲間と観客の前で高らかに歌い上げることによって、幼かった彼が望んだステージを輝かせている。こんな出来すぎたパフォーマンスがあるだろうか。

続く間奏ではフロアに大きく呼びかける形でカチャーシーが始まり、海の底を思わせるような青く光る照明の中にたくさんの手がキラキラと揺れて踊りが続き、彼は「綺麗だよ!」と笑顔を見せた。
カチャーシーのクライマックスもまさに沖縄の祝いの宴席そのものでこのままこの踊りが一晩中続くことが自然かのようにも思えた。
きっとカチャーシーも当たり前の風景として紅くんの生活の中にあっただろう。たくさんの「当たり前」があったから、「宝」があったから、東京で夢への一歩を踏み出し、歩み続けることができた。
まだ年若い彼がそのことに気付くまでにどれだけのことがあっただろう。

他のメンバーもサプライズで登場して彼の凱旋を祝い、また涙も混じりながらこの素晴らしいステージは大きな拍手に包まれて終わった。
結果的に私が期待していた会場を巻き込み、空気を動かして雰囲気を醸成するような総合的なエンターテインメントが提供されたのである。

ちなみに一週間前、品川の駅前で「紅くんはBEGINとか歌いそうだけどそれは求めていない」とまで言っていた自分を恥ずかしく思うが、それはその時の私で、期待なくこのステージを見たことによって、また新たな感動に出会えたのでそれは結果オーライとしよう(ごめんなさい)。

紅くんがまだまだ様々な表現力を秘めていることは、ファンとして非常に楽しみでもあるが、今はまずこのパフォーマンスを見ることができたことをただ嬉しく誇らしく思う。なかなか見られないだろう、こんな、よくできた…!
沖縄の音楽や芸能、文化の歴史は、沖縄出身の様々なアーティストに影響を与えているであろうことも改めて感じた。まだまだ不勉強だが、これを機会に、日が紅との出会いを機会に、より深く沖縄の「宝」に触れていきたい。

#二丁目の魁カミングアウト